◆ キーワードは主体性、内発的、企画力、実践力、志、プロデュース力です。


 一般的には青臭いといわれるような言葉をズラリ並べて募集している東峰テレビの地域おこし協力隊。本音です。ずっと昔から本音です。生まれ、育った環境が全く違う一人一人が自分自身の資質を生かしてお互いが助け合う地域、共同体、社会環境を創ることがわたし自身の中から内発的に生まれる大きな人生の目的の一つです。


 その目的を達成するために主体的に動いていると自然と企画力は培われ、構想の実現のためにひたすら実践し続けることでプロデュース力も確実についていきました。どういう道に入っても、どんな人に出会っても常に変わらない自分自身の方向性、どんなことがあっても絶対消えないそこに向かう気持ち、それが「志」ということでしょうか。


 人間の時代が近づいている今、「やっと来た」と感じています。構想20年、実践20年、本気でやろうとする人を本物の現場で鍛えあげます。かといって、内発的で主体性を尊重するわけですから「自分で決めて自分で行動して自分で責任をとれる生き方」を実践するしかないわけです。わたしが実践する日々をすぐ側で一緒に経験していただき自分の判断、責任で自分の人生を決められる人。


 他者に責任転嫁したり、当事者の責任を逃避する人には伝授できない生き方を伝えるものですからやるなら本気でお願いします。半端な人は時間が経てば自ずとバレます。そういう人のために使う時間はないのです。本音です。ただし人生を悔いなく生きることは間違いなく実現できるはずです。あなたが本気なら、本音なら。


 でもね、書いたら堅苦しくなるんですが、実際はかなりゆるーいんです。アバウトなんです。朝令暮改の瞬間芸的な生き方なんです。瞬間瞬間の判断、決断力なんです。なぜなら「志」に向かうだけですからね。その方向性が見えない人にはいい加減に見えるようですが全く違うんです。一貫してるからこそ時々刻々の現場では一人一人の気持ちを感じとりながら最も有効な手立てを淡々と実践してるだけです。この生き方は一緒に仕事する中でお伝えするしか方法はないんです。 OJT(On the job Training)ともいいますが日本古来の言い方では「門前の小僧」 的なことで落語家の人育てのやり方、つまり徒弟制度的な世界にしか残ってないやり方です。でもやはりどんなことも「自分で決める」ことができない人にはこの方法は無効です。志あらば間口は広~い面白い現場です。*東峰テレビ地域おこし協力隊募集要項 *参考URL   住民ディレクター事典 とうほうTV

 
ICTで地方創生「三種の神器」
 東峰村に住み始めて4年と4ヶ月です。通い始めたのはさらにその4年前からですのでご縁があってからもう8年になります。8年前は東京の六本木で村おこしをしていました。東京にも住んでいた...
 

 


 「花燃ゆ」第46回。西南戦争で官軍に捕らえられた熊本、鹿児島の罪人たちが群馬に連れられてくる。安政の大獄にからみ井伊大老によって斬首にされた吉田松陰(30歳だった)の刎頚の友、かとり素彦(大沢たかお)は群馬県令の立場にありながらも町中を歩き回り罪人たちの職を確保する。生糸や製紙に関わる仕事である。

 不平士族の反乱と言われ西郷隆盛率いる西南戦争が終結した後の事である。やってきた罪人たちを前にかとりは語る。「みなさんは未来をどう描いてますか?ここで製紙業の技能を身につけたら刑を終えたあと自立できる、新しい生き方ができるんです。」と。熊本、鹿児島県人だから一筋縄でいかない男たちである。案の定反発するが、かとりの真心が通じていく。その弁たるや爽やかで誠実そのもので、「単なる官僚」とバカにしていた地元の生糸商人の大物でさえ「本気でやる気なのか?」と驚く。当時アメリカに生糸を直販しようとした大起業家の星野も「この人なら群馬を本当に変えられるかもしれない」とかとりの「群馬から日本を変えるんじゃ」を確信していく。

 そしてかとりを陰で支えるのが井上真央演じる久坂美和(松陰の妹で、かとりの義理の妹)。二人は兄、吉田松陰の志を受け継ぎ、幕末から明治維新を生き抜き新しい日本人を育てようと志を貫く。そして花燃ゆ追走番組では「忘れられた日本人」をテーマにこの幕末から明治維新の頃に志をもって生きた無名の人々にスポットライトを当てたNHK大河ドラマを追走しながらも、すでにこのように生きてきた日本人は現代では「忘れられた日本人」ではないのか?との疑問を投げかける。

