官兵衛ゆかりの地の5つの市が集まった黒田サミットが大分県中津市で開かれ、取材に行ってきました。イベント的には秀吉の正室「おね役」の黒木瞳さんとドラマのチーフプロデューサーのトークショーがメインのようでしたが前座?の各市のパフォーマンスが面白かったです。

 黒田家発祥の地、滋賀県長浜市、祖父等が活躍した岡山県瀬戸内市、官兵衛が生まれた兵庫県姫路市、九州最初の領地、大分県中津市、そして関ヶ原の戦いで拝領した黒田藩、福岡市の5市です。それぞれの市長さんが現在の観光振興等の現状を報告されていましたが東峰テレビが企画している様なNHK番組を活用した1年間の番組づくりの様な事業は勿論ありません。

 今日の報道関係者でもテレビはNHK大分の他はわが東峰テレビだけでした。腕章をしてステージサイドにて家庭用カメラを縦横に振り回し!??しっかりと取材をしてきました。新聞社は各紙が来てましたがテレビは「東峰テレビ」独占!。きっと目立ったことでしょう。明日は嘉麻市のシンポの取材にお邪魔しますよ。


 NHK大河ドラマ 軍師官兵衛がいよいよあと1ヶ月で始まります。というのはわたしたちもいよいよはじめるからです。軍師官兵衛が日曜日の午後8時45分に終るとNHKではニュースですが、東峰テレビはその8時45分になると「官兵衛で國創り」~ NHK大河ドラマ応援団(仮)~という番組を午後9時まで放送する企画を進行中です。ネット配信も同時に行います。

 官兵衛は今の兵庫県姫路市の姫路城に生まれ、秀吉の軍師として活躍します。そして今の黒田藩(福岡県)の藩祖となっていくのですがわが東峰村の高取焼はその黒田藩の御用窯として発展し二代目窯元が今の東峰村鼓地区に開いた窯です。その他にもゆかりの史跡やエピソードもあります。これらの歴史や文化を官兵衛という魅力的な人物とその周辺、その子々孫々に伝わる人物群との関係性から紐解き、地域の歴史、庶民の歴史を住民自身が開拓していこうという企画です。

 時には官兵衛によって助けられ、時には官兵衛によって滅ばされた黒田藩や九州、全国の歴史を地域に住む人々がしっかりとわかっていくことで自分たちが育ってきた地域のことをよく知ろう、そこから本当の地域活性化の方向が見えるだろうというのが番組化の基本です。そして日常のActionにつなげていく。住民ディレクター番組です。楽しみながら次々と発見し、発掘する地域開拓史になる番組です。

 NHKの番組にぶら下がりながら活動を深めていく番組ですが1年間毎週制作・放送することで新たな場を生み出していくダイナミックなAction Mediaになっていきます。


 昨日一日かけて我が地元スタッフ二十歳のえりちゃんと作っていたのは来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に東峰テレビが追随?!する番組企画書でした。なかなかいい感じで出来上がりましたが今朝目が覚めるとどこかへ行かないといけない感じがありました。

 取りあえず散歩がてらに新車??!を走らせ!勘だけで動いていたらとうとう大分県中津市に行ってしまいました。青の洞門や耶馬渓の紅葉も美しかったのですが最終的には中津城でした。そう!!、中津城は黒田官兵衛が秀吉から拝領した九州の最初の領地です。昨日も確かにその記事を書きました。が、全く車がどこに向かうのか?は意識にありませんでした。

 紅葉や珍しい神社に惹かれながら走っていると遂に中津城に着きました。中津城に登城してわかったことがいくつかありました。秀吉から豊前国12万3千石を与えられ築城したのが中津城ですが地元のに宇都宮(城井:キイ)鎮房という大名がいて、なかなかの強者であったので官兵衛はとうとう息子の長政と計り鎮房を謀殺したらしいのです。

