強くなりたいという欲求〜尾崎ムギ子「最強レスラー数珠つなぎ」 | あきりんごの「読みたい」プロレス

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皆さんこんばんは、あきりんごです!

今回は、かねてよりTwitterやmixi(!!)上で交流させていただいていた、フリーライターの尾崎ムギ子さんの著作「最強レスラー数珠つなぎ」の読んでの感想と、出版を記念したムギ子さんを囲む会に参加してきましたよ、というご報告などをつらつらと書いていきます。


今回の著作は、日刊SPA!で連載されていた同名のインタビュー記事(リンク省略)の書籍化を記念して開かれたものでした。


私はムギ子さんの書く文章がとても好きで、それに、どこかシンパシーを覚えます。
ある友人をして、私の文章には「これを書かないと死ぬ」感じがあるそうで。
私も文章を書いてご飯を食べていこうとする人間なので、確かに書かないと野垂れ死んでしまうわけですが、そういうことではなく、切迫感とか圧力みたいなものがあるというんです。それはおそらく、淡々と文字を並べることをよしとせず、身を削り、喜怒哀楽を全開にしながら書いているからそう見えるのだと、自分では理解しています。
そして、その部分で、私は尾崎さんと似通っているのかなと思います。ムギ子さんに感じるシンパシーの正体は、「身を削る」感覚。
あ、それプロレスとも似てますね(笑)

なんといっても、ムギ子さんが日刊SPA!で連載を始めるに至ったきっかけの時点ですでに、身を削っていました。
自らの編んだ記事に怒った佐藤光留から、Twitter上で炎上という垂直落下式ブレーンバスターを食らっているのですから。
詳しい説明はあえて避けますが、私も当時、「いい男に抱かれたい」「最強より最高」と記されたその記事(実はムギ子さんの発言ではないけれど)を読んで、率直に思いました。
「少なくともそれは、私の好きなプロレスとは違う」と。
どこかミソジニー的な見方すら感じ(それもムギ子さんの発言によるものではないけれど)、ちょっとイラッとしたのも正直なところです。

ともかく、佐藤光留は、その記事を書いた見ず知らずの女性を、「絶対に許さない」と断罪しました。佐藤光留は、プロレスラーとして常日頃「強さ」を追求し、負けてよい試合などないと考えるタイプ。師匠鈴木みのる譲りの考え方といえます。そしてなにより、一度捕まると非常にめんどくさい。そんな人間を怒らせたわけで、メチャクチャ怖かったはずです。
ところが、おとなしくカウント3を聞けばいいものを、ムギ子さんはカウント2で肩を上げたのです。
じゃあ「強さ」とはなんなのか。それを知りたいと考えたムギ子さんは、あろうことか当の佐藤光留へのインタビューを試みました。

それが、「最強レスラー数珠つなぎ」の第一回でした。

この流れ、鮮明に覚えています。
だって、そんなライター見たことないですもの。しかも、後ろ盾のないフリーライターで。
私も本業の方で書いた記事で変な捉え方をされて困った経験がありますが、まぁイヤなもんです。見て見ぬ振りをしたい。
しかし、とる必要のない受身を、彼女は身を削ってひとつとってみせた。私はそこに、ライターとしての意地と、弱さをさらけ出すことで強くなろうとするありようを見た気がしました。

「最強レスラー数珠つなぎ」には、そんな「強くなりたい」書き手の姿が存分に投影されていたように思います。
プロレス関連の著作としては異色かもしれません。
書き手の一人称の語りが赤裸々に盛り込まれているからです。
これが週プロのインタビューだったら邪道だとか、客観的に書けと言われるかもしれないけれど、これはあくまでムギ子さんの著作であって、読み手はレスラーの語りを紡ぐ書き手のムギ子さんと対峙すればいい、あるいはムギ子さんの語りを通じてレスラーの語りに触れればいいわけです。
そもそも、新聞記事であれ小説であれ学術論文であれ、ものを書くって主観的な行為なんですけどね。我々はそこに説得力を与えるために客観性という概念を取り入れ“ようとしている”だけで……という話はさておき、テーマを立ててものを書くという行為には必ず、書くことに向かわせる能動的な動機があり、背景があり、すったもんだがあります。そのすべてをムギ子さんは隠そうとしませんでした。もの書きって、それでいいと私は思います。でも実は、さらけ出すことが一番難しくもあります。なぜなら、さらけ出すには、自分と向き合わなければならないからです。誰しも自分のことを知りたい。知りたいけれど、知りたいぶんだけ知りたくないものです。だからこそみんな主観性を排したがるのですが。
「最強レスラー数珠つなぎ」は、プロレスをテーマにした、ライター尾崎ムギ子の身を削った成長譚であるといえます。

