昨日は朝から一日熊本の女性たちのパワーを感じていました。最終は夜10:30、熊本のユニセフは全国でも目立つほど活発に活動をされていて特にアフリカとの民間交流はモデルとなっています。今年は「アフリカの子どもたちの日」という記念行事の20回目になりユニセフ本部からも大きく注目されています。

 NPOくまもと未来は澤さんを中心にこの10数年ずっと記録と発信を支援してきました。20年にあたる今年はいよいよ20年の歴史を披露する節目です。昨夜は朝から夜まで日程が詰まっていましたのでやっと午後8時半から資料や写真の整理と撮影をしました。東京からも広報の女性が急遽参加して協力してくれましたが代表の世良さんもメインスタッフの入部さんもこの20年を支えて来られたメインスタッフなのでもうこういう時間帯は明日のためにのんびりされているお年頃??!でしょう。

 わがNPOくまもと未来の澤さん然りです。今、中高年の女性たちのパワーが凄い時代です。この作業の前も知的障害をもつ子どもたちを支援するひまわりというグループの13年の歴史の発信についても相談を受けましたがここでも中高年の女性が中心でした。熊本に限らず女性の時代は広がっています。


 愛媛県の愛南町に前回行った時に風よけの石垣が並ぶ集落を取材しました。この時に同行してくださった受講生の方が素晴らしい光除けのカメラカバーを作っておられました。

 液晶画面は外光が強い昼間では非常に見にくいので撮りづらいのですがこれは外光を遮っているだけではなく虫眼鏡のようになっていて覗くと大きく見えます。東峰村では大工のときんちゃんが色々とカメラやスタジオの有効な道具を作ってくれますが恐らく今の時代は全国にこういう工夫を凝らした道具があちこちで開発されていることでしょう。そういう知恵を結集することも東峰テレビ局と八百万人のお役目です。


 今日は東峰村は秋祭り、村民の顔がいっぱい見えました。この写真は村の有名人のご対面です。小石原鼓地区の高倉ばあと宝珠山地区で最も山奥で3世帯しかない合楽の伊藤ばあです。合楽は夏の大雨で山崩れがあり伊藤ばあの自宅はまだ復旧ができてませんので今は村営住宅に仮住まいの身です。高倉ばあもいつも仲良しの石井ばあがちょっと前から調子が悪く一人でやってきました。

 広ーい村民グラウンドですが二人と偶然出くわししばらくぶりに話に花が咲きました。聞いてると二人は村営の保健センターでしょっちゅう顔は合わすようですし、お互いにとうほうTVに出ているのを見ているようです。とうほうTV仲間でした。

 秋祭りは大変多くの村民が出店を出したり九州プロレスが登場したりで賑わいました。ちょうどプロレスのメインイベントが終わると同時にぽつぽつ雨が降って来て何とか天気のうちに全てのプログラムを楽しみました。神さんといつも仲良く暮らしている村民だからこその恵みでしょう。


 今朝近所のお宅に用事があって訪問したらお留守でしたが、たまたまそのお隣の大倉さんが「持って帰らんね」と畑から大根を抜き取ってくれました。ご主人と農作業をされていてネギやカボスやと次々と野菜をいただきました。これはもうどう見ても鍋セットです!寒くなって来たし、ちょうどいいので今夜は・・。

 帰ろうとするとさらに手前のばあちゃんがもち米で〇〇ごはんができたら持っていくから、と。こちらは今夜は間に合いそうも無いですが最近はご近所のばあちゃんたちに随分とお世話になっています。先日の開局2周年では京子さんが手製の味噌で豚汁を、恵梨奈ちゃんがお母さんの手料理で弁当を作ってくれました。そしておはぎの上手なとしこさん方からはここのところとても美味しいドレッシングがついた野菜サラダをいただいています。なんとか冥利に尽きますが、健康的なふるさとの味にすっかり慣れてしまって最近は流石にコンビ二弁当が食べれなくなって来ました。以前はそれでも都市部に行くとコンビニも美味しくなったと感じていましたが・・。

 今日は午後から小石原地区を回りましたがこっちはこっちで次々と素晴らしい焼き物を楽しませてもらって目の栄養になりました。東峰村の生活は心身ひとつの健康の源です。


 藤本義一さんの追悼文を書いたばかりのところに放送評論家志賀信夫さんの訃報が入りました。志賀さんにはテレビ局時代から大変可愛がってもらいました。平成5年に熊襲復権をテーマに熊本県免田町で住民手作りドラマを制作したとき一番に各誌で紹介いただきました。熊本での放送として作ったドラマでしたが全国で地域活性化に取り組む自治体にも紹介して全国放送も目指そうと東京の銀座熊本館で試写会を催した時も一番に挨拶に立ってくださいました。

 わがテレビ局の東京支社に協力を求めたところ「5人も来ないよ」と揶揄され、「では一人でやる」、と開催したところ熊本館の2階が約70人もの記者や自治体関係者で溢れ、熊本県東京事務所からの連絡で慌てて支社の社員が飛んで来た程でした。志賀さんのおかげでその後、新聞の全国紙はもとより週刊新潮やアエラなど当時の有名雑誌にも次々と扱われ免田町とわがテレビ局は一躍有名になりました。

 テレビ局を退職して住民ディレクターを核に地域づくりの会社を起業した時も一番に声をかけてくださいました。一時は志賀さんが中野で書斎に使っていたアパートを東京事務所としてホテル代わりに使わせてもらっていました。山江村で市民メディア全国集会を開催した折りも無償で駆けつけてくれて壇上で「わたしの後継者」とまで言ってくれました。

