今日、生徒さんから運指のことで何人も続けて質問があった。


同じ音を同じ指で連打するのは有効的じゃないといつも丁寧に言ってるつもりなんだが、すぐ意図を理解して貰えないことが多い。



小利口な子供だと口をとがらして

「おんなじ音なんだから、おんなじ指で弾けばいいじゃ~ん」

と言ってくるので、実際にやってみせるのだが(指を変えれば音のツブが揃うだけでなくずっと弾いていられる、同じ指で弾き続けた場合、すぐ弾けなくなる。それを見て「わざとやってるんでしょー」とか言う小賢しい奴にはもう問答無用)、大人でも頑なに「違う指では難しいから弾きたくない(もしくは弾けないと思い込む)」人が多い。

あまり聞いてない人も多い(10代の頃の自分だ)。


で、今日も

「ほんとに違う指で弾いた方がいいんですか?やりにくくて出来ないなあ」

と、今までにも何度となく繰り返してきたセリフを呟くので、面白いなあと思わず

「ご自分の専門分野で、お仕事をしてる中で、シロウトには回り道をしてたり難しそうに見えても、実はそのやり方の方が結果的には速さ、正確さなど効率が良い作業ってありませんでしたか?」

と聞いてみたら、

「考えたことありません」

とあっさり言われた。


そうだよね、「人に教える」って、社会に出て年数を経ると、意外と誰でもやらなきゃならない事なんだけど、あまり「教えてる」って事を考えてないで教えてる事が多いんだよね。


私が「教師」と名のつく職業をあまり信用出来ないのは、誰でもが教師なのに、ことさらその肩書きを持ってる人をまずは胡散臭いと思ってしまうから。



脱線したけど、最後に私は今日、遂に断言しました。


「好きな指使いで弾いてもいいですよ。(かなりなトシになって、趣味で楽しくやりたいのに、年下の訳わからない人間にあれこれ指図なんか、そりゃされたかないよね。気持ちはわかります。この辺りの『引き際』が、プロを養成してる訳じゃないので、いつも私の悩むところ。) ただ、その指使いだと、決して綺麗に弾けませんケド」



同じ音を連打する時は、ゼヒひとつ運指は321(4つなら4321とか)でお願いします。


その後、別の生徒さんと今度はあの伝説的な?ショパンのノクターンop.9-2の指使いの件でも一騒動。


左手の指使いがほぼ皆、初見ではお門違いになってしまうあの曲だ。


今日の生徒さんは音大行ってたくらいだから、流石にすぐ運指の重要性には気がついて必死に直している。


私自身、中学くらいまで指使いなんてなんでもいいだろくらいの気持ちだったダメな人間なので、かなり必死で、「何故その指使いが有効か」についていつも意見してるつもりなのだが。


ノクターンを弾く時、「どうせペダル踏めば音はつながって聞こえるから、指使いは適当でいいんじゃないですか~」とまで言う人もいるが、ペダルは音をつなげる働きは勿論するけど、基本的には音の響きを変化させたり効果的にするもので、間違った指使いだとアーティキュレーションがちゃんと出ないので、指使いが適当だと一見つながってるようでも、不安定さは確実に音に出る。


