プロレスラーとカミングアウト | あきりんごの「読みたい」プロレス

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Twitterを眺めていたら、こんな記事に出会った。

プロレスラーのマイク・パロウがゲイとしてカミングアウト(石壁に百合の花咲く)

これは、「ゲイレスラー」ではなく、「ゲイであることに葛藤してきたレスラー」によるカミングアウトのお話。

全日本プロレスを観ているファンならすぐに気づくと思う。
先日まで行われていた世界最強タッグ決定リーグ戦に出場し、優勝こそならなかったもののパワフルなファイトで観客の度肝を抜いたタッグチーム「The End」の一人、パロウのことだ。

なんの気なしに見ていたレスラーのカミングアウトをあとで知って、セクシュアリティが目に見えないものであるということ、そして、だからこそ、特定のセクシュアリティを貶めるような言動を問題視することが間違っていないということを再認識した。

日本には、T(トランスジェンダー)であることをカミングアウトしてデビューした朱崇花選手(プロレスリングWAVE)がいるものの、LGB(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル)をカミングアウトしているプロレスラーはいない。いや、プロレスの世界だけでなく、日本の多くのプロスポーツの世界において、LGBTQは存在しないことになっている。
なぜか。
カミングアウトしたときに、守ってくれる人がいない(あるいはそう見なされている)からである。
「アメリカのヘイトクライムは過激だが日本ではそういう事件はない。日本ではLGBTのタレントがたくさん出てくる。だから日本は寛容だ」という主張は間違っている。ナンパしてきたくせにトランス女性だとわかった瞬間暴行を受けた人を私は知っている。そしてそれがヘイトクライムであるという認識すらされない。
画面を挟んだ「向こう側」の存在ならいいけれど、目の前に立たれたら困る。LGBTはLGBTだけの世界でコソコソ生きてくれ。
この排他性こそが、「美しい国」日本の現実である。

記事によれば、パロウもまた、テレビ画面の向こうから発信されるステレオタイプなゲイイメージのシャワーを浴び続けたことで、自らの性的指向についてネガティヴな感情をもつようになった(これを「内在化されたホモフォビア(同性愛嫌悪)」という)。ゲイであることが周りに知れたらと思うと気持ちが塞いだし、ゲイどうしとわかっていても排除されることがあったという。
しかし、フィアンセとの出会い、そして以前自身を助けてくれた人がオーランドのゲイクラブでの銃乱射事件で犠牲になったことをきっかけに、彼はついに自らがゲイであることを公にカミングアウトした。

「怖がっていないで人を助けろ」と、生前その人はパロウに言ったそうだ。

怖がっていないで、人を助けろ。

この言葉の意味を、私はもう少しゆっくり考えてみたい。

怖れを乗り越えて戦うパロウに、心から敬意を表したいと思う。