24時間テレビ。 | あ〜ちゃんの60歳からの始まり。自分らしく肩の力を抜いて。。

あ〜ちゃんの60歳からの始まり。自分らしく肩の力を抜いて。。

わがままにならず
気負い過ぎず
毎日を大切に
生きていこうと
思っています。
よろしくお願いします。

今年は殆どに近いほど
観てなくて…

最後の方

浅田真央ちゃんとの
タップダンス

聴覚障害の方
素晴らしかったね





私は九州で務めてたのが
婦人服の縫製工場

私は縫う担当ではなかった
けれど

その縫い子さんほとんどが
聴覚障害者の方でした。




1つ忘れられない
思い出があります。

本社や店舗に工場
全体の社員旅行が
1回だけありました。
社長以下の部下の方
工場長もみんなで
大分の別府温泉に
行きました
ホテルは
ほとんど貸切状態。


そして
大宴会場で食事と共に
各部署での舞台での出し物

我が工場チームは
その頃私は寮にいたので
寮生の20人ぐらい?で
踊りを踊ることになりました。
健常者は6~7人かな


衣装はお手の物だから
着物みたいなのを
用意して
ほっぺを赤く塗って

勿論音楽は聞こえない
わけで
でもね
最初のスタート
踊り始めをちゃんとすれば
みんなで揃って踊らるんですよ

不思議だけど

たまたま
バチを両手に持ってきたので
横並びに並んで
両手を広げてバチを交差して
音楽がなり始めると
健常者の私たちが
コンコンコンって
叩くんですよね
そして一斉に踊り始めるという

もう拍手喝采ですよ
👏 👏 👏👏👏
どうして?踊れるの?

喜んでもらって
嬉しかったのを覚えてます


それよりももっと
ビックリなこと
もう1つあったわ


工場だけの社員旅行で
部署別の出し物披露があって

私は必死で手話を覚えて
🎵ふるさと🎵を
歌ったのですが

新入社員だった
3人の女の子が
🎵UFO🎵を踊ったんですよ

勿論音は聞こえてません

えっ٩(͡๏̯͡๏)۶
ですよ


舞台下に先輩が
しゃがんでるのが見えて

聴覚障害者の方は
口話ができるので

先輩が声を出さずに
歌ってたーーー



これも見事に踊ってて



あのね
障害者の方と3年半働いて
大変なことも
そこそこありました。
上手く伝わらず筆談しようとすると
もういいよと言われたりね


でも
みんな
純な人達ばかりでした

みんな元気かなぁ〜


色々あったけど
楽しかったなぁ

会社は倒産したので
別会社になる時に
(仕事の内容は同じ)
私は退職。
自宅からあまりにも
遠かったから…


ただ
悔やまれるのは


手話をしっかり
学ばなかったこと

仕事で使う事から
覚えて行ったことを


今になって
後悔。。。



手話も方言?
地域によって
言い方が違うって
言ってたよ