アメリカンスナイパー見てきました。160人の敵を殺した狙撃主。実話だそうでエンドロールには当時の軍による葬儀の様子の実写が流れます。幹線道路は国旗を振る人。カメラをかざす人であふれます。盛大なセレモニーから「伝説のスナイパー」と呼ばれていたのが実感できました。ほとんど国葬といっていいような感じはやっぱりアメリカだなあと思いました。映画のほうは実話といってもそこは実話を基にしたフィクション。全てが実際にあったこととは思えません。イラク紛争が舞台と言う事もあって先のイスラム国と重なって見えます。前編通して見て「戦争は勝っても負けても人を変える。みんな被害者」間違ってもするものじゃないと思いました。それにしても監督のクリントイーストウッド。84歳。自身が出演していた頃はそれほどの人とは思いませんでしたが大した人物です。

 そんなに晩生(おくて)なほうではないと思っていたのですがこと花粉症に関してはかなり晩生。ほんの2~3年前からです。何の根拠も無いのですがそれまで「私には免疫があるので花粉症にはならない」と勝手に思い込んでいました。以前、お得意さんで薬局の店主に「グラスの水のようなもので少しずつ溜まってそれがある日溢れ出る。これが花粉症。誰でもなる可能性があって老若男女関係ありません」と聞いていたのですがそれでも「自分は別」と思ってました。でも「はしか」でも年食ってからは重症化するというようにいざかかってみると花粉症って結構きつい。外出にはマスクが欠かせません。以前は好きだったこの時期。雨が降るとほっとします。もうしばらくの辛抱。

群馬大病院が謝罪会見をしてました。企業の不祥事での会見はよくありますが医者の世界ってこんなもの?と思いました。トップと思われる人達が頭を下げます。でも肝心の執刀医は出てきません。それどころか名前も公表しません。将来に傷がつくとでもいうのでしょうか?例えはおかしいかもしれませんが人身事故を何度も起こし相手を死亡させた運転手の車に乗ります?その前に免停。あるいは取り消しでしょう。患者より仲間が大事?。一般企業なら欠陥商品は売れません。そんなの続けてたら会社つぶれます。私が群馬県民なら絶対診てもらいません。それでも他に選択肢が無いとやっぱり行くより仕方が無いか。多分当人達もそういう空気の中で育ち働いてきたのでしょう。だからどこまでいっても上から目線。危機感が無い。いやな人種。どこか電力会社なんかと似たところがある。

 

久しぶりに弟家族がやってきて一緒に夕食。姪が目指していた高校に合格。この春から高校生になります。「学食にいけるね」というと当面は弁当にするといいます。中学まではずっと給食。本人もそうですが家族も仕事が増えます。でもそれは仕方が無い。逆にある意味楽しみともいえます。  

 先日の大阪市議会。民主党市議団の幹事長が市立中学の給食を視察しました。生徒から「これは給食ではなく餌や」と言われて「給食に問題がある」と議会で発言したそうです。これに市長橋下氏は「何故生徒をしからないのですか?僕の子供が言ったら激怒します。飽食時代の象徴。ひいては国家の崩壊につながる。食育でしょう?。と反発したと言います。橋下氏にはそれほど好感を持ってませんがこの件に関しては支持します。「僕はご飯一粒残したら親に怒られた。農家の人にどれだけ失礼なことなのか」「アフリカや北朝鮮の子供たちに比べ、もっと感謝の気持ちを持たないとだめだ」同意見です。実際まずいのかもしれません。でも与えられた食事をうまいとかまずいとか知るのも教育。振り返ってみると私の時代。小中学校の給食は今とは比較にならないほどまずかったと思います。でもそれを知った上で「与えられたものを批判するのは自分で稼ぐようになってから。」そういう意識は子供心にもありました。今、ファミレスに行けば親子連れを何組も目にします。食材を安く美味しく調理してお腹いっぱい食べられるよう工夫する母親も減っているのかもしれません。でも一方、朝食を採らず給食が唯一のまともな食事という子も6人に1人いると言います。格差でしょう。この市議。市長を批判したいがために本来自分が諭すべき子供を「出し」に使う。そのレベルの低さが情けない。ついでに言うとTV等で口の中に食べ物がいっぱい入った状態でしゃべるのをよく見ます。最近ではCMでも見かけますが撮ってる人。演じてる人。違和感ないのかな?・・・私は嫌です。これも「いただきます」は命をいただくこと」「食べるかしゃべるかどっちかにしろ」と言われて育った世代の後遺症でしょうか?

 


国会で18歳から選挙権という法案が提出。成立するかと思われます。バランスを考えるとこの際、少年法も現行の20歳から18歳に引き下げるべきだと思います。凶悪犯罪の低年齢化が目立ちます。川崎の事件。逮捕されたのはやはり18歳。またかと思います。あざができた被害者の顔がこれでもかというほど報道されますが逮捕された少年の顔も名前も表に出てきません。そして犯行が立証されても未成年というだけで少年院送り。入所している間に更正するというのでしょうが出所してまた犯行を繰り返すケースも多いと言います。将来ある命を奪ったなら命で償えとまではいいませんが一生かけて償うのが筋。一定の期間拘束されたらリセットして一からやり直しなんて考えられたらそれこそ人命軽視につながる。権利と義務のバランスが悪すぎます。土があまったので花瓶作ってみました。このところ電動ろくろばっかりだったので久しぶりの手びねりです。