 鎮房の家臣も騙されたことを知り主君への忠義から全員ことごとく討死にし、どこか忠臣蔵のような空気が漂っていました。軍師はやはり策略を弄して相手方を押さえ込んだことも多々あったということでしょう。「人は殺さず使え」との名言を残した官兵衛ですが、戦国時代に殺さないわけはありません。そういう意味でも官兵衛の歴史を地元住民から解き明かす番組というのはとても意味があるように感じました。

 規模は全く違いますが一見すると熊本城に似た中津城、もしかしたら仲がよかった加藤清正から城造りのノウハウを聞いていたのかも知れません。来年は「官兵衛バラエティ」という番組を東峰テレビが制作するのですがいろんな制作のノウハウや可能性を感じ、ぐぐっと歩をすすめました。


 東峰村で最近楽しいのは若い人の活躍が著しいことです。猿喰の愛理ちゃんもそうですが小石原皿山の高取焼窯元の娘さん 由布子ちゃんも面白いです。

 関東から帰ってきて東峰テレビ局に訪ねてきたのがもう3ヶ月にもなるでしょうか?都会での生活にNOを自分で出しました。生まれ育った東峰村の窯元の暮らしがいかに豊かだったかを早くも見抜いています。しかもICTを上手く使えば都会も田舎もなく自由に生きたいままに生きられることもすっかりわかってる感じがします。

 わたしはずっとそうですが二十歳を過ぎた頃の生活感覚は今もほとんどそのままあります。経験はそれから倍の40年近く積んではいますが気持ちはあの頃と変わってないのをいつも感じます。だからこそ愛理ちゃんや由布子ちゃん、竹地区の農家の後継者ひろつぐ君らといると楽しいですね。未来を創る気持ち、未来に憧れる気持ち、今から始まるという気持ちがとても共感できて話しも合うと自分では感じています。

 人生は自分自身の気持ち次第で如何様にも楽しく生きられることを永年かけてわかってきましたが20代の頃の気持ちがそのままあればこんなに強いことはないでしょう。石坂洋次郎の「若い人」が大好きだった友人がどんどん年をとっていくのを感じると「若い人」は昔から言われるように年齢ではなく気持ちのありようですね。

 東峰村は気持ちの若い高齢者が多いのにも驚きますがやっぱり身体を動かすからでしょう。しかも時間を計りながら走ったり、歩いたりのトレーニングではなくてゆったりとした時間の中で百姓仕事をやってるだけで自然とバランスの良い運動になっているのだと感じます。


 ICTを使う方法は実に多様にありますが最近は緊急雇用で東峰テレビ局に来てくれている地元の猿喰(さるばみ)という珍しい地名の地区に住む20歳の梶原愛理(えり)ちゃんとのネット上の仕事のやりとりにかなり活躍しています。

 えりちゃんはいつもは夕方まで仕事をして自転車で15分の自宅に帰りますが、今日もわたしが一気にやりはじめた企画書作成を夕方まで整理する役割をやってくれましたが帰宅後も少し宿題を残しました。えりちゃんとはPCメールとFacebookとLINEを使いますが元になる原稿はホワイトボードに書き込んだわたしの手書き文字です。iphoneで写真に撮ってFacebookで送って、LINEでやりとりします。

 わたしの場合は全国の方々ともこういう感じでそれぞれの得意なICTツールでやりとりします。それにしても最も基本は畳一畳もあるホワイトボードであることはこの18年間一貫しています。Skype、Gogle+、宅ふぁいる便などその他にも組み合わせが様々な仕事術があります。

 標高200mから400mの中山間地 東峰村に住んでいても今、本当にこのようにICT生活道具が充実しているのでゆるやかに暮らしている村民の皆さんと豊かな食材や自然をゆったりと味わいながら全国や世界に伝播する仕事のやり方を生み出せるとても面白い時代になってきました。