 「忘れられた日本人」は民俗学を足と写真で極めた宮本常一の著書のタイトルだが今あらためてこの「忘れられた日本人」こそ現代まで日本を支え実際に力を尽くしてきた人々であることを再確認したいとの企画意図で迫っていく。さらに大河ドラマは1年50回のドラマを通して様々な人生と大叙事詩を描くからこそ大河ドラマであり、少々視聴率が悪いからといって揺るぐような柔なことでは制作できず、松陰や美和や素彦のように一貫して志を貫く強靭な意志があってこそできるものである。

 それは46回漏れなく追ってきたからこそこちらも共感を持ってわかる志である。大河ドラマ追走2年目にして見えてきた現実であり、3年目の「真田丸」に生かしていける追走番組のビジョンである。

「花燃ゆで國創り」FBページ

 
生ききった高倉健さん、如水に似ておられる。
 健さんが亡くなりました。マスコミに届いた高倉プロモーションからのFAXの中に「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」という言葉がありましたがご本人の言葉でしょう。健さんらしい...
 

 


 地方創生をテーマにした住民ディレクター番組 ふらっと☆Nippon(あさくら・東峰)を4月にスタートして約7ヶ月。今年は番組づくりと地域づくりを支える「住民ディレクター」も平成8年以来20年を迎える。そして東峰テレビ5周年といろんな意味で節目の年を迎えました。

 そして「地方創生」って言ったって番組で何ができるのですか?東峰テレビが5年経ってどうなったのですか?住民ディレクター20年ってまだやってたのですか?という疑問や質問に応えるべく12月にスペシャル番組で答えを番組化します。

 しかし流石に今年は時間がかかりました。ふらっとの半年はこの20年の総まとめのようなものでまとめるといっても簡単なものではありませんでした。しかし今日なんとか カタチが見えてきました。やっと発表できそうです。それは「地方消滅」にNo!!と言い、人材育成、仕事づくり、地域の持続的な成長を実現する地方創生の具体的な方策、そしてそれらをまとめると今は「東峰テレビスタイル」という表現になります。

 それは「番組づくりが人材を育成し、地域活性化になる」ことです。既存のテレビが追求してきた「面白く見せるテレビ」のあり方とは全く違う「還暦を迎えたテレビ」の新しい使い方です。でも言葉だけではピンとこないとおもいます。民放を退職して平成8年春から「住民ディレクター」による番組づくりを20年かけて実践してきたのはまさに戦略的イノベーションであったのです。

 そのことを全国47都道府県のみなさんと同時中継というテレビ史上初のチャレンジで実現するのが12月19日に東峰テレビで放送するふらっと☆Nipponスペシャルです。やっと企画書が出来上がります。今日から次々と公開していきますのでよろしくお願い致します。

参考URL
とうほうTvホームページ
住民ディレクター事典
ふらっと☆NipponFBページ


 吉田松陰に出会った頃の晋作の口癖が今も気になってます。「つまらん。何をやってもつまらんのだ。」実際に役者高良さんの言い方はいかにもつまらなさそうでした。それに対して役者東出さんの久坂玄瑞は「つまらんのはお前がつまらんからじゃあーっ」そしてニコニコしている伊勢谷さんの松陰・・。

 そんな男たちのど真ん中でおにぎりを結びながらドギマギしている真央ちゃんの文(美和)。全員男たちの世界からいつのまにやら全員女たちの世界、大奥へ。そこで兄松陰の背中を見て学んだ「孫子の兵法」を長州と異国との戦いや、明治に入って奇兵隊の反乱兵たちの攻撃に対して実戦で活かしたり、城内に畑をつくって殿の気に入られて植木等もびっくりの出世物語が展開されます。

 そして夫の久坂玄瑞(東出さん役)と京の芸妓・辰路の間に生まれた秀次郎を久坂家の血を絶やさぬために引き取り育てる。当時の世間で言うところの「立派な男」に育てるために芸妓・辰路も納得して秀次郎を自分から離す。そして秀次郎は文の家族に揉まれながらもいつしか「良い子」に変わっていく・・・。が「二人の母」と秀次郎の親子関係の葛藤に文はついには秀次郎を辰路に戻す。久坂家の将来を捨てたのではなく久坂家の跡取り秀次郎が「本当に立派な人間」になるために決断したと読める。
 文(美和)の本音はあんなにいたずらっ子でパワフルでダイナミックだった秀次郎がいつしか丸く収まって「良い子」になってしまったことの申し訳なさであったろうとおもいます。
 ここはとても大事なところ。シナリオ作家もここに力を入れたと感じる。
 
