2歳の頃から本を読んでいた、、ような気がする。
日本昔話や(つまり一寸法師とか花咲かじいさんとか)、海外の童話、アンデルセンの人魚姫や、家なき子
や、イソップ童話、グリム童話、に始まり、
ガリバー旅行記、15少年漂流記、小公子、小公女、赤毛のアン、三銃士、、、に心躍らせ、
季節は本とともに巡り、坂口安吾、野間宏、といった戦後小説、はじめ、嵐が丘やニ都物語、谷間の百合、椿姫、モンテクリスト伯、、
高校生ともなれば、
安部公房、大江健三郎、影響受けた。
フロイトと、ユング、では、
ユングが好き。
サルトルの「嘔吐」で、文学的嘔吐を学んだ。
同じ頃、カミユ、カフカ、もお気に入り。
芥川比呂志全集、カッコいい。
太宰治、、話したら面白い人に違いない、、とか、
あれこれあって、
やはり、3Hだろう。
ヘルマンヘッセ、ヘミングウェイ、ヘンリーミラー、と照準定めるものの、
文豪は、凄い!ドストエフスキー、トルストイは、
世界遺産、エルミタージュ美術館を制覇する!
と興奮したり、、。
青春は本と共に燃えた!
というわけなのだが、私も大人になりました。
本日は内田樹先生の、
「サル化する世界」を読んでいる。
そんなにセンセーショナルな書き方ではない。
もちろん安易ではない。
文人として、個々の社会的トピックについて、誠実にお書きになられています。
毎日、ちょっとずつ読むのに適している。
それぞれ、三千字前後のエッセイなので、時間の隙間にもいくつか読める。何かの待ち時間とか、通勤とか。
結局のところ、人間の未成熟ぶりに言及しているんだなぁ。
読む方もすみません、と、頭を掻きかき、辛いけど、書く方も辛いだろうね。
情けない!と、ストレスアウトに叫ぶ代わりに、論を立てて、文章をしたためるわけですから、、。
つまりガンバッて、読者とコミュニケーションを取ろうとエネルギーを使ってくれている。
出来のわるい読者としては、申し訳ないやら、有難いやら。
ふむふむ、と頷きつつ、
この現代、現在、そして未来の人間の生業にゾクゾクしてくる。
寒いったら、、。どうしよう、、。
誠実に描かれているからこその実感だ。
にしても、本を読むというのは多元的な作業だ。
アナザーワールド求めて、本を読むことに熱中していた子供の頃。「ジャックと豆の木」が、懐かしいなあ。
あの頃に戻りたい。ホント。