全然合気道のことアップしてなかった。



3月11日の後、(その前からずっと休んでたのだが)体育館の点検休館などでずっと休みだったりもして、約5ヶ月休んでしまっていた。


そのままフェイドアウトしていくのがわりと普通のお稽古事のパターンじゃないかと思うのだが、私の場合なんといっても忍者と軍曹に日々あれこれ「命令」している身なので、こっちだけ

「いやいや、まいりました~私にはとてもムリでしたわ~へへへ」

と笑ってごまかして退散するなどということは当然許されないのであった。


で、悩みに悩んだ挙句、6月から忍者たちが通う本部に遂に行ってしまう事にしました・・・



行く前に、忍者たちの稽古の時、F師範に恐る恐るお伺いを立てたところ、

「初心者クラスとかいろいろありますから、どこでもいいから体験してみて」

といつもながら素敵過ぎるラフなお答えだったので、勇気を振り絞って、いきなり入ってみた。


2年前、何も知らない時には「本部ではとても恐くて出来ない」と思ってたけど、地元のY大先生の会に入ってみたら、巨人が多くて恐かった。恐ろしかった。



そんな経験を経て、今回、慎重に検討した結果、「ここなら本部といえど大丈夫かも」、と行ってみたそこは実際、天国だった。


辛くない、恐くない、痛くない、の三拍子が揃った「女性講座」。



師範も皆さまも、本当に優しく、温かく、親切にいろいろ教えてくださる。



Y大先生の会の女性陣も良い方ばかりだったのだが、なんかキビシすぎるんだよね雰囲気がさ。


だって、思い切って

「Y先生の会を辞めて本部に入り直して修行してきます」

って言ったら、皆さんが

「それがいいよ~~ここはY先生の技を研究する会だから」

って。

もっと早く言ってくれ~。

世界中から巨人が修行に来てる会だから素人は難しいと思うなあ、と始めに呟いてくださってもよかったんじゃないかと思ったりするけど~。



でもそういうことは全て

「up to you」

なのである、合気道では。

だいぶわかってきたんだけど。


恐ろしい・・・・。


まあ、しごかれた分(たぶん、たいして全然しごいてないと言われると思うが)受身も少し出来るようになったし良かったと思う。


Y先生にも5月の演武大会で偶然お会いでき

「本部でがんばって、またいらっしゃい」

と言ってくださり。


H先生もメールで

「求める時が来たらまたお会いしましょう」

と言ってくださり。


浮世離れした気持ちがした。


兎に角、

「up to you」

なのである。


いい日本語が浮かばない・・・・・



なので今は、楽しくいい汗流している。

あ、まだ吐いたりはしてますが。



F師範はしかし、そんな私の内心を知ってか知らずか

「女性講座はやさしくていいでしょ。少し自信がついたら初心者コースに挑戦してもいいですよ」

などとさりげなく言うのである。




今日(52回目)の覚え書き


天地投げの足の運び(暫くぶりで、全く忘れてた~)

背の高い相手には「地の手」を意識すればよい(なるほど!)


今日は両手取りが多く、ついていけず。


一教の受け、おなか見せない(蹴られるよ!)。内側の足から着くこと。(そうなのね・・・・確かにそうすると相手におなか見せない感じになるよ)


今朝久々に、イトコと午前中、長電話した。


時間がヘンなふうに空いてしまった結果、合気道サボって。


ああ後味が悪い。


でも楽しかった。


ふたりで喋ることといえば常にキーワードは「ヒエラルキー」「アンビバレンツ」「ルサンチマン」の3つ。


最近の流行語は「ルサンチマン」。

そそられるよねと言い合う。



話題がオザワでも、マツコでも、我らが中上健次でも、最終的にこの3つのキーワードで収束してめでたく電話を、切る。



是非はどうでも、このキーワードに心動かされない人とは喋りたくない。


自分を小市民で猥雑な輩だと自負する人とじゃないと喋りたくない。


それでもって本気で国家転覆を企んでる人とか、自分の不幸を全て外的要因のせいにしてる人とは勿論喋りたくない。




陰湿に隠された「ヒエラルキー」の存在するニッポンで、「ルサンチマン」にまみれながら、「アンビバレンツ」な感情に引き裂かれつつも酒によりなんとか心の均衡を保ってる私なのだ。


