ちょっとご相談があって久しぶりに寄ったちりかさん(右の人)宅。ちょうど東福井からお客さんが来ていました。勿論おなじみの83歳のばあちゃんです。相談する間もなく二人で遅い昼食をとられたらしく「あれを食べなさい、これを食べてみなさい」、と次々とご馳走が出てきます。今日は早めに昼食はとっていたので満腹感を相当オーバーしてしまいました。

 ちょっと15分のつもりがあれよあれよと二人のお話を聞いているうちに1時間を過ぎていました。何とか用件だけは済ませて次の用事に向かいましたが元気です。昨夜は東福井のばあちゃんもは泊まり込みだったらしく深夜2時まで話していたというから驚きです。「元気ばい!」という番組の出演も約束して帰りました。それこそ二人なので「元気倍」です!


 岩手県住田町は三陸の陸前高田や大船渡、釜石などから15~20分程山の方へ入ったところにある林業を核とする中山間地です。4年ほど前に呼んでいただいてからのお付き合いです。3・11の後も後方支援地として活躍され、わたしも住田町を基地に少しずつですが被災地支援を続けています。

 この半年間は毎月1回3日間通ってきました。総務省に「ICT地域マネージャー」という制度があります。この制度導入にあたっては3・11の少し前からメンバーだった総務大臣懇談会で提唱もし、何度もプレゼンをしたわたし自身がモデルの一人だとおもってます。前からある「地域情報化アドバイザ―」も拝命してますがこれは年に2、3回、しかも1泊2日ぐらいの期間なので地域活性化を実践するには無理だと主張してきました。本当は少なくとも毎月4,5日から1週間程2回に分けてでも入らないと活性化を実現するには見通しが甘すぎるというのがわたしの考えです。

 しかもプロデュースをするための予算もある程度任せることをしないとちょこっとホテルに泊まって講演する様なことでは何も変わりません。そして住田町にその「ICT地域マネージャー」として半年間通いました。毎回九州から通い必ず3日は滞在し(それでも基準からすると多いのです)ホテルで寝る時間以外はずっと町の課長補佐横澤則子さんと動きました。「24時間戦えますか?」の世界です。

 その成果をFacebookにリンクしましたが4月から今までに町には発想が無かった住民の20分番組として実現することになりました。結果は出しました。そしてうれしいことにわたしの通いを継続する予算を町単独で組んでいただきました。このご時世にです。東日本全体の情報受発信の後方支援基地として住田町は今年は大きく活躍されるとおもいますしわたしもさらに全力で支援します。


 いつもの光景でわたしがスタジオトークしている合間に撮った写真です。でもいつもと違います。逆光!!? そうです、照明がつきました。

 東峰テレビ局が着々と整備されています。この照明もとても低コストのものですがそれで十分なのです、どこのケーブルテレビも民放やNHKを真似て高い高ーーいライトを買ってますが価格は十分の一のもので今はしっかりと役立ちます。すべてがそうです。スタジオだってうちのスタジオは診療所のまんまで防音も何もしてませんしセットだって驚く程わずかな金額で揃えたほどです。

 しかし人はしっかりとしていますよ。修験者とは言いませんがその歴史をもつ村だけに一流の住民ディレクターさんばかりです。最近は近隣の市町村の応援もしてますが東峰村の住民ディレクターがいっぱいいるからこそできることが非常に多いことに気づきます。人です。この日もスタッフは技術部長の高橋君と自称後期高齢者の大工さん、ときんちゃんとそれより少し若いご隠居さんの利光さんでした。お二人ともお身体に障害があるにもかかわらずいつもすぐに来ていただけます。有り難いことです。

 東峰テレビ局の素晴らしい人材ネットワークは全国に海外にも広がり朝倉地域の946人が二人三脚の世界一、ギネスにチャレンジする3/24(日)も大いに活躍します。


 久しぶりの経験を熊本で色々としましたがこれも本当に久しぶり。経済界の会合の後、ある人と吞むことになり、今の熊本は全くわからないのでついて行ったところがちょっとしたクラブでした。ご覧のようにステージに金屏風があって独特の豪華さを放っていました。そういえばパーティー会場には日本髪を結ってる女性が精力的に男性陣に名刺を配っていましたがもしかしたら同行のご仁もその一人だったかも?!