 放送評論家としての活動の基本に「人には知られる権利がある」とおっしゃっていてわたしの住民ディレクター活動の根本に触れる精神をいつも共有させていただきました。志賀さんとは随分語り合いましたので書きたいことはいっぱいありますが、今夜は心よりご冥福をお祈りして筆をおきます。

@記事は西日本新聞社新聞から


 藤本義一さんが亡くなったことを昨夜遅く知りました。藤本さんとは11PMで何度かご一緒しましたが相手を生かす司会ぶりを最も学んだ人です。お会いしたら作家でありながらテレビという日常の出来事が詰まったびっくり箱に新しい生活文化を開拓していった代表選手だと感じました。

 藤本さんの11PMでは映画人を熊本に集めて素顔を紹介したくまもと映画祭の交流会場からの中継もダイナミックな展開でしたが、短小軽薄ぶっ飛ばせ!野生派人間大集合と題した硬派番組が印象に残ってます。水俣病支援をしながら生活を学ぶ民間塾、天草の山上に開拓した有機農場、阿蘇の大自然を生かした乗馬牧場に夢を賭ける青年達など当時の11PMでは考えられなかった硬派のテーマで企画し、義一さんの大きな胸をお借りしました。藤本さんとの11PMプロデュースはわたしのテレビ史に大きな位置を占めた代表番組でした。住民ディレクターのスタジオ収録の手法として今も息づいています。謹んでご冥福をお祈りします。

 写真は藤本さんとの最初の11PMの台本。全部自分で作りました。この頃は一応台本は作ってはいましたが実際はやっぱり即興が多かったですね。藤本流をしっかりと学びました。


 東峰テレビ局開局2周年記念番組を終えた瞬間です。いつもながらですがこの楽しく温かい空気が「番組づくりが地域づくり」になる所以です。テレビ局の終了時はスタッフがどっと疲れた表情をすることが多かったのでやっぱりそれは番組づくりをしていたのです。

 明日に繋がる活力を産み出すための番組づくり作業が住民ディレクターという発想を共有している人達の番組づくりです。オマケの所以です。今日も皆さん何事も無かったかのように元気に村を駆け回っておられます。


 今日井上副村長との突撃東峰村役場取材の最中にさりげなく聞いた言葉。「東峰テレビ局は人づくりにもなりよっちゃろうもん(なりよるでしょうが)」。

 いつもニコニコ、誰に対しても柔らかい副村長の慧眼にあらためて感服致しました。実は昨夜も中高年の域に達しながら運送業に転職されて間がない米美(ヨネミ:姓ではなく下の名)さんから驚きの電話がありました。テレビ電話です。Skypeでした!米美さんは村民スタッフとして岩屋まつりや庚申さん、岩屋神社のこも替えなど様々なところで撮影協力してもらっています。スタジオ出演もしてもらってます。

 ついこの前までスマホでテレビ電話しても繋がらなかったのですが、遂に!新しいスマホを2台、しかもWifiができるクロッシー付きで買って来たらしく深夜編集しているわたしのところへSkypeで訪問して来ました。実は東峰テレビ局に来て高橋君のサポートを受けて覚えたばかりでスタジオからのわたしへのSkypeでしたがこの勢いは凄いです。

 毎日年齢にしてはこたえる運送業ですがそれでも夜にITを習得すべく毎日焼酎を吞みながら精進しています。こういう村民スタッフがどんどん増えているのがわが東峰テレビ局です。副村長の慧眼は志しある村民スタッフを温かく応援してくださっている眼差しです。

@突然わたしのパソコンに表れた米美さん。


 あさっての東峰テレビ開局2周年記念番組で急遽午後から副村長の突撃リポート取材になりました。全国だけでなく村内でも意外とご存じない役場の紹介をとお願いしましたら、「顔の見える東峰村役場を紹介しよう」とのこととなり副村長のアポなし突撃リポートになりました。

 当日は13:20から14:00の間で放送予定ですがこれは行政番組としては素晴らしいヒット番組になるでしょう。鶴瓶さんがよく町を歩いてる番組がありますがあの感じで副村長が馴染みの!?役場内を歩くので職員のみなさんの意外な一面を見ながら役場の仕事が紹介されます。11/1の番組ではわかりやすい行政番組というコーナーを設けていましたがこの1本が圧倒的な力を持って迫りそうです。

 副村長のやわらかキャラクターも大きいのですがトータルで5年程かけてとうほうTVの環境作りをしてきたことと2年間のとうほうTV放送の波及効果が定着してきたことが背景にあると感じました。


 東峰村のお星さま祭の最終の行事は子ども相撲です。福井神社の境内にまだ立派に残る土俵で子どもたちが元気に相撲をとります。

 じいさんばあさんもこの日を楽しみにやってきます。小学校に上がる前の子どもたちもお母さんやおばあちゃんに連れられて周囲を走り回ります。お宮に集落の人々が集まり顔を合わせ、子どもたちの元気溢れる取り組みのひとつひとつに歓声があがります。こうやってわたしたちは育って来ましたし今も多くの地域ではこうやって子どもたちは育っています。

 ごく一部の都会や地方都市ではもうこういう光景は見られなくなっていますが実はまだまだ多くの集落で伝統行事としてしっかりとつながっています。こういう温かい集落や地域の中で子どもは育って来ました。全国を歩いているとこういう光景にいつも出会っています。減って来たとはいえまだまだ日本の半分以上はこういう日常生活があるのです。

 既存のテレビや雑誌などのメディアばかり見てお互いが現状を知らないだけなので身近なメディアで発信し合って実際の日頃の生活をしっかりと知り合えば暮らしが変わります。住民ディレクターもそういう一つのやり方として考え出し、今も毎日続けています。