 東峰村では最近マスコミ各社の取材が急激に増えています。東峰テレビもその一役を担っていますが今度はテレQの「きらり九州めぐり逢い」がやってきました。リポーターは映画監督の井筒和幸さんです。

 11月4日にいきなり井筒監督が東峰テレビ局にやってきました。番組ディレクターさんの依頼でドッキリ的な演出を考えておられて当日までは誰が来るかわからないということで取材は始まりました。そしてその日は竹地区の農業後継者で村民スタッフのひろつぐ君のお宅にも寄りました。

 ひろつぐ家はこの日、妹さんの結納の日でした。結納の儀式が一通り終り皆さんが自宅でくつろいだ頃を待っての訪問でした。実はひろつぐ君は緊張体質なので朝から夕方まで結納の儀式で緊張してしまった場合は自宅に帰ると寝込む可能性もありました。わたしも少々心配でしたが井筒監督を連れて行くとニコニコして手を振っていました。ご家族や親戚の皆さんも大変喜んでおられました。

 この他に日田彦山線の眼鏡橋や小石原の行者杉、レストランなども紹介されるようです。放送は福岡県内で11月30日(土)午後8時から8時54分まで。テレQです。

きらり九州めぐり逢い  http://www.tvq.co.jp/o_j/kirari/past/


 奥州・平泉の郷に来て透明な空気に益々自分自身の気持ちが整理されます。駅に着いてからずっとそうですが会う人会う人皆さんやさしいです。

 国民宿舎に宿をとったのですが駅から「場所確認に」と電話したら予定に無いのに(とても安いプランで予約しました)わざわざ迎えに来てくださいました。着いてフロントでの女性の対応の清々しさにまた癒されました。本当にお客さんのことを考えて対応してくださっているのがよくわかります。部屋に入ってびっくり!!とても広くてきれいな部屋です。

 夕食無しのプランで来ましたのでカフェ・バーで食べようと入っていくつか頼んでみてまたまたびっくり。とても凄い料理が信じられない価格で提供されています。最近のホテルやレストランの偽装問題の渦中の皆さんを連れてきたいほどです。料理だけでなく応対が素晴らしいです。こういう方々ばかりの土地柄です。人が喜ぶことが自分の喜びという方々が住み続けてきた土地ということがすぐにわかりました。

 そしてここも熊本県人吉球磨地域の熊襲と同じく古代、大和朝廷が征伐(??!)に訪れたのです。人の喜びを自分の喜びとできずに我がままばかりやってる人達には理解できないでしょうが、やさしい人達はずっと受け入れてきたのです。受け入れてもらってる側は当たり前とおもってるのですが、もうそういうことは続かない時代にとっくに入っています。日々の生き方が即、自分に跳ね返ってくる時代になってます。

 わかりやすく言えば「みのもんたさんの今」です。みのさんがマスを使ってやってきたことが今、自分に跳ね返って来ています。今、彼がマスコミ批判や言い訳をされていることはかつて彼が多くの方々にしてきたことであり、その時に涙をのんだ方々の経験を遅ればせながら今経験しているということでしょう。ブーメランです、自分がやってることが必ず自分に返ってきます。良い人には良い結果が還る時代でもあり、それが希望です。


 東峰テレビ局4周年の日、星さんが厨房担当になりました!これまで表には見えにくい取材や編集仕上げ、企画書作成などで深夜まで、時には食事もとらないで東峰テレビを支えてくれていましたが「料理もせん」とか村民のみなさんの誤解を受けてるようなので少しシフトを変えます。

 料理が得意な東くんには仕事としてやってもらっていましたがこれからは益々全員が忙しくなるので全員が自分で食べたい時や食べられる時に食べる態勢に戻し、「厨房担当」程度のノリで炊飯器のスィッチを入れてる、梅干しや食パンは買ってある程度の担当にしてセルフサービスを目指します。