 テレビ局時代は取材とかなんとか言って夜はほとんど毎日吞みに出かけていましたが東峰村には勿論クラブどころかスナックもありませんので若い人が日田市へ夜な夜な出かけるのもわかります。クラブというだけあって女性のプロの気遣いはあります。夜の店では随分前から「どっちが客か分からない」という話をよく聞きますがそういうことはないように訓練を受けているのを感じます。連れの方はすっかりと落ち着いて吞んでましたから。

 そしてもう一軒行きますがここでも熊本時代を思い出す出来事がありました。ただし昨日もそうでしたが思い出というよりはこれからやることが次々と閃いた夜だったのです。たまたまくまモンで全国区になった県知事が会合のあいさつで熊本・福岡の連携を話してましたがまさにその発想でした、夜の街で次々と浮かんでいたのは・・・。


 熊本の経済界が一堂に集まったくまもと経済のパーティーは随分とご無沙汰していた世界でした。テレビ局時代はしょっちゅう記者としてはこういう集まりを眺めていました。起業して当初は一員となって動いていました。そして今、個々人とは様々な局面でお会いすることはいつもながらありますがこうやって一気に集合された場所は本当に久しぶりの経験です。熊本のホテルキャッスルの一番大きい部屋が埋まりましたから相当な人数でしょう。

 これだけの人を集めるくまもと経済はなかなか底力があるんですね。確か3つの部門に3人の社長がいらっしゃるのですがその一人が気さくでずっと変わらない人なのでちょっとわたしが見くびっていた!?ところがありあらためて見直しました。

 久しぶりの出会いがいっぱいありました。テレビ局時代の同じ一期生で彼も局を辞めて今は製造業の社長さんです。大きく転回した一人ですがやはり「テレビが楽だった」と言ってました。本音でしょう。わたしもずっとそう感じています。しかし面白いかどうかは別ですが・・・。元広告業界の方が全国区の面白いビジネスをやっていたり、ある百貨店の社長さんは初対面でしたがわたしが東日本で住民ディレクターを開拓している話に関心をもたれていました。私の発想ではそう遠くない将来に仕事でご一緒する予定なんですが・・。

 まあそんなこともあってたまにはこういう世界を歩くのも悪くないなと夜の世界へ足を運びました。


  梅が枝餅の由来は菅原道真公が反勢力に謀られて京を追いやられ、福岡にやってきて意気消沈していた時にある老婆が差し出した餅という説があるようです。そういう意味では一昨日出会った93歳、平山のばあちゃんはまさにその老婆をイメージさせます。

 今日村民スタッフの企画会議があり買ってきた土産の梅が枝餅を出しましたがやっぱりあの店で平山ばあちゃんが焼いてくれた梅が枝餅の5分の一の美味しさになっていました。チンはしましたが焼いてこんがりした感じがありません。少しオーブンで焼けばいいのでしょうが、それとてきっとやっと3分の一の美味さでしょう。店に行くしかありません、本当の美味しさを味わうには。

 全てのことに通じることですね。ネットやテレビのやれることはそこまで行く気になるかどうかの温もりの一部を伝えられるかどうかです。はなから温もりがない映像にはもう人は動かなくなってしまいました。それがテレビ60年の歴史の一つの側面だと感じます。現在もテレビマンである大阪の印南さんが平山ばあちゃんの梅が枝餅に反応しています。映像のプロがここまで動かされるのは何でしょう?印南さんは本当に食べに行くと感じます。


 昨日太宰府天満宮に寄った時に美味しい梅が枝餅を探してぶらりぶらりと境内を歩いていました。たまたま曲水の宴が開催されるということで人出は最高だったようです。そこで人が少ないあたりを歩いていたら写真の店の入り口にばあちゃんが手を合わせていました。

 毎朝まず菅原道真公に手を合わせるのだそうです。ばあちゃん曰く天満宮の「銀座通り」から遥か離れているのでお客さんはぼつぼつだけど常連さんが多いとのこと、確かにその人となりを一目見て納得しました。先日亡くなられた熊本県湯前町の山北幸さんを髣髴とさせるような容姿でした。話しっぷりも生き写し、まさに道真公に山北ばあちゃんに会わせてもらったようでした。