ってな感じで使い方はいいのかしら~。


こないだ書いたばっかりだけど、最近の公教育は兎に角「ボランティア」に熱心だ。


小学生の頃から、「職場体験」とか言って、近所の新聞屋さん、スーパー、寿司屋などに行かせる。


中学生になると、さらにエスカレートし、何年か前など私の憧れ上野の「国立博物館」に働きに行かせて貰ってた子もいた。


羨ましすぎる。



で、忍者はこの一週間、朝から夕方まで学校には行かず、中央図書館に直行直帰でお弁当まで持って働きに出ている。


毎朝、お弁当をリュックに入れて、いつになく気合いの入った、「さかなクン」とか「銀魂」とかのTシャツとジーパンの、ヤツにとっては正装の私服で出て行く忍者を、軍曹が非常に羨ましそうに見守っている。


私も羨ましい。



ピロコ(私の母)が言うには、二日目の夕方、帰ってきた忍者の第一声は

「今日は○○図書館に出張に行ってきました~」

だったそうだ。



私は

「大丈夫?失敗して叱られた? いいんだよ、一生懸命にやれば」

とか陳腐な事しか言えなかったってのに。


本人は全然超越してる。


「読み聞かせ」とかも担当し、帰ってきて

「本の選択を間違った」

とボヤいていた。

「思ったより、大きな子たちが来て、易しすぎて面白くないようだった」

と言っていた。


そうなんだよね、本選びって結構難しいけど、易しい言葉ばかりで出来てても、心に残る奥の深い絵本て探せばあるよね

昨日、駅前に「社会を明るくする運動」の手伝いに行って来いと区の担当者から言われ、昨年はバックレてたのを、仕方ないので行きました。



中学生6,7名、馴染みのイケてる新任校長先生もすでに参加してて、私が近寄って行くと

「これをどうぞっ」

とティッシュとチラシを押し付けられた。



最近の公教育の現場では「ボランティア活動に参加する」名目が盛んなのだ。



「今日は私もそっち側です」ということで、オバちゃまオジちゃまたち(どちらかといえば、「ちゃま」の前にさらに「ア」とか「イ」とかが入る年頃の民生さん保護司さんとか)から大量のティッシュなどを受け取り、駅の反対側へ移動。



いきなりガンガン配り出すワタクシ。



最初の3人くらいに完全にムシされる。



ちょっと心に畳針を(それは死ぬ)ズキンと刺された感じだったが、めげることなく4人5人あえて淡々と行くうち、受け取ってもらえ始める。



私には最初から作戦があった。



作戦その一

オバチャンはティッシュ好きだから、まず受け取ってもらえる。

すると、集団心理でその後来たヤツらも次々と受け取るであろう。

まずはオバチャンを狙え。



作戦そのニ

「社会を明るくする運動」とはそもそもなんぞや。

まずその基本をわかっておらず、のろのろと来るだけ来たワタクシ。

声かけになんと言えば効果的であろうか。

「社会を明るくする運動で~す」

なんて叫んだら、アブない(もしくは流行らない)宗教か、アブない(もしくは流行らない)政党関係と間違えられるのが関の山だ。

NGワードである。

チラシを熟読してみる。

要は、犯罪や非行を犯した人たちの更生を地域、社会全体で温かく見守り支えてゆこうではないか、という主旨と、更生に関わる保護観察所など行政関連の活動の紹介だった。

けっこう深刻な内容だから、

「犯罪者もひとりの人間です!」

とか

「非行は一度まで~」

とか言えないし、全然キャッチーなフレーズが浮かばない。

仕方なく、陳腐に

「法務省のお知らせです~」

と、「アブないモノではございませんよ」とアピールするために国家権力の威を借る狐となってみた。





これが功を奏したのか(それでも受け取らない人もいる、3、4割は受け取らない)リズミカルに渡せるようになってくる。

わんこそばを「ハイ!ハイ!」とお椀に入れ続ける絣の着物のオバチャンの心境だ。





心に余裕が出来たので中学生に目を向けたら悲惨な状態。



歩道の内側の邪魔にならない一番端っこで「お願いします」と、か細い声を出している。

するとあろうことか、通行人たち殆どが、全くの素通り。



イヤそうな顔をするでもなく、体も避けるわけでなく、中学生たちが透明人間かのような扱い。





なんとオバチャンたちさえもだ!