そのあたり、今日の生徒はその違いをやってみせると、ちゃんとした指使いの方を

「色気があるっ」

と悶えていた。

スルドイ。


確かにショパンが艶っぽいのは、ペダルちゃんの扱い方、遊ばせ方に非常に長けていたということに一因がございましょう。


オトナです。


今朝BSで、知らないクラリネット奏者(モーリス・ブールグ)が、パヴェル・ハースという知らない作曲家の組曲をやっていた。


知らないづくしだったが、現代曲らしくひんやりした中にエモーショナルさもある曲で、聴き入った。


伴奏もいいなあと思ったら、私の好きな野平一郎だった。


ソリストとアカンパニスト互いの音楽性を信頼した演奏で、TVを通しても魅力が伝わってきた。



途中から聴いて、アンコールはシューマンの歌曲。


ロマン派くらいまでの曲ってどうしてこうも心が洗われるのだろうか。



後でネットで調べると、パヴェル・ハースはチェコ人で、アウシュビッツのガス室に送られ亡くなった若い作曲家だった。




聴いていて、関係ないが、素晴らしい演奏家の共演ということで思い出した。


パリのシャンゼリゼ劇場で、ブラームスのチェロソナタを、ヨーヨー・マとエマニュエル・アックスが演るというので行ったことがある。


熱い演奏だったけど、何より吃驚したのは、ピアニストのアックスが暗譜だったこと。



よく忍者たちの学校や、招ばれて見に行く合唱祭とかで譜面を置かずに伴奏している子供を見ると(酷い時は、教師に「譜面を見ないで弾きなさい」と言われてくる子供までいる)、指導者はどう考えてるのかと思ってしまうけど、アックスはプロ中のプロである。


独奏とは違って不慮の事態もある訳だから基本伴奏者は譜面を置くのが常識だ(勿論、覚えるくらい弾いとかなきゃいけないのですが。←最近そこを大変に怠って、こないだ酷い伴奏を弾いてしまった自分への戒め)。


アックスもプロのピアニストとして別に譜面を置けばよいのだが、暗譜で完璧な演奏をするのだ。

もう脱帽。


完璧というより、ほんとに楽しくて仕方なく弾いてる感じで、恐ろしくて震えた思い出がある。

'92年頃の話だ。



この時の旅では、サル・ガヴォーで、大好きなモンセラート・カヴァリエのソロ・コンサートも聴いた。


スカルラッティなどの渋いプログラムを流れるように歌って、あまりのうまさに圧倒された記憶がある。


彼女もカツァリスのように大変お喋りで、歌の合間に井戸端のオバチャンのように(がしかし、声は限りなく美しく「ほっほっほ」と高く柔らかく笑うのがたまらなく魅力的)客席へ語りかけていたのも印象的だった。


何を喋ってるのかわからないのが残念だったが気取らず親しみやすく、歌になると一気に崇高さと甘美さが一体になって押し寄せてくる、素晴らしい歌唱力だった。


ソプラノなのに鋭さがなく深く温かい高音が大好きだった。




この一週間ほど旨い日本酒を飲み続けるだけで生産性は一切ない生活で、昼寝までする。


墨田鐘ケ淵の名店「十一屋」、神田の「新八」を波平とハシゴする。

新宿の「すみよし」でも浴びるほど純米酒を飲み続ける。

で、木曜から三日間は金沢で、へしこやコノワタとともに手取川、宗玄などを堪能し、菊姫の山廃や前田利家公などを購入、帰ってからカニ味噌や烏賊の柚子粕漬けなどでひたすら飲んでるが、合気道体操のお陰か調子も悪くない(気がする)。


