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大勲位こと中曽根康弘元総理には他にも「風見鶏」「不沈空母」など数々の異名がある。
その一つに「青年将校」というのもあるが、彼がなぜそう呼ばれるようになったかについて、NHK解説委員の松本卓氏がWEB特集記事の中で次のように書いている。
昭和30年の保守合同で自民党が結成されるまで、中曽根は主に野党議員として活動した。
当時の連合国軍最高司令官・マッカーサー元帥に対し、「5年以上にわたり占領政策を継続するのは不可能だ」として、占領をやめるよう求める建白書を提出。
自主憲法の制定、そして、首相公選制を各地で訴えたほか、占領政策の継続を容認してきた吉田茂政権を舌鋒鋭く批判する。その活動から、「青年将校」と呼ばれるようになった。
(中曽根康弘 最晩年の言葉)より
全文はこちら→https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191212/k10012210981000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_007(何度かの単独インタビューや取材で中曽根像を浮き彫りにしたいい記事)
当時としてはかなり過激で目立つ言論活動が異名の理由だったのだ。
そして、野党議員だった中曽根氏が吉田政権を舌鋒鋭く批判したのには、ある狙いがあったという。
記事は次のように続く。
(引用ここから)
吉田茂を評価していた部分もあると明かす一方、痛烈に批判したのは占領軍へのメッセージだったと振り返った。
(注:以下は中曽根氏自身の回想)
「吉田さんは敵ながらあっぱれだと、日本のために堂々とやっていた。マッカーサーの司令部にいっても、あまり卑屈にならないで、やった政治家として評価しとったわけです」
「吉田内閣をたたくということは占領政策をたたくことでもあった。内閣を相手にするよりも、実は占領軍を相手にしてやっておったというのがわれわれの本当の考え方であった」
(引用ここまで)
なんと、青年将校の批判の矛先は、実は吉田内閣の向こう側にいるGHQだったというのだ。
われわれと言っているから仲間もいたのだろう。
この行動にどれほどの効果があったのかは不明だが、吉田内閣が安易な妥協をすることに反対する声が大きければ大きいほど交渉を後押しすることは間違いない。
なるほど、政治にはこういう手法も必要なのだ。
これで思い出すのが、安倍総理がTPP交渉参加に踏み切った時の大反対論だ。
あとから考えればピント外れの指摘や思い過ごしもあったが、それが結果的に政府の交渉に迫力を与えた。中曽根青年将校のように意図的かどうかは別にして、日本国内に反対したり心配する人が多いことは交渉参加国、特に米国政府には伝わったはずだ。
特に、我が国として譲れない線を国会決議という形で明確化したことは大きかった。
交渉は極めて激しく厳しいものだったが、合意後に米国が離脱するほど日本側の交渉力が光る結果となったのにはこのような後押しも貢献したのではないか。
そして、これは以前にも述べたことだが、同じような意味で、最近の虎ノ門ファミリーなど保守論客による「習近平国賓反対論」にも大いに意味がある。プライムニュースに登場した櫻井よしこさんも同様の主張をしている。
また、先日は自民党有志による「日本の尊厳と国益を護(まも)る会」が『習近平国家主席の国賓としての来日に反対する決議文』を官邸に提出した。さらに、12日には自民党総務会で習近平国家主席の国賓来日対する懸念表明が相次いだという。
これらはニュースにもなったから、当然中国政府の耳にも届いているだろう。
つまり、これらの活動は安倍内閣の向こう側にいる中国政府に対する批判であり圧力となる。
ネットには単に安倍政権を叩きたいだけとしか思えない発言もあふれているが、これも結果的に中国政府への圧力になると思えば笑って見過ごせる。
私は保守合同前の若い中曽根氏が『青年将校』と呼ばれた理由を知って、安倍総理がまだ若いころ中川昭一氏と共にNHK番組改変問題などで結構暴れていたことを思い出した。最近こそ慎重な発言を心掛けている安倍総理も、当時は「青年将校」を思わせる活動ぶりだった。
そしていまは、安倍総理が当時の吉田首相の立場であり、心ある自民党議員たちが「青年将校」の役割を演じているのである。
(以上)
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