熊野本宮大社をお参りした後は
そのまま歩いて産田社・大斎原へ。
ご祈祷をお願いしたときに
遠方からお越しくださったからと
社務所で水をもらったのですが
それを飲もうと出したら
大山の水!?なんで???
とおかしくてFacebookにアップしたら
それは実は私が別の場所で買った水で
ちゃんと熊野古道の水をもらってました。
入れた場所の勘違いでした。
すみません
ということでレポ続きです。
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幸せの波動と
光のエネルギーを使って
曼荼羅アートと龍を描き
本来のあなたを取り戻し
あなた自身に繋がる後押しをする
晃世(あきよ)です。
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熊野といえば神武東征。
カムヤマトイワレビコ(のちの神武天皇)
が日向を発ち、
奈良とその周辺を統治していた長髄彦を滅ぼし、
天皇の位についたという物語です。
熊野の地にやってきた
カムヤマトイワレビコ一行の前に
荒ぶる神が現れ毒を吐き
皆が気を失ってしまいます。
そこに熊野の(タカクラジ)が
一振りの太刀(布都御魂)を持って現れ
その太刀を献上したところ
カムヤマトイワレビコが目覚めます。
そしてカムヤマトイワレビコが
その太刀を振ると荒ぶる神は倒れ、
気を失っていた軍隊も目覚めます。
同じ時に高御産巣日神(たかむすびのかみ)が
天より八咫烏やたがらすを遣わし、
カムヤマトイワレビコを
大和の橿原まで導かれました。
そんなお話があって
熊野本宮大社のシンボルは八咫烏に
なっているんですね。
熊野本宮大社から歩いて行ける場所に
産田社、大斎原があります。
熊野本宮大社→産田社→大斎原
の順に巡ります。
この順番は熊野本宮大社の
HPに記載されています。
産田社(うぶたしゃ)。
伊邪那美命の荒御魂がお祀りされています。
子授け・安産のご利益があります。
そこからまた少し歩いて
大斎原(おおゆのはら)へ。
ご神域は撮影禁止だったの
大鳥居だけ。
熊野本宮大社はかつて、
こちらの大斎原(おおゆのはら)にありました。
熊野本宮観光協会のサイトによると
大斎原のある場所は
熊野川・音無川・岩田川の
合流点になるのだそうです。
当時、約1万1千坪の境内に
五棟十二社の社殿、楼門、
神楽殿や能舞台などがあり、
現在の数倍の規模だったそうです。
江戸時代までは
大斎原に渡るはなく、
参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、
着物の裾を濡らしてから詣でるのが
しきたりだったようです。
音無川の冷たい水で
最後の水垢離を行って身を清め、
神域に訪れていました。
ところが明治22年に起こった大水害が
本宮大社の社殿を呑み込み、
社殿の多くが流出したため、
水害を免れた4社を現在の場所に遷座。
現在の大斎原には、
流失した中四社・下四社をまつる
石造の小祠が建てられています。
第六殿 聖宮 瓊々杵尊 龍樹菩薩
第七殿 兒宮 彦火火出見尊 如意輪観音
第八殿 子守宮 鸕鷀葺不合尊 聖観音
<下四社>
第九殿 一万宮 軻遇突智命 文殊菩薩
第十殿 十万宮 埴山姫命 普賢菩薩
第十一殿 勧請十五所宮 彌都波能賣命 釈迦如来
第十二殿 飛行宮 稚産靈命 不動明王
<元境内摂末社>
八百万神社
滝姫社
八咫烏社
地主神社
音無天神社
御戸開神社
八咫烏だるま
古来より熊野周辺の農家さんの間で
細々と伝わるお菓子が源流となった釜餅。
よもぎ、くるみ、古代米の
3種類がありましたが
くるみを選択。
ホッとする暖かいお茶に
疲れを癒すあんこの入ったお餅。
美味しかった♪
サクサクと動いたので
この時点で11時少し前。
うんうん、時間ある。
ということで
温泉に入ってから時間があれば
熊野三山の奥の院である
玉置神社に行くことに。
続く
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