江戸時代の経済政策と人口変動 | 猫の遠ぼえ『次の世代に残したい日本』

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いま上念司さんの「経済で読み解く明治維新」を読んでいる。まだ途中なのでちゃんと読んでから改めて感想を書きたいと思うが、「維新前史を”経済的視点”で描く」という新しい試みは『経済で読み解く大東亜戦争』同様に非常に斬新で成功していると思う。

 

読んでいて改めて気付いたのは、江戸時代は非常に大雑把に言って、元禄文化が花開いた前半の経済発展期とそれ以降の経済停滞期に分かれているということだ。それは、当時の人口の推移を見ればよくわかる。次のグラフは総務省の資料の一部を切り取ったものだ。

 

 

 


出典:http://www.soumu.go.jp/main_content/000273900.pdf

 

これに上念さんの視点で当時の経済政策を重ねてみた。

 

 

上念さんは織田信長や豊臣秀吉が日本の商業史にとっての画期的な政策(社寺勢力の商業利権独占を破、商業、物流の自由化など)や全国的な物流網を整備し、徳川家康がそれを丸ごと継承したと指摘する。そしてそれは、人口の変動にも確かに表れている。

 

家康は金山、銀山を手中にし、家光までの徳川三代はそれを財源に幕藩体制の安定のために東照宮の建設、江戸の町の建設、あるいは上洛や日光参拝などで莫大な額の財政出動を行う。1657年には明歴の大火により江戸の街は大半が焼失するが、幕府はここでも多額の財政を支出する。

 

そして、織田信長の時代から始まっていた商業の自由化など様々な構造改革、インフラ整備、リフレ政策などが経済を発展させ、元禄文化として花開くことになる。ところが、元禄の繁栄をバブルと捉えた財政再建派の新井白石が登場して成長は止まる。

 

その後の吉宗の享保の改革もその延長線上だから経済が回復することはなく、むしろさらに悪化したことが人口にも表れている。この時は大岡忠助による元文の改鋳などでデフレを脱するが、松平定信の寛政の改革でまた悪化する。その状況が明らかに人口変動にも表れていて驚く。

 

その後、また改鋳を伴う文政の改革があり人口は増加している。このように、江戸時代後半は幕府の政策が一貫せず、せっかく良くなりかけては引き戻されることが続き、当時の日本が持っている経済ポテンシャルを生かせなかった。

 

まるで高度経済成長期からバブル景気を経て、その後の停滞期、小泉政権時の回復、民主党政権による混乱、安倍政権と続く戦後のGDPの推移を見ているようである。そして、これは人口減少社会となっても経済成長することで、かなり対処可能であることを暗示しているのではないか。

 

現代の日本もアベノミクスが長続きしなければ、新井白石の時代や松平定信の時代に逆戻りとなり、人口減少も加速してしまいかねない。もっとも、現在の人口は明治維新時点の3330万人の3倍以上であり、維新後のペースで増えるのがいいのかは疑問ではある。

 

そういう意味で『一億総活躍社会』が目指す姿は、元禄以降に何度かあった高度経済成長時代の再現とはちょっと違うと思う。経済成長も人口変動もゆるやかで、より多くの人が生きがいを感じられる社会を目指すということではないだろうか。

 

上念さんは江戸幕府の後期の経済失政を指摘しつつも、明治維新が経済成長につながった背景にはこの時代に資本主義が発達したことがあるという。江戸時代に大名と民間が中心の一種の資本主義が実践されていたが、それに幕藩体制が合わなくなったことが明治維新につながったというのだ。

 

上念さんは『経済で読み解く大東亜戦争』でも経済の切り口で歴史を検証して成功しているが、これはこれまでの歴史書に欠落していた新しい視点である。某経済評論評論家はプロの物書きとしてブルーオーシャンを求め、結局赤く染まってしまったが、氏はちゃんとそれを見つけたのだ。

 

(以上)

 

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経済で読み解く明治維新 江戸の発展と維新成功の謎を「経済の掟」で解明する 単行本 – 2016/4/9 上念 司  (著)