久しぶりに弟家族がやってきて一緒に夕食。姪が目指していた高校に合格。この春から高校生になります。「学食にいけるね」というと当面は弁当にするといいます。中学まではずっと給食。本人もそうですが家族も仕事が増えます。でもそれは仕方が無い。逆にある意味楽しみともいえます。
先日の大阪市議会。民主党市議団の幹事長が市立中学の給食を視察しました。生徒から「これは給食ではなく餌や」と言われて「給食に問題がある」と議会で発言したそうです。これに市長橋下氏は「何故生徒をしからないのですか?僕の子供が言ったら激怒します。飽食時代の象徴。ひいては国家の崩壊につながる。食育でしょう?。と反発したと言います。橋下氏にはそれほど好感を持ってませんがこの件に関しては支持します。「僕はご飯一粒残したら親に怒られた。農家の人にどれだけ失礼なことなのか」「アフリカや北朝鮮の子供たちに比べ、もっと感謝の気持ちを持たないとだめだ」同意見です。実際まずいのかもしれません。でも与えられた食事をうまいとかまずいとか知るのも教育。振り返ってみると私の時代。小中学校の給食は今とは比較にならないほどまずかったと思います。でもそれを知った上で「与えられたものを批判するのは自分で稼ぐようになってから。」そういう意識は子供心にもありました。今、ファミレスに行けば親子連れを何組も目にします。食材を安く美味しく調理してお腹いっぱい食べられるよう工夫する母親も減っているのかもしれません。でも一方、朝食を採らず給食が唯一のまともな食事という子も6人に1人いると言います。格差でしょう。この市議。市長を批判したいがために本来自分が諭すべき子供を「出し」に使う。そのレベルの低さが情けない。ついでに言うとTV等で口の中に食べ物がいっぱい入った状態でしゃべるのをよく見ます。最近ではCMでも見かけますが撮ってる人。演じてる人。違和感ないのかな?・・・私は嫌です。これも「いただきます」は命をいただくこと」「食べるかしゃべるかどっちかにしろ」と言われて育った世代の後遺症でしょうか?