オバチャンという種族はすべからく「ティッシュに弱い」と思っていた私の認識は裏切られた。



なんだろう、日本がまだまだ豊かだからだろうか。

日本人は徹底的に恥ずかしがりやさんなのだろうか。



わからない。



たまに「スミマセン」顔をする人が(手の振りとか口の動きで表現する人も)いて、これはまあいい。

許す。


でも、ティッシュだよ。



毛虫とか覚醒剤とか配ってるんじゃないのに。





可哀相になった私は中学生に歩み寄り

「きみたち可愛すぎるからさあ、おにいちゃんとかドキドキしちゃって貰えないんじゃないの」

とか言ってみる。

ほんとに可愛い子たちなのだ。



そのカワイコちゃんたちが制服姿で「社会を明るくする運動」のタスキをかけて「お願いしまあす」とやっとのことで声を出しているのに、なんてことだ。



皆の袋の中を見たら全く減ってないのでガバっと手掴みでこっちの袋に入れ

「あとはがんばって」

と言って、ほんとは足は一歩踏み出してみよう~とか指示してもよかったんだけど、あえて何も言わず、こっちは3歩くらい踏み出し、関所で止めるくらいの勢いでさらに配る。



考えてみたらティッシュ配り、生まれて初めての経験だ。

楽しい。



遠くから来る人は直視せず、なるべく横目で捕らえておいて直前に来たら何気なく渡す。

「この人貰ってくれるかな」

って感じの人にあえて挑戦してみる。



日本国籍ではなさそうな人たちは最も嬉しそうに受け取っていく。

「ナニカイテアル?」

とか

「アトデチャントヨムヨ」

とか言ってくる。

そうかそうか。

私もN.Y.でチラシ配ってたら拒否しないもんね。




「知り合いが通ったよお!恥ずかしいよお」

と言ってた中学生のカワイコちゃんたちのひとりが20分くらい過ぎたら、

「楽しくなってきました~」

と言ってくる。



瞳がキラキラしていた。


最後は
「あと一個だ~」

とか言い合って皆笑顔だった。


いい経験だった(私も)。



校長先生が

「大変だった?これからはきみたちもいつも受けとってやれよ~」

とニコニコ言った。



渋谷とか、新宿とか、配られてるのはいろいろとアブない系ばかりですけどね・・・先生。




昨日は先日の続きでお誘いをうけ「読書会」なるものに初参加。


課題図書が趣味に合わず(ファンタジーとノワールとミステリーとロマンスが詰め込んであって、どれも消化不良気味)、そこは期待外れだったが、なんと田口俊樹さんと染田屋茂さんの両巨匠翻訳家のほか、田口さんの弟子にあたる芹沢恵さんもいらしていた。


私にしてみれば、アルゲリッチとクレーメルとバレンボイムの3人に囲まれてるのと同じくらいのテンション。


あ、この三人、確か色々関係があぶなかったっけ。

ま、音楽は人間関係、関係ない。

いい音楽やる人はエモーショナルなのですから、色々あって仕方ないのです。



それはともかく、憧れの翻訳家の巨匠たち三人、まず田口俊樹さんといえばローレンス・ブロック、ベニオフやマーゴリン、ジョン・ル・カレといった私の大好きな作家たちの最強の訳者である。


その私好みの文学的な文体、読めば読むほど味わい深いのだ。


染田屋さんは、「極大射程」のスティーヴン・ハンターや、私は好みじゃないけど日本人受けしてるらしいトマス・クックの訳者だ。


ハンターはほんと全ての作品に外れがない。



で、初めてお会いした芹沢恵さんは凄い美女でした。


作品は、フロスト警部ものを私は読んでいるけど、お下品な警部に、品格のある訳がマッチしてて非常に小気味よいのだ。



私にとっては憧れの翻訳家になる人ってどうやってこの仕事を選択したんだろう、と常々思っていたので、二次会では田口さんや染田屋さんにインタビューしてみたが、基本、出来る方というのは皆さん謙虚なのだ。

