山晩(く)れて晴空(せいくう)に望む
李白の漢詩の中の一行。
久しぶりに、数年前の写真を見てしみじみ。
いわき市の三和町、上三坂で、高校時代の友達と、地域復興を古民家譲り受けて立ち上げた際、
書庫だし、書欲しいね、、と思って書いた。
苦しみながら恋に浸かる
ブラッディー怜子とは、反対の境地。
この、山晩(くれる)が ビミョウで気に入った。
原発事故の後のあのころの気持ち。
私はどの立場で、何ができるのだろう、、と思った。
夕方の地平線に青みを臨む時間とも、言えるし
夜明けに闇を手放す時間とも、
言える。
つまり、
分かりやすく言えば、
私たち、中高年の時間。
晴れ晴れと人生を悟る、前向きの悲しみ。
大人だな、、と憧れた。
何だか 漢詩って大人なんだよね。
私はいつ、大人の眼差しを持てるのだろうか?
そうだ。夕ご飯には、イワシの生姜で煮たの作ろか、、。
あれ?
生姜も梅干しも入れるんだっけ?