これは5月上旬に書きかけていた話。
論破すると ある面に固定される
これだけ書いて下書きに入っていた。短い(笑)
物事の見方、切りとり方って それはもう無数にあるんだけど、
論破したり、論破じゃなくても「これが正しい!」というのを強く主張するような感じのことをすると、
その「論」が正しく見える切りとり方に自分を結びつける感じになって 後々身動きが取りにくくなるなぁ。
そこからもう二度と動けない、離れることができない というわけではないんだけど、
強く主張した分だけ、あとでそれを撤回したり修正したりするのか手間になるからなぁ。
自分のプライドとか意地とかがあればあるほど 手間がかかる感じ。
自分の「論」で 鼻高々になった分だけ、手間が増えるみたいだ。
ちょっと大変になる。
というのを思いついたのでした。
それもいずれ
「いやはや、私もあの頃は若かったものです」
「いい経験をしたよ(苦笑)」
というふうになっていくんだろう。
いずれ、論破などできなくない心地になっていくのだろうし、
論破したいと思えるうちに論破を楽しむのが「旬を味わう」ということなのかもね。