おはようございます、沙久良です
昨日から3日間鳥取・岡山・香川・愛媛へと出張しております メールへの返信等は、帰宅後2日間休みを取りますので24日より行います
お待ちくださいませ。
今日も鹿の王の末裔続きです あくまでネタとしてまとめておりますので、全ては書きませんのでその辺りは想像で補ってくださいませ
(ぽにょちゃんは分るから大丈夫!)
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日本海から海風が鹿野城跡、城山神社へ向けて吹き上げてきた。
「気持ちいね。」
「うん…。」
ベンチに座り、前日に道の駅で買った小さお星さまを取り出して、食べるようにぽにょちゃんに促す。見た感じは軽い熱中症のような顔だった。
「美味しいね、これ。ごまあんの中にホワイトチョコレート入ってるって、斬新。」
「うん、美味しい…。」
古くから妙見大明神とも呼ばれた城山神社、一時期廃れ、その後1813年町民によって鹿野祭が復活したそうだ。この小さなお星さまも妙見大明神からインスピレーションを得たものかもしれない。
(今のぽにょちゃんも、亀井茲矩のような鹿の瞳をしている。)
通常は色素の薄い茶色い虹彩で瞳はそれほど大きくはないけれど、この時は黒目がちで瞳も大きかった。瞳孔が開いているのでもないのに。
先ほど触れた亀井茲矩の魂の一部は、遥か遠くを眺める瞳(め)をして姿を消した。ほんの一瞬の出来事だったが、それはとても長くも感じた。こういう時は時間感覚が曖昧になる。時間感覚どころか、過去・現在・未来すらも曖昧になる。時間が逆再生の方が正解だと思うのと同時に、ならば私達人は誰の記憶のやり直しをしているのだろうかと思う事がある。それを神の記憶だと言ってしまえば納得するような、しないような…。なんだかモヤモヤもするが、今は関係がないので横に置く事にした。
(まるで、どうしていいのか分からない子供の様だ。)
そんな時がたまにぽにょちゃんにはあった。時に爪を噛むような仕草を見せることも。
(けれど今は瞳が違う。違うからぽにょちゃんじゃない。だとしたら、麒麟…?)
じっと大人しく無言で食べる姿を横目で見ていた。
(麒麟の哀しみ、鸞への謝罪、そう亀井茲矩は言っていた。麒麟というと、獣の長で仁を司る聖獣。統治者が仁ある政治の時に麒麟現るという記憶が…。なんだっけ、ひっかかる…。)
しばらく麒麟に関する記憶を手繰っていく。
(そういえば清流くんがスラスラ話してたのを要約してた時、鹿をやたらと強調するから鹿みたいな姿の神様でシシ神様みたいな存在って話したけど、あれって麒麟の事だったのかしら?麒麟って、なんだか鹿の王様みたいね。
そう考えると、鹿野(しかの)と鹿野(かの)もまた、鹿だけでなく麒麟に関わる土地だったりして。麒麟を祀る巫覡がいたとか?いやいや、鹿野(しかの)はそもそも志加奴(しかの)氏が治めてた土地だものね、そこは関係ないのかな。
なんにせよ、鹿にまつわる事が多い亀井茲矩、山中幸盛こと通称・鹿介(しかのすけ)に助けられてもいるし、そんな鹿介の二つ名は山陰の麒麟児だし、振り返るとヒントいっぱいね。)
これまた山幸彦の助言の通り、気負い過ぎると見落としたり、繋がらない事柄はあるものだなと思った。
(そう、始めから麒麟は訴えかけていた、自分が呪詛の大元だよと。それなのに難しく考えすぎたり、麒麟という聖獣が呪詛の大元なんてないと、嘗て生まれた亀井氏の呪詛を解く者たちも思ったのか、また口にして否定されたのかもしれない。でも、その時はまだタイミングではなかったんだろうなぁ…。)
呪詛はある意味ロジックだ。
理があるなら、その理に則らねばならない。
ただ闇雲に解こうとしても、途中で行き詰る。
また呪詛とは祟られ、数々の恐ろしい不幸が次々と起り、解決不可能なものと思われ、祟りを鎮める対処法で留まっているのかもしれない。
(呪詛そのものには気付いていたでしょうね。それを崇め祀り上げる事で神とする。けれど祀られる事を忘れられれば、神は小さくなって消えていくか、我を忘れて闇に落ちていくかもしれない。いや、穢れが祓えず闇に包まれるかしら?
だって呪詛にしろ、サイキックアタックにしろ、何かが起きるよりも何かに追い込まれていく感覚の方が強いもの。自分で自分を追い詰めていく、鬱になったかのような感じだものね。常に自分を責め続ける。追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて、やがて消えてしまいたいし、消えたら解放されるって思っちゃうんだ。
でも、消えても終わらない、むしろ肉体を失った方が真実に気付いてさらに苦しむか、呪詛に取り込まれて呪詛の一部になる。)
だからこそ、一ヶ月以上時間をかけて家系を調べ、その時必要な神々に御助力をいただく為に必要な神社に代理参拝し、時に一緒に参拝し、ちょっとずつ穢れを祓い清めてその大元へと近づいていく。
(怒りは二次感情、何か外の感情が溢れて怒りとなる。その怒りを人は祟りと呼ぶ。けれどその怒りが何で起きたかまでは調べて謝っても、その気持ちには沿わないし、そこまでは思い至らない。祟りが鎮まればいいのだから。けれど、その鎮めを止めてしまったら、祟りはどうなるのだろう…?)
人なら間違いなく感情が暴走し、大爆発する。それは祟りも同じかもしれない。
そしてその度に鎮まる事だけをしていても一時しのぎにしかならない。
生贄や人身御供もこれに当てはまるだろう。
(…本当は、元に戻って還りたいんだよね。在るべき姿に、在るべき場所に。けれど哀しみが重すぎて還れないんだ。本当の居場所はとても高くて遠いから。軽くないと辿り着けない……。)
そっとぽにょちゃんの身体に収まっている、幼い麒麟を視た。青白い顔は、まるで泣き疲れて全てを諦めてしまった子供の様だ
(熱中症じゃなかったんだな、うん。まあそれならそれで良かった。)
ふふふと空を見上げて、ぽにょちゃんと麒麟に気付かれない様に笑った
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稲荷神社まで降りると、宇迦御魂神の神使の白狐が心配そうにこちらを視ていた
なので参拝して大丈夫ですよと伝え、これから麒麟をお還し出来る場所に向かいますねと伝えると、ほっと胸を撫でおろし、そして優しく微笑んだ 麒麟が獣類の長なら、その下には狐もいる。長の行く末をずっと心配し、胸を痛めていたのかもしれない。
(そう、人が忘れても必ずそれを覚えている存在はいるし、人もまた長き時を経て違う形で記憶を呼び起こす。それがこの鹿野町に伝わる祭のように、また誰かが蘇らせる。全ては繋がっているのだから。)
向かう先は麒麟の聖地
(いや、正確には麒麟獅子の聖地かな。)
こんなにも早くまたあの神社へと参拝する日が来るとは思いもよらなかったけれど、それもまた逆再生が正解なら先に参拝して繋ぎを取り、還せる場所を知っていて良かったと思った。
続く~
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