謙虚極まりない。


全く自慢話とかなさらない。




紙媒体は今後どうなるのかとか翻訳ものは何故売れないかとか、どうしても不景気な話になりがちではあったけれど、この10年ほど、国家行政でも「読み聞かせ」をかなり推奨してて予算も出してるので、あと10年もたてば、「活字離れ」も少しは解消するんじゃないか、と気休めで言ってはみたが、冷めた空気が漂っただけで、考えてみたらその頃にはおふたりともさすがにそろそろ引退される頃であろう(現在還暦過ぎ。のようには全く見えずお若いが)。


字数制限のあるツールが増えてるようだし、携帯小説も人気だそうで、文学の形態も過渡期なんだろうか。


しかし文学系の雑誌では、懸賞を応募すると雑誌の発行部数より多くの作品が持ち込まれるそうだ。


アメリカも同じで、皆、読むより「自分が書きたい」時代なんだそうだ。



私もなんの因果かこのブログなんて訳わからないもの書いてるし、ある程度豊かで平和だと人の関心は社会より自分の中に閉じこもって、その興味のあるところだけに特化して表現したくなるのだろうか。


先日、尊敬する翻訳家のT先生やS先生と飲む機会あり、話題がアル中のことになり、私がアル中を公言したところT先生に

「飲んでても仕事もちゃんとしてるんでしょ?(という仮定がそもそもおかしいけど)、そんなのアル中とはいえない、おこがましい」

とびしっと言われた。


そうなんだ。

ずうずうしいくらいだったんだ。

肩の荷が下りました。


アル中予備軍が皆で、

「朝から飲むようになったらまずいらしい」

とか中途半端な知識で真剣に語っているのが面白かった。


私の中途半端な知識では、いちど依存症になってしまったら、もうその後、一度でもまたお酒に手を出したらその瞬間に「アル中認定」に逆戻り、という話を以前、医療関係者がしてたのが生々しかった覚えがある。


最近私はそんなに飲んでません。

昨日は台風が近づく中、歩いて JIROKICHIへ。


チャック・レイニーは去年だったかに一度、レイニーズ・バンドを聴きに行ったら客席にいて、飛び入りしてくれてちょっと聞けたが、2セット、顧問?でもあるそのレイニーズ・バンドとフルで共演するというのは、現実感が薄かった。


でもその日がほんとに到来。


メンバー

Chuck Rainey(b)、カズ南沢(g、v)、青山純(d)、森園勝敏(g)、mac清水(per)、エルトン永田(key)、ボブ斉藤(sax)。



しかし、凄かった!


いちばん凄かったのは、チャックと青山純とのグルーヴ・ミックスでした(レイニーズ・バンドと関係ないじゃん!)。




以前行った達郎ライブでは、ちょうどサポートを辞めちゃった(辞めさせられた?)時で、その時は小笠原くん(この人もめちゃ上手かった)だったので、今回初めてのナマあおじゅん。


