9月1日、私の誕生日。生まれつきの心臓病で、20年の命と言われ、半狂乱になった母が、それでも冷静に、親戚の力も借りて、4歳で手術することになった時は、血液を集めるため、奔走した。


当時、保険診療でもなく、まして障害手帳もなかった(人工弁置換前に取得。35歳)ので、大変なお金がかかったことと察している。恩返しの機会も与えられず、妹が絶縁を言い渡した。もちろん、お金がかかるからは表の理由で、母から私を引き離したかった、のだと思う。小さい頃から、義父と再婚してから生まれた妹と弟は、「あいつさえおらなんだら、普通の家族やったのに」と言い、二人は一緒になって、物を投げてきたりした義父の真似をした。


彼らにとって私は、いらない存在だった。


母は、妹が旦那とともに実家に移り住んだあと、こっそり時間を取り、お墓参りだけを目的に、私を誘ってくれた。その分、メールはたくさんした。妹はそれさえ母から取り上げて、私からのメールを全て見て、「あのメールの数は異常。これ以上関わるなら訴えるし、取り下げてほしければ500万払って貰う。家族は全員同意している」とメールが来た。母は携帯を破棄され、別のを渡されて、私と連絡出来なくなった。


3年前、駅で偶然出会った母は、絶縁されたことを知らなかった。ただ、「恨んだらあかんで」と言った。離れて知らぬ顔をしていたのに、まだ私をコントロールしようとしている。


その前から誕生日も、クリスマスも、お正月も会えずに、私は一人で、小さなケーキを買って過ごした。


泣いた。

泣いた。

泣いた。


小さい頃から病院で、お見舞いに来るのは母だけだった。大人になって年上過ぎる彼ができたけど、実は既婚者で、勝手に、来たい時に来るような男だった。


ずっと泣いてきた。

もう涙は零れない。

一人が当たり前になっていて、連絡が

誰からなくてもなんとも思わない。


私はいらない人間だ

長い事、そう思ってきた。

本気でそれと向き合って生きると

死のうとは思わないものだ。

開き直り。


苦労は絶えない。

頼る人がいないから。


私の誕生日は

多分、誰も味わったことのない

深い

深い


底にある


一日。