 ですから村民スタッフの皆さん、訪問いただく村民の皆さん、スタッフがばたばたしている時はどうぞご自由に和室や厨房でお過ごしください。最近は差し入れをしてくださる方、アルコールやつまみをキープして帰られる村民スタッフも増えましたがいよいよ東峰テレビ局は4年目に入り、村民みなさんの自由広場となっていきます。

 さて、そういうシフトになったんですが昨夜も深夜2時頃まで全国の皆さんとの中継番組の技術を一人でこなし、今日は9時から東峰学園子ども文化祭の取材に出たにもかかわらず朝からなにやらトントンと厨房でやっておりました。誠心誠意の姿は必ず理解されるので放っておくというのが岸本流修行道ですがさすがに5ヶ月間逃げ出さずにジワジワと力をつけてきました。一回だけほめておこうかと・・・。4周年に入ったばかりの東峰テレビの朝の光景です。


 東峰テレビの村民番組「村民ひろば」が今週で100回目の放送を迎えました。そして東峰テレビ自身は今月いっぱいで丸3年となります。村民ひろばの前の約1年間は今現在の東峰テレビ局ではなくメディアカフェという最初のスタジオで制作していましたので約2年で100回を迎えたことになります。

 さてその村民ひろばはどこにでもあるネーミングですが考えに考えて「東峰テレビ局」と番組の「とうほうTV」が村民の本当のコミュニケーション広場になるように願ってつけた番組名です。とくに高齢者が約4割を占める東峰村ではわかりやすく覚えやすいネーミングが求められます。東峰にゅーすも同じくです。

 「村民みんなで創る番組」のスタートは2010年11月にはじまり、スクールバスの運転手梶原伯夫さんと農家の奥さん梶原京子さん、そしてわたしの3人のスタジオ番組でスタートしました。昨日からこの3人で司会していた番組のリバイバル放送をしていますがあらためて見ても最初からくだけていて普段着の村民参加番組です。

 ゲストの村民の皆さんは少々緊張気味ですがきっと今ならごくふつうにひょこっとスタジオに来られるとおもいます。普段着でひょこっと来て知らぬ間に終っている番組づくり、でもそれが暮らしの知恵に溢れていて日々の東峰村での生活に役立つ情報になっていく、村民ひろばの理想です。


 久しぶりに素晴らしいNHK企画を見ました。

 3・11の直後のマスコミ取材であまりにも悲惨な現状での記者取材に限界が見られた時(と、わたしは感じました)ある局がマイクを被災された皆さんに渡して「無事であること」や「心配しないでいいこと」などを離れた家族や親戚に被災者のみなさんが直接語る番組を見ました。その時にわたしはここまでの状況になるとやっとこういう取材?!が起こりえるんだなあ、と感慨深く見せていただきました。そして被災者の皆さんの語る一言一言にテレビが始まってから60年近くなってこれほど国民に役立つことが証明された例があっただろうか?と食い入るようにテレビに入り込みました。

 民放を退職して住民ディレクター活動をはじめることになったのはまさに住民自身が自らのことを発信するテレビが地域の活性化に貢献するとの確信からでした。生活に役立つテレビとは究極、生活者自身が生の声で語ることであって、その表現手法はテレビが60年間模索し、積み重ねてきたノウハウが山ほどありますからこれをプロが出過ぎずに寄り添いながらサポートすることが大事です。

 今朝見たNHKは東日本のその後を伝える番組でした。そして被災時のあの「マイクを渡してしまう手法」が行われ、復興の途上にある皆さんが自ら語っていました。日頃の様子はNHKが撮影したものを語りに重ねてわかりやすくサポートしていました。

 最近のNHKの番組はこのように生活者に根ざした素晴らしい企画が増えてきています。NHKは地域おこしを主目的にするテレビ局ではありませんが国民や地域への貢献という放送の使命は当然あるわけですからこのような番組が続々と出ることは必ず地域から支援されるテレビになっていくと強く感じます。