叩く座禅(あ、これは「動く座禅」といわれてる合気道のパクリです)と、グルーヴ・マスターの共演といった感じ。


あおじゅんはほぼ静止した独自なプレイスタイルだった。

もうすこし、フツウは肩から(合気道的には肩甲骨から笑)行くはず。

でも、上体が硬い感じは全くなくて自然。


ひたすらマスター(chuck)のグルーヴを全身全霊を傾けて聴いてる。


「復活した」とカズさんが言ってたけど、病気だったのかな。



chuckの老練なグルーヴと、あおじゅん独特のグルーヴが、ほんと「若いモン」には絶対出せない深い一体感に結晶してた。



正直、セッションという感じじゃなくて、完璧に出来上がった「バンド」の音でした。


まあ、レイニーズ・バンド自体、もともといいバンドなんだけど。


レイニーズ・バンドというよりはパンフにもあったようにSons & Daughters中心なのか、重複してるメンバーがいてよくわからないけど。


森園さんは外部?の人だけどspicyなアクセントになってて、これがまたよい。

何をやってもキメる方。



贅沢すぎるバンドだった。



特に1セット目はゲストもなく、ガッチリ固めて完璧。



あ、波多野哲也くんが2セットとも途中で数曲、あおじゅんに変わって叩いたんだった。



ふたりドラマーがいたからよけい顕著なんだが、同じドラムセットなのに(スネアだけは波多野くんが取り変えてた)音が全然違う。


波多野くんは若くて、アグレッシブで上手いドラマーなんだけど。



あおじゅんの、タイトな音色、ハンパじゃない。


狭いハコだからナマ音を堪能しました。



ここまで漕ぎつけるのは大変だったそうだが(mac氏のおかげだそう)。


chuckはわざわざ最後にマイクを取って、「みんなとこんな近いとこでやれてよかったよ~」と言ってくれていた。


カズさん曰く、「いつも高級クラブでしか演奏しないチャック」なので、客の方こそ大満足。


素晴らしくジェントルでインテリジェントな人である。



'63年のビートルズツアーで、前座としてキング・カーティスバンドで参加してたそうだ。

盟友デュプリーも一緒だったのか、私はあまりデュプリーを聴いたことがないので、話の流れをもう忘れてしまった。


そのほか、カズさんが日本語で色々喋るのだが(チャックへの感謝の気持ちとか)、訳す気がないようで、チャックはなんて言ってるのか訊きたがっていて、macさんがやきもきして仕方なく遠くから訳したりして、音楽でのみ会話してるいつものカズさんらしかった。


昨日、区の内輪の?会で、バレーボール元日本代表白井貴子さんがお話しに来てくださった。


このところ、各界を代表する方のお話を聞く機会が多いが、特に感銘をうけた。


端的に話がうまい。



エースストライカーだったわけで見た目も大柄だし、喋り方もまさに「竹を割ったよう」だ。

ということで、ひたすら「豪快」にみえるけれど、「性格は見た目と違うんですよ」と仰っていた。


いちばん好きな練習は、大抵みんながいちばんキライなサーブレシーブだそうだ。

半日やっていてもいい。


理由は、

「バレーボールで、唯一1対1で勝負できるところだから」

だそうだ。


まあ、このエピソードに白井さんの全てが入ってる気がする。


もっとも地味で苦しい練習が好き。

チームプレーの中でも個を確立している。



そういう人でなければ大成はしないのだろう。




お話その1


『何かを教わったとき、「出来ない」という人がいるが、「出来ない」のではなく、「聞いていない」ことが多い。』


・・・・なるほど。




お話その2


『小学校3年にもなると、子供たちには世の中には「区別、差別、理不尽てものがある」と話す(白井さんは現在、子供たちへの教育活動を区に在籍して行っている)。

区別は男と女みたいな差。

差別は太ってるとか痩せてるとか周りに言われる事。

理不尽は、自分ではどうにも出来ない事。』


思わず、居合わせた行政の人たちの顔を見たが嬉しそうに聞いていた。


子供たちはまだ漢字もわからないが、「り~ふじ~ん り~ふじ~ん」と言いながら帰るそうだ。




お話その3


『他人と比べるな。昨日の自分、明日の自分と比べろ』




その他にも、バレーボールの練習にはいろんな学びが入っている、算数(点数つけ)も英語(アウトとかオーバーハンドとか)もある、そういうことや遊びの要素を非常に上手に取り入れている様子がお話から伺われた。



よく「一流の選手、一流の指導者にはあらず」ということが逆説的に言われるが、白井さんやバドミントン世界一の湯木博恵さんなど、現在区で指導者として活動して下さってる方たちが指導すると、超弱小チームが、いきなり強豪に連戦連勝という、漫画のような結果がたちどころに現れるのだ。



それは、気の遠くなるくらい重ねてきた努力と、日々考えて実践してきた経験への確信と、さらなる向上への比類なき探究心の必然であって、結果を想定したものでないことは言うまでもない。



「苦労」が滲み出ない人柄の厳かさを感じた。


昨日はお江戸日本橋亭の落語会へ行く。


出演者自ら言っていたが、大物(小朝や志の輔とか)はほぼ出ないこじんまりしたハコだ。


しかし昨日の出演者はなかなかバラエティに富んでいて、憧れの林家ペー師匠がゲストで出て、漫画家の尾瀬あきら氏と元文部官僚(といったらよいのだろうか)寺脇研氏の対談もあったり、尾瀬さんが少年漫画雑誌で絶賛連載中らしい「どうらく息子」のサイン本ももれなくついてくるという、このところ問題の焼肉屋とは違って「安い上、本当にお得」で盛り沢山な会だった。


