久しぶりに聞いたGHQ | てまり(akityan)のブログ

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日々の出来事や、過去の思い出を綴った写真絵日記

1945年7月26日深夜から27日早朝まで松山大空襲があった。

その年は愛媛県内の主な市はB29に爆撃され大きな被害を受けた

もうその頃は負けると分かっていたと思うけれど一億玉砕などと言われ、父は敵が攻めてきたら一家で死ぬなどと日本刀を身近に置いていた

 

 その後広島と長崎に原子爆弾が落とされ全面降伏した。

 空襲の前、、空から落ちてきたビラの空襲の予告通り空襲が始まり「道後は残す」という予告は果たされた。

松山城と道後地区は焼け残ったがそこに進駐軍が滞在するようになりジープが走り回り私達子どもにガムやチョコレートをくれた。

鬼と言われているのに角は無かった。

 

 戦時中は憲兵に怯えて本音が言えなかった時代がGHQに置き換わっただけ。

 

 1957年六年生だったある日のこと教室の後ろに進駐軍の制服のアメリカ人が授業を検閲していた。

 戦争に振り回された小学生時代。

 

 平和憲法に胸が躍ったのに十年後、勤務評定、日米安保闘争で連日職場会や教育会館での組合大会で肺浸潤になっていた。 

 

 今、いつか来た道を歩んでいる。

 引き返すのは庶民の力を自覚するしかない。

 まりを守るのがわたしの務め。

流れを変えるには自分の意見を発信すること。

愛媛新聞の投書欄には高齢者の意見が目立つ。