菊姫山廃が濃厚でとても旨い。


干したホタル烏賊を炙ったのをサカナに、ちびちび飲めば日本海の匂いが蘇る。



大抵の山廃純米酒は美味しいと相場が決まっている。


何度「山廃」について飲み屋の大将が教えてくれても、飲んでるため忘れてしまう。


いくら飲んでも顔色に表れないため酔ってないと思われ熱心に薀蓄を語って頂くが、残念ながら次の日、その時の会話はまったく覚えてない。



山廃はなかなか難しい製法のようだ。


丁寧な仕事をする、良い酒蔵でないと作れないらしい、つまり飲み手に好都合なものらしい、ということだけシッカリ覚えとこう。

フリードリヒ・グルダも聴きに行くことが出来なかったピアニスト。


なのでユーチューブで弾く姿を堪能する。



ギレリスやミケランジェリ、ルドルフ・ゼルキンなど、こんなに「弾きながら動く彼ら」が見られる時代が来てた(とっくに)とは。


ルドルフ・ゼルキンのベートーヴェンの演奏など、力技じゃなく味があって、音だけだと渋すぎるところ、映像で見ると指の繊細なタッチなどまた格別に良い。


グルダのバッハは、前から華やかで闊達で好きだけれども、ベートーヴェンはさらに好き。



ベートーヴェンはどうも最近の若い子たちからは嫌われるけど(「暑苦しい」から)、といっても、自分も二十代では避けて通っていたかもしれない。


ベートーヴェンて最初はひたすら圧倒されて、弾いてるうち暑苦しく感じられてくる代表的な作曲家なわけだ。


モーツァルトは弾いてるうちひたすら難しいのがわかってきてイヤだし、バッハは最初から難しいからイヤだし。


ブラームスは最初わからないことも多いけどグングン気持ちが盛り上がってくる。


シューベルトは最初は楽しいけどだんだんわからなくなる、ことが多い。

結局なんでももっと研究しなさいということに尽きるのだが。


ずっと稽古が楽しいのはショパンくらいであろうか。

さすがピアノ弾き。



ベートーヴェンに戻ると、ピアノソナタという枠の中で、これ見よがしでなくオーケストレーションをあれだけ溢れさせ、響かせる作曲家も他にいない。


バッハは音楽を超えたものだけど、ベートーヴェンは音楽そのものだ。



グルダが颯爽と、ベートーヴェンが感じていた音と音とのつながりのバイブレーションを今の時代に再現するのが好きだ。


と、楽しくグルダのワルトシュタインなどを聴いていたら、なんとザヴィヌルと共演してる映像などがある。



チック・コリアとかキース・ジャレットがモーツァルトを弾いたりするのが好みじゃないので、グルダのジャズも聴いたことがなかった。


恐かったけどチック・コリアやハンコックとやってるのなどいろいろ見てしまった。


ザヴィヌルとふたりで出てきた時はちょっと目を疑った。


ソックリな帽子をかぶってて見た目が似てるのだ。


そういえば両者ともよくその神父みたいな帽子をかぶってたことに気がつく。


共演してるジャズ・ピアニストの中では相性はいちばん良さそう(というか似てる)だし、興味を持って聴いたけど、特に面白くもスリリングでもない。



やはりキレイな音でgrooveとは違うもので、落語の「寝床」のようなものでしょうか。


まあ月並みな言い方だけど理論で弾いてるというか。


コール・ポーターはまあいい感じ。

ラヴェルを弾いてるようではあるけど。



という事で飽きてきたので、ザヴィヌルのボコーダーを聴いてたら、昔、BLUE NOTE(in new york )で聴いたスリリングなザヴィヌル・シンジケートを思い出したので、リチャード・ボナ、パコ・セリーがリズム隊のなど見て止まらなくなった。


私が実際、ザヴィヌルを間近で見たのは、まだ「black water」の頃だったと思う。


ザヴィヌルがエネルギッシュで、あとスコット・ヘンダーソンが凄かったのしか覚えてないが。


ザヴィヌルは作曲能力だけじゃなくてプロデューサーとしての才能もジャコに始まってbandのメンバーを選ぶ嗅覚も凄い。


リズム隊に対しての貪欲さは年をとっても衰えなかった。



音楽にも表れてるけど、自分に必要なものを客観的に見られた人だったと思う。



結局、最後はweather report見て終わってしまった。


今日もdedicated to you tube。



面白い。

すっかり、クラシックをユーチューブで見るのにハマッてしまった。

マズイです。


ということで、見まくってるうち思い出した、色々について今月は書いておこうと思う。


まずは、世の中で一番好きなピアニスト、リヒテル、なのだが、シューマンが全然合ってなくてもう吃驚。


なぜかシューマンを弾くリヒテルが次々出てきたので聴いた結果、フーガ以外、堅苦しくて笑っちゃうほどイケてない。


フーガはもともと理性的なスタイルだから、シューマンのロマンティシズムが押さえられてて、そこにリヒテルの人間的な表現力が奇跡的にハマったらしい。


そもそもシューマンは自分が弾く以外、聴いた事がなかった。

それは、シューマンが文学的すぎて趣味じゃないから。

自分が繊細じゃない事がバレるので恥ずかしくて言いたくないんだけど。



でも、いいや、リヒテルも、なんか違うシューマン弾いちゃうんだから。



ということがわかりました、終わり。


では身も蓋も無い、リヒテルさまがいかに素晴らしいかを実は私は知っているのだ。



ベートーヴェンのソナタなどを実際聴いて(in東京文化会館 確か1列目)、そのデュナーミクの凄さ、ペダリングの凄さ。


あんなにその後何日も感動して、猿真似みたいにペダリングをやったり(ものすごく細かく踏む)、オクターブをなんとかああいう音が出ないかしらとムダに憧れたことは他にない。


