15


「そうか、大変だったんだね」

いつもの穏やかな声に包まれる。騒々しく、しかし活気に溢れた今朝からの一日とは程遠い心地良さ。

先生の声は、本当に私の心を体を、全て包み込む。

「うん、…はじめはどうなるかと思ったけどね。なんとかみんな元気になれて良かった。
お店にお金は置いていたんだけど、大部分はちゃんと銀行に預けていたらしくて。なんとか来月中には再オープンさせたいって言ってた」

「そうか。良かったな」

「うん」

「菜緒が大事だって言うから焦ったよ、さっきは」

「あぁ、ごめんごめん…いや一応ね、報告をと思って」

「はは。お店は菜緒の大切な場所だからな」

「うん…そうなんだ。ありがとう」

「じゃ、今日は色々と大変だったろうから、早く寝るのだよお姫様」

「あー。また私を子ども扱いするー」

「ははは。じゃあな、おやすみ菜緒」

「うん。おやすみなさい」



先生の目には、私のバイトはどういう風に映っているのだろうか?

楽しんで働いている場所?

かげがえのない仲間に会えた場所?

それとも、ただ教え子達がバイトをしている場所?

間違いなく言えることは、

はじめの2つは私自身が思っていること。

先生に会えない寂しさを紛らわすために始めたバイトだが、

間違いなく今の私にとって、必要不可欠なものになっている。

その「場所」が冒されたことは私にとって大変なショックだったが、

きちんと整理して先生に報告できたということは、もう精神的にも大丈夫なのだろう。



いや、先生に、報告…

本当に必要なのか?

先生にとって、今の私はどういう風に映ってるの?


