「本当は◯◯は存在しない」
「だからあなたの考え方は改めたほうがいい」
という考え方を主張するのは
まぁちょっと注意かな
 
と、たまに思う。
 
 
 
「本当は◯◯は存在しない」の考え方を突き詰めると、
「全部 無に帰す」みたいなところまで行っちゃうので、
 
「本当は◯◯は存在しない」
「だからあなたの考え方は改めたほうがいい」
という自分の考えも主張も 存在しないところまで行けちゃう。
 
 
自分が言った言葉によって
即座に自分の主張を解体しちゃう感じになっている。
 
即座にと言ったけど
現象として体験するのは
もうちょっと時間がかかるだろうけれど。
 
 
 
 
相手の矛盾や間違い見つけてを問い詰めると
自分に矛盾や間違いが生まれて
そこを問い詰められるような形になる。
 
そこに気づくと
主張によって人を問い詰めるようなことは
おのずとやりにくくなっていくのだろうね。
 
 
 
 
「存在する」
「存在を感じられる」
という場で遊んでいるのだから
こんな話も無粋なんだろうね。
 
 
矛盾をよしとすることは
存在をよしとすることになるのかもな。