あと「憧れ」としては、カツァリスが弾く前に怒涛のように曲の解説をして(in Paris)、ピアニストって弾いて表現するだけじゃなくて、面白ければこんなに喋りまくってもいいんだと納得したのと、ピーター・ゼルキン(in 東京文化会館 小ホール)のゴールドベルクが研ぎ澄まされてて格好よくて、帰ってマネしまくってた(何を?)くらい。


こうして書くと、全く脈略のない三人だけど、偉大です。



そういえば、聴きたかったけれど聴けなかったピアニストは、今思いつくのはピーターの父、ルドルフ・ゼルキンと、グルダ、パウル・スコダ、イェルク・デムスのウィーン関係の四人。

やはりあの辺の人たち(土地も)に永遠の憧れがある。


デムスはジャズでいえばトミー・フラナガンみたいな人だったと思う。


フラナガンは亡くなる2、3年くらい前だったと思うが、ヴィレッジ・ヴァンガードで聴けた。

トシなのに、技術より何より(指も非常によく動いていたけれど)、アイディアと表現力に全く衰えが見られなかった。


ブルーノートtokyoで往年の貯金を食い潰してる大御所たちとはえらい違いだった。


そんなこんなを思い出すdedicated to you tube。


生徒の曲を選ぶのに、文明の利器you tubeを使う。


音も悪いしclassicだけは開けないでおこうと思ったのに禁断のトビラも開けてしまった



戦いに疲れた時?に弾くと心鎮まる曲、chopin エチュード op.24 no.12を聴く。


コルトー(実は結構大好き)、バックハウス(いつも思うんだけど、録音古過ぎて音の粒が不明瞭でイライラ)、敬愛するリヒテル、アラウ、ソコロフ(力強すぎ)、ガブリロフ、ベレゾフスキー(流麗)、ポリーニ(模範的)、などなど次々に出てくるので焦りながら全部聴く。


途中のペダリングに解せないのが多いのが面白い。



意外にも格別に心揺さぶられたのは、いつもロマンティックかつドラマティック過ぎて趣味じゃないホロヴィッツだった。


圧倒的な生命力だ。


なので、ルービンシュタイン派の私としてはルービンシュタインも聴きたくて堪らなくなり探しまくったが、なかった。



その後、一番好きで嫌いな op.10 no.4を物凄い馬力で弾くアルゲリッチを聴いてしまい、萎えた。


ほかには、リヒテルのシューマン「4つのフーガ」、こんなに音楽的に素晴らしく弾けるものかと驚嘆した。


ほんと、you tubeって良くない。


順調に、ボランティアと、夏の行事の反省会という名の飲み会や楽しいプライベートな飲み会の合間を縫って合気道(トータル54、55回目)に行っている。


前と違って、ウチからは遠くなったが「決死の覚悟」が要らないので、気分的な「壁」が一切なくてラク。



ただすごく丁寧に教えてくださるので、覚えることが飛躍的に増えた。


つまり、Y大先生の時は意味がわからず、今は意味はわかっても体の部分部分がすぐ反応できないので、C-3PO的にしか動けないことは相変わらず。




まず一教の受けの矯正。


正面打ち、横面打ちの受けの矯正。


足の運び、折り方などアタマで考えてからやるので、どうしても体の反応が遅く、膝を打ったり、足の甲を擦って生傷が絶えない。


大事な事、受けの人を出来るだけ最後まで見ること。

体も目線も流れてしまう。



押さえがちょっと出来るようになった。

すぐ離さないこと。

ちゃんと肩挟む。



横面打ちの一教、四方投げの練習。


腕の動き、足の運びと体重の掛け方、手の掴み方、全てをゆっくり考えて連動してやろうとしているので、とても新鮮。



首は少ししっかりしてアタマを支えられるようになってきたのか、または動きが激しくないからか(こっちの方か・・巨人にぶん回されることが一切ないので)、最近全然吐いていない。