 「久坂家」の秀次郎の「未来」→「久坂家の未来」ではなく 久坂家の「秀次郎」の「未来」→「秀次郎の未来」でもなく、「久坂家」の「秀次郎」の「未来」の全部「久坂家の秀次郎の未来」を実現するための決断でした。凄い、文!! と思わせるシナリオです。
 
 が、正直言って作家がそこまで意味を込めて書いてるかどうかはご本人に聞いてみないとわかりません。きっとそうでしょうが・・・。基本は「秀次郎の未来」一人の人間の未来です。愛です。が、当時の時代としては「久坂家」のことも当然文(美和)は考えたはず。そのことは秀次郎本人にも必ず将来自分の問題として還ってくるでしょう。そして文(美和)の家族にも。文(美和)はそこまで考えたと感じました。前向きな発想で。「明治という社会の中で生きる秀次郎」の「未来」も。
 
 そして松陰から文(美和)に引き継がれたのはいつも「関わる人たち全体の幸せ」の実現という生き方です。この全体はどこまで広がるのでしょう?多分松陰にとっては「日本国」であったと感じます。まだ「世界」にまで広がってなかった?さて、そこは残る10回ほどの中で文(美和)の生き方を追走していくとわかるのでしょう。

 いつもそうですが、もし自分が文(美和)ならこうする。松陰ならどうする!?と当事者になりきった時に自分なら・・??と自分の人生として必死で考えながら見ていく時にドラマは生き生きと自らの生命の中で生き始めます。小説やフィクションの面白さはそこでしょう。クリエイティブに生きる知恵をもらえます。追体験です。「追走」の意味はそこにあります。 
 
 追走番組の今年は「歴史を追う」よりも「人間の生き方を追う」追走番組です。あと10回!!「花燃ゆ」追走番組もあと10回です!!

*「花燃ゆ」追走番組はとうほうTVホームページから  
*「花燃ゆ」追走番組ページはFacebookで 「花燃ゆ」で國創り    
岸本晃Facebookこちら 
 
26時間テレビの理由(わけ)
 熊本の民放時代はディレクター&プロデューサーとして、また同時にカメラマン、編集マンとして様々な番組を創ってきましたが長く継続してやってきたのが「ズームイン!!朝!」と「愛...
 

 


 「孤高の戦い」第36回NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のテーマです。毎週 ふらっと☆Nipponで放送している「花燃ゆ」追走番組のほうはこの「孤高の戦い」を受けて「せわぁない(大丈夫、たいしたことはないという意味の山口弁)」をテーマにしました。

 孤高の戦いはドラマ的には高杉晋作のことを指してますが、同時に美和(井上真央=文)のことも含まれていると推察します。そして松下村塾の塾生や妹を通して繰り返し繰り返し「志」と「至誠」という言葉で表現されているのは吉田松陰の生き様です。当時で言えば「日本国の将来」を憂いて志を高くもったということになりますが、「花燃ゆ」のドラマは「日本国の将来」をわかりやすく表現していると感じます。女性作家が3人で書いておられるということもここに来てその意図がはっきりしてきました。

 日本国の将来という大テーマは元を辿れば家族からはじまりそれは藩に至り、ついには日本国全体のことになっていくということですが、晋作の奇兵隊の中心メンバーだった百姓、商人といえども幕末はまだまだ家庭のことは顧りみず、男の本懐を果たすことに賭けていたでしょう。逆に長州藩は戦いの連続ですから女性は男子の後方支援的な役割が当時の社会では普通だったと思います。そこに美和(井上真央=文)のような大奥での出世物語を登りつめ、お世継ぎ様の教育を受け持つ女性が描かれる中で晋作や奇兵隊の極限の戦いぶりを知ってなお「せわぁない」という杉家の家訓?!のような言葉が流布していくことがとても女性と日本国を分かりやすく繋いだドラマになっていると感じました。が、実はこれは女性だけでなく現代での男子にもわかりやすいはずです。

