話題作「パピチァ」観ました。 | アキグミ

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秋吉久美子オフィシャルブログ

昨日の夜、DVDで「パピチァ」

という映画を観る。アルジェリア、カタール、フランス、ルーマニア共同製作。

監督ムニア.メドゥールが自らの体験を踏まえた

アルジェリア「暗黒の10年」を生きる若い女性群像の物語である。

「パピチァ」愉快で魅力的、常識に囚われない自由な女性というアルジェリアのスラングだそうだ。

英語だったら「トムボーイ」

日本ではお転婆さん。なのかな。

お転婆でいるために命をかける社会がある。

監督メドゥールは、お転婆として生き抜いて行く主人公ネジュマやその仲間の体験を内側から肉迫し、観る側に、他人事と思わせない圧倒的な演出力で訴える。

観る者は「パピチァ」である彼女達になり、

イスラム原理主義が台頭した「暗黒の10年」に晒される恐怖と、恐怖を乗り切るエネルギーを体感する。


宗教による弾圧と言ってしまえば、また、その後に意見が続くのだろうが、

私はこの映画に人間の「性」さがを見る。

良い性、悪い性、良いと思い込んでいる性、守りたい性、打ち破りたい性。

ぶつかる性同士。

イスラム原理主義には、アラブ国家が西欧化することへの性(さが)に恐怖を感じ、抵抗する性(さが)を暴力として現す性(さが)があるのだろう。


私は洗礼も受け、クリスチャンなのだけど、

お釈迦さまが言うところのの「解脱」執着からの解放がなければ、物事はいつまでも勝ち負けのループから出ることはなく、悲劇が続くと考えてしまう。

キリスト教で言えば、「赦しと愛」ということになる。


ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、ヒンドゥ教、仏教、、、他、いろいろ、、理屈としては其々、大した宗教だから、大した教えや理論はあるのだが、

ぶつかり合う性(さが)、宗教を建前とする人間のエゴという性(さが)をなんとかしないとなぁ。

このままだと、人間の歴史は、

宗教イコール暴力、や、戦争になってしまう。



お転婆さんが、お転婆さんと呼ばれて、

笑ったり、大人に怒られたりする社会が平和でいいよね。

お茶目な社会、大賛成!です。

パピチャであるために、これほどの痛みを伴うことは、辛い。

今、まさに進行形の女性の歩みとも言える。

そして、人間がもっと成長して行く前段階と思いたい。