父は小田原に落ち着いて会社を構える前

山形から出稼ぎに出る人たちを一つに束ねて班を作り

人工として働いたり、工事を請け負う形で仕事をこなしたりしていました

その当時のよもやま話をどうぞ

 

一時期、父は東京の国立の折戸建設(2019年に閉めてしまったようですが)という

大きな土建屋に(確か奥多摩のダムの建設)出稼ぎに行っていました

電車で仕事場に向かう途中、トンネルに入る直前に父の目の前の開いた窓から
鷹が飛び込んできました、それも父の真ん前に
「鷹」と言えば、“一富士、二鷹、三なすび”と

一般に縁起がよいといわれるものだったので

縁起を担ぐ昭和一桁の父にしてみれば偶然とは思えない位縁起が良い出来事でした

それをきっかけに自分で起業しようと思ったとか思わなかったとか

でもその決断は大成功でしたね

母もそのダム建設の現場には参戦していて

近くのものすごい高さの山(崖?)に連れて行かれて

自殺の名所だと見せられた時は足がすくんでしまったと話しておりました

静岡県の天城山の近くで林を切り開いて農道を作る工事を請けた時は

道が険しくて車が通れないところを人力で間知石を背負って運びました

間知石とは石積みに使われる日本独特の四角錐の形をした石材です

力のない母は運ぶ方には参加せず、間知石を数える役をさせられていました

その現場は、昭和30年代の初めに起こった天城山心中の場所の近くで

映画にもなった有名な話の実際の現場が近くにあるということで

出稼ぎに来てる山形からの田舎者たちの間では

暫くその話でもちきりだったそうです

 

興味のある方は天城山心中

 

山梨県の塩山では大元の朝鮮人の親方が金を払わないとかで

当時の土方の間では朝鮮系の親方は人使いが荒くて金払いが悪いと悪名高かったので

仕事も途中で取るものも取り敢えず荷物をまとめて夜逃げをしたそうです

当時は電灯もない真っ暗な山の中を手探りで

捕まらないように音もたてずに20人以上の大所帯で命からがら逃げたんだとか

 

ダム建設工事で(奥多摩湖のダム建設だったかは定かではない)

とてもいい監督さんと出会った父は

日々の仕事が終わった後、一升瓶をお土産に足繫くその監督さんのもとに通い

その監督さんから土木の基礎を教えてもらいました

土木は面白い!!そして土木は金になる!!

とその時に思った

っとその話をしながらにやりと笑って酒を啜ってました

 

 

つづく