 

ソニーからapple日本社長。マクドナルドCEO。そしてベネッセ会長兼社長。運だけではない。当然実力があっての経歴。順風満帆。カリスマ経営者。日の当たる道ばかり歩いてきた人と思います。原田氏。今、ベネッセでつまづき。こんどはマクド。とうとうこの春。マクドナルド会長を退任するそうです。成長段階を経てもう大丈夫と後任に譲り退任という筋書きは一連の不祥事による業績低迷で崩れました。年齢は知りませんが恐らく60代後半から70ぐらいかな?。引き時というのは成功を積み上げて来た人ほどに難しい。残念ながら比較するほど大成した人が身近にいないのですがそれでも道半ばで亡くなった人。あるいは身内の事情で止む無く辞めた人。バリバリ仕事をこなしていたのに「これからは自分自身のために」とさっさと辞めていった人。とっくに定年過ぎても傍系会社でまだがんばってる人。仕事って始めるときより終わるときのほうが難しい。その見定めの良し悪しは長く続けていた人ほどわかりません。ひとつだけ確かなのは本人に限って自分の意思で辞めることが出来る人は幸せです。

  弟の奥さんがコーラスをやっているとかでチケットもらって行ってきました。ホールはほぼ満席。レクイエム(鎮槐歌)というのは阪神淡路大震災から20年ということだそうで、フォーレとモーツアルトの曲。20分の休憩を挟んで2時間半。堪能してきました。同時に改めて震災後20年を考えます。さすがに現在震災の痕跡はもう見当たりませんがそれによって人生が大きく変わった人も多い。その人たちにはまた違った感慨があると思います。時期を同じくして三田市議会で現在、手話言語条例が提案されていると言います。こちらも震災で家屋が倒壊。避難先で音声による案内しかなく救援物資もまともに受けられなかったと言う聾者がたくさんいたそうです。これは国政にも言えることなんですが平時は誰がやっても同じ。その真価は危機になったときに表れる。この条例。詰まるところはこれまで「福祉」の一部分という領域だった手話が「言語」として認識しようということ。いわば独立。当たり前。何をいまさらと思わないでもないのですがそれでも出来ることなら成立して欲しい。これも20年の歩みか。

仏壇に季節の果物とメロンパン。ちょっと珍しいかと思いますが母の晩年よく近くのショッピングセンターに車椅子押していきました。歩行が困難になり認知症も進んだ頃で唯一の外出でした。車椅子を押してショッピングセンターに入ると母が積み上げてある「かご」を思いきり手を伸ばし取りそして膝に置きます。ゆっくり店内を一回りします。その間彼女は気に入ったものを手当たりしだいにかごに入れます。それを私が分からないようにこっそり元の場所に戻します。この繰り返し。(そうしないとウチのキッチンは同じ商品であふれかえります。)そんな中必ず買ってかえるのがメロンパン。若い頃はそうでもなかったと思うのですが年取ってからの彼女の大好物でした。ですから亡くなってからも仏壇にメロンパンは欠かさず供えます。ただ、申し訳ないけど私はそんなに好物でもない。というわけで変化をつけてみるかといろんな店のメロンパンを買います。それでも処分が追いつかず気がつけば賞味期限切れなんてこともたびたび。そんな中、最近ひとつ発見しました。セブンイレブンで売ってるメロンパン。この時期ですからレンジで加熱してみました。ほのかにメロンのフレーバー。それまでと味が違う。格段に旨い。これは加熱することを前提に作られているのかもしれません。先月からセブンイレブンで100円コーヒー飲んでメロンパン買って帰るのが日課に加わり現在もまだ更新中です。(多分けったいな客と顔覚えられてると思います)さてこのパターン。どこまで続くか。

 


つくばい。京都龍安寺が有名(というかそれくらいしか知りません)土をこねていてなんとなく思い浮かんだので作って見ました。だからと言って茶室があるような立派な家に住んでるわけでもなし吾唯足知の境地に至ったわけでもない。ただなんとなく・・・なんとなくついでにもうひとつ。ブラジル。コルコバードのキリスト。先年落雷で指先が欠けたと聞いてます。キリスト像ってたくさんあるけどほとんどがゴルゴダの丘での苦渋に満ちた表情。その中でこれはおおらかさを感じさせます。ブラジル人の気質かな?来週上半身仕上げて先の弥勒菩薩と一緒に焼成窯で焼くつもり。菩薩とキリスト。こんなこと考える私って変?確かに一貫性はない。

 

 先日新三田駅からJRに乗ったときのこと。たまたま当駅発車と言うことで早めに停車してた列車。それでも数名の乗客が座っているのが見えます。ところがドアは閉まったまま。「発車にはまだ数分。みんなどうして乗ったのかな?」私の後から乗ろうとした人がいたので様子を見ているとドアの横についてるボタンを押してます。」なるほど!そして乗った後また車内にも同じようにボタンがあってそれを押すと閉まります。冬場、特に寒い時の停車中。ドアを開放したままの発車待ちは暖房の無駄。なにより寒い。普段自動ドアに慣れている身には目からうろこです。恥ずかしながら今まで気がつきませんでした。考えて見ればなんでも自動がいいというものではない。ボタンひとつ押すぐらい自分のタイミングでやればいいこと。多分先の乗客のように乗り慣れてる人には常識なんでしょう、でもこんなことに今頃気がつく私ってやっぱり「田舎者?」