「自分が一番輝いていたとき」
みたいなことをたまに考えるんだけど
それを考えていると必ず
うつでめちゃくちゃしんどかったときを思い出すのよね。
 
 
 
めちゃくちゃしんどくて
パッと見では輝きとは最も遠いところにいる。
ゴミだらけの汚い部屋に横たわって暮らしていた。
輝きというよりは汚い。
 
でも、一番がんばっていた。
言葉の通り 命を懸けてがんばっていたからな。
全力で元気になれる道、ありようを探していた。
 
 
あれくらいの全力をまたやれるか分からん。
できればやりたくない。
スーパーしんどい。
 
 
しかし、だからこそなのだ。
 
思い出補正もあるやもしれん。
でも、あれほどまで全力でなにかすることは
そうそうない。あってたまるか。
 
というくらいがんばった。
がんばれない心身でがんばった。
死ぬかと思った。
 
 
 
あのがんばり、あの本気、あの全力を
命の輝きと感じているところがある。
 
 
それと比べたら
今の私なんぞナマクラとか 残滓とか
そういうものである。
 
 
 
 
しかしである。
 
最近また
そういうタイプのがんばりができそうな予感がちょっとある。
 
なにそれ
不穏!(笑)
 
 
いや、
昨今の時流の変化が激しくて
「こんなことまで解明されちゃうのか!」
「こんなことまでできるようになっちゃうのか!」
というショックが大きくて
私はけっこうクラクラしているのだ。
 
しかしこれはまだまだ序章にすぎない。
冥王星水瓶座の時代はこれから20年もある。
変化の祭りが20年も続くのであるよ。
なんらかの事情で急死でもしない限り、私はその時間を生きるだろう。
 
 
 
解明や発展はうれしいことなんだけど
未知があるからこそ それを追いかける気持ちで
ワクワクしていたところがあったのだ。
 
それが解明発展とともにどんどん消えて、
最近どうにも ぽかーんとしている感じだ。
 
 
 
 
「さあ、じゃあどうする?どうある?」
というのを新たな未知として
探求の旅が始まりそうでもあり
 
大いに探したまえよ!
ふはははは!
ボン・ボヤージュ!!
よい旅を!!
 
と 私の中に高笑いしているヤツがいる。
たぶん私の天王星だ。1室射手座だ。
 
 
 
うつになったときとはまた違う感じで
全力をやれるのかもしれない。
 
見た目にはきれいなもんじゃないだろうが
あれが輝きに見える心の目も育ったから
(=己の天王星を自覚できるようになってきたっぽいから)
まあそれも悪くない。
 
 
願わくば うつみたいなことじゃなく
楽しさを感じながらそれをしたい。
 
たぶんできる。既に高笑いしているからな。
高笑いしやがって。あんにゃろめ。
 
 
 
 
というわけで
 
これからの20年、
出生図の天王星はおもしろいぞ。
 
 
 
 
 
そうか。
そこを楽しい未知とする手があったか。
書いてから気づいたよ。
 
ほれ、
私はアセンダントなど割といろいろ射手座で
楽しい未知がないと
「的を失った矢」みたいになっちゃうのだ。

 

 

 
最近の「ぽかーん」を やっと言語化できてホッとしているよ。
けっこう重篤だったのだ。
 
言語化したら、俄然 楽しくなってきた。
いいぞ(笑)