回る回数が少ないので、最後に受身の自主練をすることにしてる。


週2回、基礎からやってるので、次に確認したいからまた行きたくなる。



まあ、Y大先生のところでのちんぷんかんぷんな経験のぶん、今がさらに「ありがたい」感じになってるわけで、なんにせよ全て「ありがたい」です。

朝、板橋文夫の「サイクリング・ブルース」をエンドレスでかけながら弁当作ってたら、走ってきた軍曹にブツッと切られた。


キミたちの弁当作ってんだから、労働の糧として聴かしてくれたまえ。


軍曹が

「ねえ・・・この音楽・・・」

と言うから先はわかってたけど。


「どこがいいの?」

「こんな、壊れたような曲にしちゃって」

と、義憤に駆られている


他のに比べたら大して壊れてない方だけど。


咄嗟に

「年とってきて、腐った素敵な大人になったらわかるんだけどねえ」

と言ってしまった。


「腐った」

は拙かったし板橋さんにも悪い。


腐って=経験を積んで、くらいな意味だけど、自分はあまりいわゆる人生経験を積んでないから言いにくい。


それなのに「素敵」とか口走っちゃって恥ずかしい。



まあ11くらいの子どもに板橋文夫大好きと言われてもビックリする。


フリージャズが好きな中学生とかどんな精神構造してるんだろう。



CDをオリジナル・ラブに変えてみた。


「LET'S GO!」をかけてみたら怒られなかったので「月の裏で会いましょう」などかけてノリノリである。


これは子どもでも大丈夫らしい。


「サニーサイド・オブ・オリジナル・ラブ」、名曲ばっかり入ってる初期のベスト盤。

あの時代のポピュラー集大成のようなホーンやストリングスのアレンジもたまらない。

田島くん自身はこの頃の作品は不満らしいけど。


変化しつづける事の権化のような人だから仕方ない。



10代の頃、リアルタイムで聴いて、見てたCLASHとかルーリードとか最近全然聴かないのに、20代で聴きに行ってたピチカートの田島貴男、その後のオリジナル・ラブはいまだによく聴く。


田島くんの曲と声を聴くたび(見た目も)カッコよすぎてうっとりする。


っていうとよく、

「気持ち悪い~」

などと言う人がいますが、そういう人たちは大抵私の統計学上では「清志郎派」なのである。


「音楽」は勿論だけど、どうも「声」に対する生理的な派閥もあるのではないかと思ってる。



もう修正が利かないので、軍曹にはさらに

「腐りかけてくるとわかってくる音楽もあるから楽しいよ~」

とか言ってみたけど、当然首をかしげていた。


昨日の午前中は心を鬼にして雑用を断りまくって合気道(53回目)に行った♪



前日からビクビクしながらメールで断りまくってるのを見て忍者が「いつもがんばってるからいいじゃん」と言ってくれたし、たまにはいいよね。



六月三回行ってから、午前中も区の会議や打ち合わせ、研修が入りまくって一ヶ月行けなかった。



夏休みに入ったので、他の方に多少の仕事はお任せして、8月末まではこれから全て行く予定。

そうすると、11回も行けるんだもんね。(皮算用)





火曜はものすごい汗をかいてそれも気持ち良かったのだが、昨日は全く汗が出なかった前代未聞の日。



涼しいのと、Y大先生の同好会と比べて時間も少ないし、動く量が5分の1くらい。



その代り、すごく丁寧に足の運びとか意味を教えてくださる。



「女性」のための「講座」というネーミングだけあってかなりな配慮ありのクラスだ。





「受け」で色々学び、目が覚めたこと。



正面打ちの受け

また上体がお辞儀してたようで指摘される。



受けで、めちゃくちゃ感動したのは、入り身の時、いつも振り回されるのが非常にみっともなくてイヤで、先生たちも「やられ放題じゃだめ」と仰るんだけど、どうしていいかよくわからなかった。