それもこれも私の好きな馬るこちゃん効果である(彼が新米落語家としての苦労話をあれこれして尾瀬先生に協力してる)。


その馬るこちゃんは「文七元結」だったが、また腕を上げていらした。



鈴々舎馬桜師匠は音曲噺二つ、「虱茶屋」(これはよっぽど洒脱にやらないとなかなか見てるのがキツイ噺)をやったらそのまま「稽古屋」に突入。

大好きな噺だ。

二席目は「貧乏神」、これも楽しい噺。


邦楽の素養が必要なこともあって、最近はあまりやらない噺らしい。


どの噺も、想像上の「江戸」が目の前に広がる幸せな時間。



ペー師匠は最近凝っている「落語」に挑戦、演目は「時そば」のアレンジで「歳そば」。


下手だったし、「脳天気」を「ノーウェザー」とか英語を入れまくりちょっと前のルー大柴かとも思ったけど、足袋までも全てショッキングピンクで揃えたお召し物でまばゆい極限まで光り輝くそのお姿を拝めただけで満足。


最初はとくに、落語をやってる自分に居心地が悪そうだったが、徐々に乗ってきて、後半は漫談と落語の間にある深い溝を越えかけていた。


たい平さんの弟子である(ややこしくて素敵)ペー師匠の今後の落語に期待。


たい平さんといえば、忍者がまだたしか0歳の頃、どうしても行きたくて落語会に波平と行き、交代で、ひとりが中に入り、ひとりはロピーで忍者をあやしていたら、通りかかったたい平さんがヘンな動きと顔で一瞬のうちに赤子の忍者を爆笑させ(赤ん坊があんなにバカ笑いするのを初めて見て自分の子ながら唖然)、気を良くしたらしく相当長く赤ん坊を笑わす事にひとりで熱中していたのを覚えている。



尾瀬氏と寺脇氏の対談では、寺脇さんが、最近の風潮として「うまい」落語家ばかり皆さん聴きたがるが、「落語がうまい人」と「落語家」とはそもそも違うもので、二つ目さんなど最初のうちは噺が下手でも当たり前だし、色々な落語家さんをずっと聴き続けることが大切じゃないか、「落語は落語家の人柄3分の2、噺3分の1で出来ている」というような自説を熱く語っていた。


それでいくと、私は「うまい落語家」「人気のある落語家」にあまり興味がないというところでは共通してるかも。


生来の天邪鬼だし、権太楼さんや昇太さんはお客さんたくさんついてるからその方たちにお任せしているのだ。



尾瀬氏は少年の頃からラジオでナマの円生師匠などを聴きまくっていた落語ファン、寺脇氏も一番落語を聴いた年で年間1700席以上(官僚の頃。仕事はサボっておらずフレックスタイムを利用しただけであると国会答弁のように落ち着いて答えていた)だそうだ。


私は昨日、七席聴いたが、これくらい一日に聴いても年240日以上聴かないと1700席にはならない。


「自分は本物のオタクである」と胸を張っていた寺脇氏に対抗しようとするのは無茶というものだ。



今日はチェロの稽古に伴奏でついて行き、N響の稽古場に初めてお邪魔した。


建物の中はコンテナ状の楽器入れ?が木材のように立ち並んでいて、ティンパニも無造作に置かれていたり、歴代の指揮者の特大のパネルが踊り場に並んでいたりで、もの珍しく楽しかった。


日本はカタチの見えないものにかける国家予算が少ないと常々感じているが、とりあえずN響は独自のビルを持っていたことになんとなく安堵する。



レッスンが始まると、なんといっても先生がお手本で弾いてくれた音色が素晴らしく、久しぶりに一体化した音が私も出せて、気持ちが良かった。


やはり良い演奏家の音は技術だけでなく魂が入っている、ということは稽古の合間の話からもわかる。


一番印象的だったのは、弓の扱い方の説明。

スポーツに例えて、テニスでも野球でもゴルフでも球に当った時がスウィングの終わりじゃないのと同じで、弓をもっと振り切れ、と何度も注意してらした。


まさにその通りで、音が出た瞬間が到達点と捉えてはいけない、ということはピアノも同じで、その響きが終わるまでを考えて音を出す(ヒットする)事は非常に重要だ。


改めて確認し、教える側としても勉強になった。