自分罰ゲーム連投第11弾

 

山形の海沿いの田舎で育った会長

このまま家にいても大した仕事に就くことも期待できず

父親(祖父)との関係もよろしくなかった彼の

波乱万丈なお話の続きをどうぞ

 

 

父は出稼ぎで、日本国中いろんな所へ行きました

北海道では帆立貝の漁の出稼ぎをしていました

その頃は網を上げるウィンチも半手動で
太いワイヤーで指を切断されたり、目に当たって失明したりする人が続出していて
力自慢の父もさすがに怖い思いをしたのでしょう

どれだけつらい仕事だったかをよく私たちに話して聞かせていました
後々、私が小林多喜二の「蟹工船」を読んだ時

真っ先に思い浮かんだのが父のこの辺りの話でした

父がまだ北海道で出稼ぎをしていた時の話です

(こんなこと書いてはまずいかもしれないかな、とは思いましたが

本人既に鬼籍に入ってますし、、、ご愛敬ということで、、、)

 

その頃、突然父が連絡不能になり家族もとても心配したそうです
実はこの時、父は所謂「檻」に入っていたようです
(その話事態本人が認めたことはないのですが、まぁ、言えませんよね、子供に)

詳細とか経緯は話してくれない父が私たちに教えてくれた

その頃の話はこんな感じでした
 

彼は突然「そこ」に入れられたようで

家族も心配しているだろうと何とか外部と連絡を取ろうとしました

でも無理な話ですよね
今と違って当時の「それ」はとっても厳しく

私語さえ許されない事もあったそうです


頭をひねった父は、当時貸し出されていた本のページの上と下の字が書いてない部分

つまり余白(1から1.5cm程のもの)をばれない程度に何枚か切り取り

次に食事の度に米粒を何粒か壁に張付けておいて
消灯の後の暗闇の中で、その米粒を使って余白の紙を張り合わせました
それを何度か繰り返すうちに、便箋程度の白い紙を作ることに成功しました


父はそれに自分の居場所、どうにか元気でやっている事

いつ出られる予定かなどを書いて
送り先もきれいに書き込んだ後

先に出所する事になっていた「そこ」仲間の靴の中敷きの下に挟んでもらって

(もちろんそれは出る前に身体、持ち物検査をされるからですね)
その人が出所した後に投函してもらったそうです

 

祖母も、父の当時の奥さんも、親戚も

やっと居場所が分ったとたいそう喜んだそうです

 

何をしてそんな所に行くことになったのかとよく食い下がって尋ねたのですが
「喧嘩だよ、血気盛んだったからな、昔は。」
と言うだけで細かい事は全く教えてくれませんでした

何か臭うんですが未だに霧の中・・・
その内聞き出そうと思っていたんですが

チャンスを逃してしまいましたね

 

つづく