いろんなレスラーのインタビューが載っていてその全部をぜひ読んでほしいのですが、やっぱり私は佐藤光留がこの本のキーパーソンになっていると思います。
「最強より最高」に噛み付いた佐藤光留が、次の最強レスラーとして指名したのが、鈴木みのるではなく、あえて「満場一致で“最高”の男」であるところの宮原健斗だったという盛大な謎かけ。
当時の宮原は、史上最年少で三冠ヘビー級王座を戴冠し、リング上で「最高」と叫び始めた頃でした。一方で、まだ「最強」とは思われていなかったようにも感じます。
その真意は、果たしてどこにあったのでしょう。

書籍版には、そんな佐藤光留の特別インタビューも掲載されています。強さを追い求めるレスラーたちの言葉に触れてきたムギ子さんがあらためて佐藤光留と対峙したとき、一体どんな「リマッチ」になるのか。
それはぜひ、購入してご確認ください。

そんなわけで、ムギ子さんを囲む会は、去る3月16日、DDTプロレスリングが経営する新宿歌舞伎町の「エビスコ酒場」で行われました。


もちろんムギ子さんとお会いするのは初めて。他の参加者さんも、大半ははじめましての方でした。
ムギ子さんはムギ子さんで、この日の主役でありながら連絡用の携帯が使えなくなるというズンドコぶりを発揮しながらも、出版に至るまでの話やプロレスの話などワイワイ語り合いつつ、当初2時間の予定が気づけば3時間4時間と延長するほど、楽しい会になりました。

ステキなイラストを描かれるブロガーの男マンさんから、自作の女子プロレスの解説書をいただいたりして(ありがとうございます!めっちゃカワイイ😊)。


ほんの一年二年で女子プロレスの風景もだいぶ変わるものだなぁと再認識するなど(笑)

会に参加し、本を読んで、あらためて考えます。
私は、なぜプロレスを観るのだろう。プロレスという非日常に、なにを求めているのだろう。

あのときムギ子さんの記事は炎上したけれども、私だってイケメンの男子レスラーやカワイイ女子レスラーを見てなにも感じないわけではないし、そういうところがプロレスの入口になることも多い。いい男に抱かれたいと思うファンもいるだろうし、そんなファンを抱きたがるレスラーもいる(よしなさい)。
けれど、プロレス観戦を続けていれば、決してそれだけでは終わらないのもまた確かです。
技や受身の美しさ、入退場の華やかさ、レスリングの攻防、戦略性、勝負論、興行論、観客論、幻想、サイコロジー、喜怒哀楽、強さ、巧さ、思想、そして生き様。
プロレスには、こんなにたくさん、楽しめる要素があります。
観れば観るほど面白い。それが、プロレスというプロフェッショナルスポーツ(あるいはプロフェッショナルエンターテインメント)です。

小橋さんの不屈の闘志と、天龍さんの格好よさに惚れたところから始まった私のプヲタ生活。
プロレスが、引きこもりだったクソみたいな私を勇気づけてくれました。
いろいろな考え方や感じ方があると思うけれど、私はやっぱり、なにがあっても跳ね返す強さを手に入れたくて、プロレスを観ているような気がします。
そのヒントが、プロレスにはいっぱい隠されているから。
強いレスラー、弱いレスラー、巧いレスラー、ずるいレスラー、不器用なレスラー、悪いレスラー、楽しいレスラー、いろいろいますが、すべてのレスラーが痛い思いをしてプロレスのリングに上がり、戦っているわけです。勝ったら強い、負けたら弱い。でも弱さをさらけ出せる人は強い。結局みんな強いんです。そんな一人一人の強さに私は触れたいと思う。そして、私も強くなりたいと思う。

強くなりたいという欲求が、今日も私をプロレスへと向かわせます。
そして、観たものを文字で表現したくなります。

やっぱりムギ子さんに親近感を覚えるなぁ……
またお話したい!
今回はありがとうございました😊