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夏見ちゃんと朋香を授業へ送り出し、「図書館に寄るから」と言って朱里に先に帰ってもらい、
私と辰巳くんは少し時間を空けてから校内のカフェで待ち合わせた。
「なに?話って」
「うん・・・境のこと。お前も気づいたろ?」
「え、何に?」
「様子変だったじゃん」
「そう・・・かな」
「武志さんのハナシ!」
「・・・うん」
「そのことについて、言っておこうと思って」
ズズズっと、辰巳くんは熱いコーヒーを口にしてから言った。
「境な、好きだったんだよ武志さんのこと」
「えっ・・・」
「まぁ、色々あってな」
武志さん、22時からしか働きに来ない通称イケメンバーテンダーは、その私生活が謎めいていてちょっと不思議な人物。
生活感もなく、22時からしかダメな理由も、私に至っては苗字も知らない。
でもおしゃれヒゲの甘いマスクや、謎めいた妖しさにファンのお客様も多い。
「武志さんと朱里、付き合ってたの?」
手元のココアがだんだん冷めていくのがわかる。でも、こっちの方が気になる。
「いや、付き合ってない。あいつの片想いだった」
いつもお調子者の辰巳くんがこんな渋い顔をするのは初めて見た。
「まぁ、難しいよな、あの人は・・・」
ズズズっと、コーヒーをまた一口飲んだ。
「だからさっき小島にもあんなに当たりがきつかったんだ」
「・・・別に、気にはしてないけどね。何か変だなとは思ったけど」
「足繁く通ってたんだうちの店。武志さんに会うために。あいつ」
そうなんだ。びっくりして、言葉が出ない。
「小島にうちの店のバイト紹介したの、境なんだろ?」
「うん・・・」
「だと思った。うち公にバイトの募集とかかけてねーし」
「・・・なんで紹介したのかな?」
「小島をだろ?さぁな・・・そこは俺にもわからん」
ふぅん・・・とうなずいた。「冷めるぞ」と辰巳くんがココアを見て言ってくれた。
あぁ、うん、とやっと一口飲んだ。甘い味が広がってちょっと心を和ませてくれる。
「詳しいことは俺にもわかんねーんだけどさ」
辰巳くんの目を見た。
「あいつの前であんまり武志さんの話はしない方がいいかもな」
「うん、そうだね・・・」
「って言ってさっき話振ったの俺だけど」
屈託のない笑顔で辰巳くんは笑った。
「あ、そうだよ!もう・・・ほんと空気読めないんだから」
「わりーわりー。ちょっとあの反応は想定外だったもので。次から気をつけます」
「うん、そうしてよね」
辰巳くんと2人っきりでちゃんと話をしたのは初めてだったけど、
バイトで顔を合わすようになっていたからか、すごく自然に話せた。
私たちのお店に朱里が深く関わっていることは知らなかったけど、
辰巳くんがいてくれたらうまくやっていけるかもしれない。
「さー今日もあと1限勉強して働きにいきますか!お前は?」
あ、初めてお前って言われた。
「あ、やべ。ごめん小島。つい」
「ははっ、いいよ。私は今日バイトないしもう帰る」
「じゃーお前も俺のこと哲でいいから!みんな呼んでるし!」
「そう?聞いたことないけど?」
「いーいーのっ!大事なバイト仲間なんだからいつまでも『くん』付けとjかやめようぜ!じゃな!」
カップに残ったコーヒーを一気に飲み干し、辰巳くんは駆け足で4限へ向かった。
哲、か・・・男の人を名前で呼に捨てにするなんてしたことないぞ。ましてや彼氏でもないのに。
「小島ぁ!」
向こうから辰巳くんが呼んでくる。
「ココアちゃんと全部飲めよー!」
「や、やめてよ!」
カフェにいる周りの人に聞かれたのが恥ずかしくて、『もう!』と怒った動作でサインを送った。
辰巳くんは後ろ向きに歩きながら、笑顔で大きく手を振っている。
やんちゃだなぁ、と私も笑って手を振った。
すっかり冷たくなったココアも、口に含むと相変わらず甘くて、私を優しい気分にしてくれた。