15年 |   kitchen aki 美味しい毎日

  kitchen aki 美味しい毎日

kitchen akiを始めて早や6年、たくさんの方に出会い、助けられここまできました。ゆっくりマイペースでやらせいただいているのに、こんなに続けられて感謝の毎日
相変わらずいろんなことに好奇心いっぱいのakkoさんですが今はなかなかできません。
 

2010.1.17

 もう15年になるんですね


阪神淡路大震災から今日で15年です。


芦屋出身で知人や恩師などを亡くしました。


今でも集まるとこの話になります。


私はそのときは九州にいて被害にはあいませんでした。


当時は私だけでも被害がなくて手助けができるといろいろな物資を運んだり送ったりしたものです。


でもいつも私だけ仲間はずれなんです。


決して経験することのないような大災害を経験したものだけがわかりあえる共有感


不謹慎だけど、私も味わいかった


同窓会でも、家族の集まりでも、いつでも私は蚊帳の外です。


寂しいといえば贅沢でしょうか


25年も住んだところです。


今年はまた中学校の同窓会もあります。



同窓会のたびにまずこの話から入ります。


当然といえば当然です。



”akkoさんは知らないよね~。良かったね~”と言われるたびに

心がチクチクします。


ものすごく複雑な思いです。


私だって二日後に関西に入りました。

なかなか切符が取れず、ようやく2日後に飛行機のチケットが一枚取れたのです。

大きなトランクに水やら食料やら積めるだけ詰めて。


戦後の買出しみたいな格好でした。


一人暮らしの母が心配で


福岡に行こうって母を誘うと


”みんなが心配だし、どんな連絡があるかもしれん。今ここ離れられない

みなさんとと小学校に寝泊りするから大丈夫だから・・・”と福岡には来たがりませんでした


さいわい母のマンションは倒壊を免れ、生活ラインは来てませんでしたが、夜寝るには

自分の布団で寝れました。


昼は学校の体育館で食事などの世話になり、夜は自分のマンションで生活していました。


私は3日ほど様子をみてひとまず福岡に一人戻りました。

娘一人残していましたし、仕事もしていましたので、そんなに長くいられなかったのです。


弟たちの消息もわかったのでひとまず引き上げたのです。

母を置いて。



この地震を思うたび

悲しいというより寂しさが先にたちます。



神戸の人間じゃなくなったと感じるときです。



あの時間を体験したものだけが神戸の人間という雰囲気がなんとなくあります。



あのあと九州でも大きな地震がありました。


福岡沖地震があった1ヶ月前に大分に引越しして被害にあいませんでした。

大分で地震があったときは海外旅行中でした。



大きな台風だとか災害の時には必ずいないのです。



これってすごい強運というべきなのかしら・・・・

わたしなんかきっと平気で受け止められると思うのだけど





大勢の方が亡くなられた阪神大地震

阪神のあちらこちらで思い出話が話されていることでしょう。


悲しい思いをされた遺族のかたがた

本当に消えることのない悲しみでしょうけど、これからも元気で過ごしてほしいと願っています。