そしたら「外側の体(腕も)を開かず、ついていく」んだと初めて指摘される。

なるほど! すごくスムーズ。

なんだか、聞けば当たり前のような動きが全然出来ていない自分に吃驚する日々。



火曜、一教の受けの足の運びを言われたけど、内側の足から落とすのは裏で、表は今まで通り外側の足から崩れるのだった(体勢から言って確かに当然といえば当然)。



それだけでも今まで出来てなかったので、こんがらがってしまって難しいのに、師範は

「蹴られるからハラをこっちに(取りに)向けるな」

と仰るが、ムリでした。

思い切り、気を許した犬みたいにおなかが上向いてしまう。

徐々に気をつけよう。



小手返し

自然に動けるようにはなってきた。

が、当然だけど、返しの手の位置が決められない。

押さえ、初めて出来た。

でももう忘れました・・・・




そのほかでは、



二教

あとで考えれば正面打ちの二教は初めてだったかも。

いつもは肩取りだった。

なので、もう混乱。

丁寧に皆さま教えてくださった。

裏は相変わらず悩む。

「大丈夫、効いてる」と言ってくださるけど、ウソでしょー?って感じ。

ツボに入ってない感ありあり。



三教

ムリ。



四教

ご冗談でしょ。



明日から2日間地域の盆踊り大会。





この数週間、かなりな時間をその準備、着付け、踊りの稽古などに駆け回っている。



でも地域の皆さんとお月さんを見ながら炭坑節などをゆるゆる踊るのはなかなか風情があって良いものなのだ。




この時間もまだPCに向かい、盆踊り曲を流す順に沿って録音してるであろう(私に無理強いされて)区議のジローちゃんほかみんなで頑張ってる。



波平も仕事から疲れて帰ってきたのに、「大東京音頭」のフリをものすごい勢いで覚え始める。

ほかのよりちょっと難しいのがそそるらしい。



「これ日本のブルースだね」と言っていた。



歌詞はかなりな昭和ですけどね。



『明日の幸せ 願いを込めて
延びる地下鉄 高速道路
苦労なんかは吹き飛ばせ
東京 東京 大東京
ご覧隅田の水も澄む
ソレ 水も澄む



富士も見えます 筑波も見える
昔武蔵野今ニュータウン
ビルの林に歌がわく
東京 東京 大東京
月が笑顔でこんばんは
ソレ こんばんは』



橋幸夫と金沢明子エディションが明るくスウィングしてて良いのだ。



昇り龍の如き昭和30、40年代の感じが出てる。



うちの区には橋幸夫の歌う区歌音頭があって、それも良いのだ。





伸びやかな美声の持ち主といえば、ほかにも大御所三橋美智也の「炭坑節」が私としては情緒豊かで好きなのだが、「渋すぎる」と家族一致の反対に合い、使えなかったのが心残り。



「民謡大全集」収録の、笛が唄とユニゾンで、あとは三味線と太鼓のリズム隊だけという、ほかにあまりない、シンプルかつ味わい深い貴重な録音だ。



son houseに通じる、淡々としたなかにもdeepな表現力。

イナタい。

かっこよすぎる。

これぞ日本のblues。





このところ、ずっと盆踊りの選曲をしててやっと気づいたのだが、実は盆踊りって、すごく変拍子が多かったのだ。



四拍子だったのが急に一小節だけ二拍子で、すぐ四拍子に戻ったりする事が多くて興味深い




見よう見真似でついていってるだけの時には全然気づかなかったが、最近、先頭に立たなきゃならなくて真剣にフリを検討するようになってみたら、拍子は変拍子なのに、踊りはそれに合わせるわけでなく、きっちり4呼間ずつフリが変わっていく事が多いので、小節のアタマとずれるところが出てきてしまう。



でもそのうち、また数拍ずれるところが現れて、いつの間にか元に戻っているという。



規則的な西洋音楽に毒された此方としては、非常に気持ちが悪く不安な感じになる。

といっても、今までは気づかず踊ってたんだけれど。


でも実はそこが無意識ながら新鮮で、飽きずに踊れる秘訣なのかも。




今日は、三時間小学校での稽古に忍者と軍曹も付き合ってくれたので、踊りまくり。



明日あさっても浴衣で武装して踊りまくるのである。