今日は日曜おミサに預かり、ゆっくりしました。
その時々でミサも印象も変わる。
今回はホッと寛ぎました。
なぜか、第一朗読はあの有名なアダムとイブだったし、
福音朗読はマルコ3章のこれも有名どころ。
律法学者から、あの男(イエス)は悪霊に取り憑かれている。悪霊の頭の力で悪霊を追い出している!と因縁を突き付けられたイエス様は、
(それはおかしい?)どうしてサタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えばその国は成り立たない。と論破。
このくだり、毎回、考えさせられる。
そして、
『人の子ら(人間達)が犯す罪やどんな冒涜の言葉も全て赦される。しかし、精霊を冒涜するものは永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。』
と語られた。
ふーむ、罪を憎んで人を憎まず、かな。
でも、精霊、、心、、を汚すもの、或いは心無き状態?はダメですよ。というのが、私の最も簡単な解釈ですね。
その後、家族-マリア、そしてイエスの兄弟が探しに来ているにも関わらず、周りに座っている人々を見回し、
『見なさい、ここにわたしの母、兄弟がいる。
神の御心、を行う人こそ、わたしの母、兄弟なのだ、』と言い切る。
はじめに言葉ありき!の聖書。
やはりマルコのこの章は、圧倒的にイエスの強さが現れていて、何があってもたじろがない、のは、さすがだの指導力、さすがの人類愛と思います、個人的に。
神の福音ではあるが、
バイブルは、2000年のミリオンセラーだけのことはあります。
盛りだくさんの人生訓ですのでね。
ここから枝分かれして、数限りない啓発本が書かれているのでしょう、、。
教え、とは、教えになった時点で、もう、深い。