中世ヨーロッパのどの作曲家の作品かはわからないけど、聞き覚えのあるクラシックが流れている。
周りにいるのは20代前半の脂の乗ったサラリーマン男性グループと、30代後半ぐらいのバリバリの営業マン風女性が一人。
イヴの日に合コンでもして盛り上がったのか、笑顔で喋りまくるスーツ姿の若い男性たちの傍らで、女性は一人静かに本を読んでいる。
そして私の目の前には、普段は絶対にプライベートを見せない人物である武志さんという男性が、カフェオレを口にしている。
クリスマス・イヴをバイトで過ごし終えた私が意外にも武志さんに誘われ、やってきた場所は、想像していたおしゃれな飲み屋でもバーでもなく、チェーン展開している普通のカフェだった。
イヴの夜に、一緒に働いた後のお誘い。しかも、あの武志さん。
・・・ちょっとでもそわそわした自分が、情けない。
ふぅーっと時折深い息を吐きながら、武志さんはゆっくりと熱いカフェオレを飲み続ける。
今この状況に居ることが、本当に、不思議でしょうがない。
武志さんはいつも必ず22時からしか働くことができず、そしてあまり周りに自分を見せようとしない。
プライベートや生活そのものがまるで謎めいているが、少し日に焼けた黒い肌や、ゆるくあてられたパーマが時折潤んだ大きな瞳にかかる姿がとても美しく、どうも気になってしまう人。
最近、武志さん目当てにお店に来る女性客もいることに気づいた。
きっと、朱里もそうだったのだろう。
それほど綺麗な顔立ちをした人である。
そんな大人のムード漂う武志さんに誘われ、二人っきりでいることも驚きなのだが、その場所がカフェだということにも驚きを隠せない。
イメージでは、武志さんはこんな庶民的な場所には来ないはずだからだ。
「なんだかね」
席について3分、初めて武志さんが二人の沈黙を破る。
「こうしてると落ち着くんだ。色んな人の姿が見られて」
「は、はぁ・・・」
「俺らの店のバーってさ、ちょっとお酒も入るから、多少その人本来の姿と違う部分も出てきてしまうと思うんだ」
「はぁ・・・」
「でも、ここは違う。自らの意思で来て、自らこの空間に存在を置くことを望む人が来る。お酒もないのに長時間ワイワイと居続けたり、はたまた一人で自分だけの世界に入ったりね。みんな、どこかの居酒屋とか自分の家とか、他の場所でもできることを敢えてこの場所を選んでやっている」
「はい・・・」
「色んな人の人間模様とか、内面っていうのを、覗き込める場所だと思うんだよ、俺は」
「そう・・・なんですかね」
「あっ、ごめん、つい語っちゃって」
「いえ。・・・よく来るんですか?」
「うん、仕事終わりにね、一服がてら」
確かにそのカフェがある場所は、私たちの店から2分も歩けば着く立地だった。
駅からは多少離れた場所とは言え、それが幸いしあまりうるさい客を呼ぶことがなく、落ち着きを得られていると感じる。
「そうなんですね、意外です」
思い切って意外だということを伝えてみた。私にしては、めったに言わない本音だ。
「そう見られがちだけどね」
武志さんはそれまで斜め向こうを向けていた体勢をこちらの真正面に向き、
「一服って言っても、煙草吸わないからただの小休憩だし」
そう言って、カップの中身をこちらに向けながらクシャっと照れ笑いをする。
「実は、コーヒーだけっていうのは飲めないしね」
人は見かけによらないとよく言うけれど、良い意味で期待を裏切られたのはこの時が初めてだ。
その後少しだけ話をして、私の大学のこととか、武志さんが普段カメラマンのアシスタントをしていて、いつも撮影が早朝から一日かけて行われていることなどを話し合った。
武志さんはイメージと違って話すとそれなりに喋る人で、私たちの会話は割とよく弾んだ。
そうやって先生以外の人と知り合えば知り合うほど、私の中から先生に対する切なさが和らいでいくのを感じた。
でも、決して先生を忘れるということではなく、先生に会えない切なさやもどかしさだけを忘れることであり、
やはりこうした中でも、先生に対する愛情は、意識してか否かはわからずもどんどんと美化されていっていた。
会えない寂しさは、我慢すればいい。
周りの人たちが、支えになってくれている。
だから私は、先生を好きだということだけ思っていればいい。
時折、武志さんが遠くを見つめ寂しそうな目をしているかのようにも思えたけど、
そんなはずもないだろう、とさほど気にも留めず私はココアを飲み干した。
十分な時間をとった後、武志さんは「じゃ、帰ろうか」と私を促し、私たちはタクシーでそれぞれの帰途についた。