14


かろうじて2~3脚だけ残っていた木製チェアに腰を下ろし、私はサブの宮元さんから事の経緯を聞いた。

どうやら昨晩、26時頃にお店を閉めてから今朝までの間に、お店に強盗が入ったらしい。

事務所にある金庫の売上金、そしてそれだけでなく店内のイスやテーブル、ソファといった調度品まで盗まれていた。

田嶋さんが海外から買い付けた、独特の趣のある品々だった。

そしてバーの命とも言える、ピカピカに磨かれたグラス達も姿を消していた。

薩摩切子、バカラといった私でも知っている有名なグラスばかりでこのバーは飲み物を提供していた。

お酒の美味しさだけでなく、店内・スタッフの雰囲気の良さと共に高級感あふれるグラス達もこのバー『ENCENS』の重要な要素だった。

オーナーの、そしてスタッフ私達の夢や居場所が、ごっそりと無くなっていた。



「みんな、話、できるか」

それじゃ、と警察官関係の人達がぞろぞろと店を後にするのを見送った後に、田嶋さんが私達に言った。

田嶋さんはすっかり意気消沈し、ボソボソと話すことしかできないほど衰弱しきっていた。

腕を組み壁にもたれかかっていた宮元さんと、私のそばで床に座り込んでいた哲も顔を上げて田嶋さんの言葉を待った。

「何て言ったらいいかわからないんだが…とにかく、こうなってしまって…」

ゆっくりと話しながら田嶋さんは涙目になりながら言葉に詰まり、下を向いてしまった。

宮元さんがそんな田嶋さんの肩にしっかりと手をかけた。

「田嶋さん、大丈夫です。みんなで力を合わせて、またENCENSを復活させましょう!」

宮元さんに続いて、哲も口を開いた。

「そうです!そうですよ田嶋さん!!また、みんなで頑張ればいいんすよ!!なっ!?小島!!」

「あぁ、はい!そうです!私、頑張りますから。何ができるかわからないけど…頑張ります!」

私も精一杯の気持ちを田嶋さんに伝えた。

「みんな、ありがとう・・・」

私達の言葉を聞いて、田嶋さんがようやくゆっくりと顔を上げた。ほんの少し、笑顔が見えた。

「けど、今日渡すはずの、今月分の給料なんだけど・・・」

「そんなのいいですよ、もっともっと後からで」

「そうっすよ!!俺、こう見えて貯金ありますし!」

「あ、私も、実家なんで全然問題ないです!それより、お店の復活をさせたいです。みんなで、頑張りたいです!」

「みんな…本当に、いいのか?…ありがとう…」

私達4人はやっと全員笑顔になることができた。

「さぁ、やることはいっぱいありますよ!頑張りましょう!」

宮元さんが元気に声を出した。

「ですね!よし、小島はまず、化粧だな!!」

「もっ、もう!!哲のばか!!」

あははとみんなで明るく笑い合って、私達はお店の復活を誓った。



「そういえば、武志さんには…」

哲の言葉に宮元さんが反応する。

「あぁ、俺から言っておくよ。あいつ、今日からパリだって言ってたから」

パリ!?聞いてない!!

「あ!そうでしたね、3ヶ月間でしたっけ?」

「知ってたの!?哲」

「あぁ、おぅ。なんだよ、お前聞いてなかったの?」

「うん、知らなかった…」

「武志は孤高の王子だからな。お気に入りの菜緒ちゃんには、サヨナラを言わず旅立ちたかったんだろう」

「いや、そんな…あ。哲と一緒になってお気に入りだとか言ってるの、田嶋さんなんですね!?もう!!」

「やべっ!田嶋さん、逃げて下さい逃げて!!ははは!!」



私達はこうして希望の明るい光が見え始め、結束力もより一層深まった気がした。

残念ながらお店はしばらく臨時休業、となったけれど、みんなであれだこれだと復興に向けて話し合ったそんな日も、なんだかいいと思えた。



お店はまた新しく、姿を変えてスタートする。

私達スタッフも皆、気持ちを入れ替えてそれぞれ歩き始めた。

そして、私の心の中も一つの小さな変化が起きていた。

不確かなようで、でも確実に、一人パリへ向かった武志さんが、存在し始めていた。






13


事件が起きたのは、その翌々日のことだった。

朝9時、哲からの「起きろ小島!大変だからとにかく店に来い!」という電話で飛び起きた私は、何が何かわからぬまま夢中でお店に向かった。

渋谷に着いたのは10時になる5分前だった。街にはもう人が溢れており、ベースメイクだけしかできていなかった私は少しうつむき加減で走るしかなかった。



お店のビルに着き、階段を下りてドアを開けるとすぐに、顔を真正面に上げないと信じられない光景が目の前に広がっていた。

複数の警察官と、現場検証をする捜査員と、肩を落とし青い顔でうな垂れている田嶋さんと、その後ろで伏目がちな宮元さん、そして真冬にも関わらず高揚した顔の哲がいた。

お店の中が、いつもよりガランとしていた。

お客さんがいないとかではなく、いつもあるはずの物や用度品がなかった。

何が起こっているのか、わからなかった。



「あ・・・小島」

入り口の一番近くにいた哲が私に気づき、はぁ、深く長いとため息をつきながらゆっくりこちらに歩いてきた。

「ま、とにかく入れよ」

哲はそう言い、ドアを閉めながら私の肩をポンと叩いた。

その感触が一瞬なのにとても重く、哲の体から力がまったく抜けていることがわかる。

「・・・どういうことなの?」

振り返った私と哲の目が合い、哲が口を開けようとした瞬間、中年の警察官の「オーナーさん、ちょっといいですかね」という声が聞こえた。

田嶋さんはうな垂れたままなんとか返事をし、警察官と話を始めた。

その光景を未だ状況が飲み込めずにただ見尽くしている私を、宮元さんが呼ぶ。

「あぁ菜緒ちゃん、来てくれたんだ。こっちへ。・・・色々と話さなきゃね」

そう言われ手招きされて店内へ進むと、ようやく気づくことができた。



お店は、昨日の閉店後から今朝までの間に、強盗に入られていたのだ。