 アメリカの戦争映画なら戦局が厳しい中にチューインガムでもクチャクチャ噛みながらちょこっとジョークを飛ばしてニッコリと敵を懲らしめるというシーンがよくありましたが、美和(=井上真央)は杉家ではいつも母がそうだったように自分も銀姫や奥女中の方々にサラリと「せわぁない」と言ってのけて姫たちをキョトンとさせます。杉家の日常がそうやって大変な事が起きても乗り切ってきたことが伝わると姫も大奥に集まった良家の子女たちも経験したこともない下々の日々の暮らしの知恵が詰まった一言にホッとするのです。

 そして命尽きるようにイギリス軍艦と対峙する晋作は漫画のような物凄い形相をして大勝します。実際に肺を病んでいた晋作は結局松陰より1歳若い29歳で死去します。松陰が撒いた種からまた一つの花が大輪を咲かせて散っていったのです。「花燃ゆ」、なかなか面白く見せてもらってます。

「花燃ゆ」追走番組情報はこちらで 


 地方創生のヒント満載!! 待望の住民ディレクター事典が一応の完成をみました。 

 地元に生きる人間が地域活性化を自らの力で実践するために必要と考え出した「住民ディレクター」という発想は13年間テレビの現場で働いたおかげで産み出したものです。わたしの「テレビの現場」は田畑に足を突っ込んで泥まみれになって農家に米作りを学び、山中で猪や鹿を追う猟師をさらに追いかけ、早朝の海で逞しく網を引き上げる漁師の快活な笑い声に励まされた日々です。

 現場の息吹、現場の生の声、身体が躍動する姿こそが地域を変える原動力と確信し、現場の人たちを結ぶ「住民ディレクター」ネットワーク創造を核に社会起業家として平成8年の春にデビューしました。

 今年20年目を迎えこれまでの全国各地で実践してきた多種多様な活動を一望し、また統合する目的でこの住民ディレクター事典編纂に取り組んでいます。日々ゼロスタートであり、日々ingのこの活動を「地域を何とかせんばいかん」と模索しておられる皆さんの有効な生活道具として一緒に磨きをかけたいと考えています。どうぞよろしくお願い致します。

 住民ディレクター事典は冊子として8月末に完成しましたが20年の活動は当然入りきれず、サイトによって日々更新しながら20年のスタート当時の顛末から最新情報まで随時更新中です。下記リンクからご覧ください。

住民ディレクター事典サイト 


 「地球村映画を作ろう!!」と題して8/1(土)のふらっと☆Nippon(東峰)の番組で映画制作スタート宣言をしました。

 そもそもはわたし自身が熊本の民放時代にドラマを4本作りました。全部100%熊本オリジナルです。というのは地方の民放ではドラマ制作といってもほとんどの場合は監督から俳優まで東京や大阪からごっそりやってきて地元のテレビ局は何をしてるかというとこれらご一行の宿泊や食事、飲み屋のお世話が仕事ということが多いのです。わたしたちはそれは全くやる気がないのですべて自分たちの手でやろうということで結果的にはドラマ制作など全く経験がないわたしが監督をやるしかないということになりました。

 しかもドラマ制作には最低3,000万円かかると言われた時代に1作目の「平成元年のタイムスリップ」は実質その10分の一ほどの制作費○百万円でやってしまいました。協力していただいた地元劇団員やスタッフには報酬は出せないので弁当や交通費程度のお礼をしただけです。しかし、熊本の夏は燃えました!!出演者はもちろん、スタッフも自分たちが作る手作りドラマということでフル回転でした。

 2作目、3作目と段々と予算もとれはじめ、4本目の熊襲復権「テレビドラマを作ろう!!」では総予算1,500万円、純粋ドラマ制作費も1,000万円はかけられるまでになりました。資金は全部プロデューサーのわたしが調達してきました。そして「熊襲復権」という重いテーマをドラマで表現することで舞台となった球磨郡免田町の町民の皆さんは大いに自信をもち、テーマであったアイデンティティーを取り戻すことができたのです。

 今回の「地球村映画」はこれらの経験から得たアイデンティティーの回復と消滅危機にある小さな地域が生き残る知恵を駆使した未来を描きたいと考えています。「地球村」という概念は1900年代に活躍したカナダの文明批評家であり、メディア研究者のマーシャル・マクルーハンが産み出したものです。地球全体が一つの村のように緊密な関係を持つようになったという意味で使われました。

 「世界がもし100人の村だったら」という本がありました。世界がもし東峰村だったら・・・、地球村映画はそんなグローバル社会の小さな村の大きな物語を描くことで未来の夢を世界中に提供する映画です。

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