 御年93歳、山北ばあちゃんよりは6歳も!若いですが足はしっかりとしてわたしと話す間ずっと立っておられました。よく聞くと肋骨が折れていると朝に医者に言われたばかりとか!?それでも道真公を参拝してそれから食事やお茶をいただく毎日で、一日も欠かせないと暮らしぶりが一貫しています。手づくりの梅が枝餅は本当に美味しかったです。

 ばあちゃん自身と自宅周辺のドラマを色々と聞かせてもらってゆったりと梅を楽しみました。どこへ行ってもしっかりと生きておられる「人」はいらっしゃいます。


 福岡-熊本往復は今でも毎月数回あります。今は福岡が基点で「熊本へ」ですが10年前は熊本から「福岡へ」でした。10年程前の頃、熊本から福岡に向かうときいつも感じていたのが「福岡の空はどんより沈んでいて嫌な感じだなあ」でした。西に目を向ければ佐賀で吉野ヶ里をイメージしてましたがやはりどんよりしている日が多かったのです。たまたまそういう日に通ってるのか?ともおもいましたが快晴のときでも独特のどんより感を感じていたのです。

 そして昨日ふっと感じたのが「福岡方面はきれいだなあ」です。今は中国からのPM2.5の飛来もあって雲っていることが増えたかもしれません。昨日も確かに飛来物で空間が汚れている感じはしました。しかしきれいという感じがありました。10年前のどんよりという感じが無くなり透明感を感じます。でも物質的にはPM2.5で汚れているって感じです。

 そして熊本もきれいです。自然環境や人間の動きや様々な要素が創る空間です。何だか九州の空間がいい感じになってきてるのです。と、ぼんやりと考えながら運転していて自分の生活環境を振り返ると人の動きが急です。繋がりも凄いスピードで動いています。大変な時代だからこそこれを超えていくとこれまでになかった全く新しい面白い時代が来る時でもあると感じます。

 空間の感じでそれが伝わってきます。

@熊本から福岡方面を見た写真。


 24日のだんだん協議会のあさくら広域観光情報の発信は華やかでした。池田恵梨奈とストロベリーガールズ!?の参加が大きいですが、やはり「観光」という分野、そして「春」というテーマが開放的で楽しくまさに光を観じるものであるからでしょう。

 そしてその舞台裏を支えてくれるスタッフをとうほうTVはいつも表に出てもらうようにしています。裏方さんも出演者であり、キャスターやリポーターも技術者であり全員がオール・イン・ワンで活動するという関係性の中から場の空気全体が醸し出されるからです。いつもプロやセミプロ、勿論素人さんも番組づくりを楽しみにしていてくれて皆さん各地からボランティアで駆けつけてくれます。その分、皆さん本当に楽しんで帰られます。

 とうほうTVのノウハウはこの気軽さから生まれる遊び精神に支えられているといっても過言ではないでしょう。出る人、裏方を支える人、バランスよく同時にメンバーが増えてきています。そしてだんだん協議会の皆さんは一気にメインスタッフができました。パワフルです。


 昨日は書くゆとりがないまま打ち上げまでいってしまいました。そして今朝も朝から時間がないまま熊本へ移動、今からまた出かけますがちょっと一報を。

 昨日の西日本新聞社の朝刊です。東峰村を含む広域観光の12元中継を昨日朝刊でお知らせしてくれていました。一昨日は岩手県住田町から夜に帰りましたので取材現場にも不在ですっかり忘れていました。12元中継は広域の皆さんとわが東峰村民スタッフ、そして写真に写っている恵梨奈ちゃんとそのお仲間たちが参加してくれたのでスタジオは花盛りでした。若い女性の力は大したもんです。

 ということで1時間少々の中継番組は大変好評でした。初めての人達でこんなにやれてしまうのです。VTR番組もやった上での中継番組でしたのでかなり要領よくすすみました。広域に賑わいを取り戻す、だんだん灯火が広がって行くという主旨の「賑わいあさくらともしびだんだん協議会」という相当長い名前の団体ですが民間、行政相交えての新しい集まりです。ではそろそろ出かけますのでまずは遅ればせながらの一報でした。

@写真は西日本新聞社新聞2/24朝刊より