長くご病気されていたけど、
不意に亡くなられた。
胸が重い。
昨日 受け取った詩の同人誌に載っていた、
中原中也の詩をブログに載せて彼の死を悼もう。
「冬の日の記憶」
昼、寒い風の中で雀(すずめ)を手にとって愛していた子供が、
夜になって、急に死んだ。
次の朝は霜(しも)が降った。
その子の兄が電報打ちに行った。
夜になっても、母親は泣いた。
父親は、遠洋(えんよう)航海していた。
雀はどうなったか、誰も知らなかった。
北風は往還(おうかん)を白くしていた。
つるべの音が偶々(たまたま)した時、
父親からの、返電が来た。
毎日々々霜が降った。
遠洋航海からはまだ帰れまい。
その後母親がどうしているか……
電報打った兄は、今日学校で叱(しか)られた。
、、、
不条理で空虚、な、日常の描写に満ちる悲しみの色。雀は死んだ子供の魂をシンボライズしているのではないか、と、私は思う。中也は、雀がどうなったか、誰も知らないという。
クリスチャンの私は、死んだ人々の魂はキリストの大きな腕の中に抱かれている、と、信じる。
ダダイストの中也は、ちょっといい男ぶりで、口の端を上げ、「それは、都合の良いこと、、」と呟くかもしれない。
誰がどう言おうと、雀は、可愛い黒い瞳で、まん丸な体で、どこかしことなく、さえずっている。