ハロウィン肖像画42 大場恵美子さん | New 天の邪鬼日記

New 天の邪鬼日記

小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。



札幌在住の美容師、歌手であるえみは激動の人生をくぐってきた。

家庭内暴力で育ち、不眠によるアルコール中毒、ニュージーランド留学、現在は大病と闘病中である。
勇者中の勇者である人生をどうやって一枚の絵画に凝縮できるか?
舞台はニュージーランドにあるワイトモ洞窟だ。
マオリの言葉で、水(ワイ)と穴(トモ)を意味する
留学中のえみも訪れたことがある「グロウワーム」(光る虫)で有名な場所だ。
オレが訪れたとき、真っ暗な闇をボートで進むと、いきなり地底にプラネタリウムが出現する!
「天空の城ラピュタ」に出てくる飛行石の炭鉱そのものだ。
グロウワームは土ボタルといって、ニュージーランド・オーストラリアでしかみられない貴重な生き物で、世界遺産にも指定されている。
幼虫は餌を捕食するために天井に引っ付いてからだから発光成分を含んだ粘液を垂らすのだが、まさに息を飲むほど美しい風景だった。
グロウワームは「闇の中の光」、「絶望の中に希望」を象徴する。
洞窟の奥は黄色い光に満ち、えみの明るい未来を象徴している。


えみの設定は「グロウワームを守る魔女」である。
えみがバンドで演奏するときの帽子の薔薇の冠をつけ、メキシコの「コラソン」(ハート)ネックレス、ライダースジャケットに黒い手袋というロックないで立ちだ。
えみが抱える南天は、西洋ではクリスマスホーリーという。
古代から冬至の頃真っ赤な実をつけるので魔除けとして、葉の棘はキリストの受難、実はキリストの血として聖木とされてきました。
日本の南天は、平安時代に中国から渡り、咳の生薬(のど飴。咳止め)として珍重された。
さらに日本人は、「ナンテン」を「難転」、「難を転じて福となす」と読み換え、風水の鬼門に飾って魔除け、お守りなどの縁起木として愛されてきた。
ナンテンの花言葉は、「福をなす」「よい家庭」「幸せ」「機知に富む」「私の愛は増すばかり」「深すぎる愛」だ。

えみから送られてきた写真は、緊張した面持ちで笑っていない。
オレは穏やかで世界を全面信頼している素顔のえみを描いた。
いわばえみの「ハイヤーセルフを描いた肖像画」である。
ではえみ自身が書いたライフストーリーを紹介しよう。


今になって、想っても、私の幼少期は、淋しくて辛いものでした。
私の物心付いた、最初の記憶は、父親に殴られ、鼻血が出るところから、始まる。
母方の祖父母が、遠方から遥々、私の家に遊びに来てくれた。
それも、初めてのことで、とっても、嬉しくて姉とはしゃいでいました。
夕食のとき、姉が私の膝の上にお味噌汁をこぼしてしまい、私がその熱さに驚いて「ギャ!」と叫んだところ、父に「うるさい!!」と、怒鳴りつけられ、思いっきりビンタを張られました。
そして、私の鼻から鼻血が流れて来ました。
その痛さと、何で私なの?という思いより、辛かったのは、その後、何事も無かったかのように、全員が食事を始めたことでした。
私だけ、タオルで鼻を押さえて、食べられないのに、みんなは平然と食事を始めた。
鼻を抑えている、白いタオルの向こう側と私が、切り離されているのを感じました。
それから、私は、その場にそぐわない人間のように思えるようになったのかも知れません。
母は、私と姉にに言いました。
憎々しそうに「アンタ達さえ居なければ離婚するのに!」
父が他所に、女の人が居て、その女の人に生活費の殆どを持っていかれ、殆ど家にも帰って来ませんでした。
当時、父は国鉄が栄えていて、国鉄で保たれて居るような田舎町で、機関区長をしていました。
本当でしたら、生活に困るような家ではありませんでした。
母は、私と姉を育てるために、魚の加工場に働きに行き、生計を保っていました。
そんな母も、生活に疲れると、見慣れない綺麗なワンピースを着て、白い鞄を持って、私と姉に「そこに座りなさい、ママはこの家を出ていくことにしました」と言い出しました。
初めて、言われた時は、口から心臓が飛び出すかと、本当に思いました!
驚いて飛び上がりました!
「どうして?」
「父さん女の人の所に行って帰って来ないし、アンタたちも言う事きかないから!」
「ママ!お願いだから、出て行かないで!」
「言う事きくから!」
「ママ!ごめんなさい」
泣いて縋って、土下座して、これ以上、小さな身体をまるめられないのに、畳におでこを擦り付けて、何度も何度も、母に謝りました。
母も泣き出し、そのうち、母の気が済んだのか、出ていきませんでした。
でも、母のストレスが溜まると、それがまた、始まりました。
そのうち、私も、子供心にも「この人出ていく気無いな」と思うようになりました。
姉はテレビを見るようになりました。
私は、母の茶番に付き合っていました。
それと、母は姉のことを折檻していました。
パートから帰ってきて、茶碗洗をしていないと姉を殴りつけていました。
姉も意地になって、絶対に謝りませんでした。
姉の背中の骨に、母の拳骨で殴る音が、ガンガンして、とても、怖かったです!
私は、必死になって、姉に「お姉ちゃん!あやまんなって!」と言いましたが、姉は、絶対に謝りませんでした。
最後に母が「こっちの腕の方が痛くなる!」と言って終わりました。
負の連鎖で、今度は、母の居ない時に、姉が私のことを虐めました。
友達を連れてきて、お人形さんごっこだと言って、私を人形にして、無理やり沢山服を着せた私を、山積みにしたクッションの上にマットを置いて、私を乗せて、友達と一緒にグラグラと揺らして喜んでいていました。
「お姉ちゃん!危ないからやめて」と言ってもやめてくれません。
そして、最後に「お人形さんの髪をとかしてやる」と言って、わざとにぐちゃぐちゃにとかして、クシに髪の毛を絡ませて痛くして、ほどけなくされ、「髪を切ってやる!」と言われ髪を切られました。
まるで、盗賊が来て襲われているみたいでした。
そして、2人で居ると、私のことをつねり出し「痛い!」と言うと、「アンタ痩せてるから痛くないしよ」と言われ、私も抵抗して、叩き出し、物凄い喧嘩が始まります。
姉は、4歳上なので、体力的に負けていて、私は、必死です!
肩でゼイゼイと息を切らして、死物狂いで戦っていました。
そんな子供時代です。


私は母のことが大好きだったので、「自分さえ生まれて来なかったらママは幸せだったのに」と悩むようになり、小学校に上る前から、自殺を考えるようになっていました。
周りに馴染めず、どこか、人とは違うと思い悩みながら、誰にも相談できずに月日は流れて行きました。
色々ありながら、父は女と、手を切って、私たち家族は引っ越しをして、新たな町で暮らし始めました。
小学生の時から、父に気に入られたくて、吹奏楽を始めました。
父は音楽好きで、私の子供の時から、家にはステレオがあり、レコーダーや、当時珍しい音楽機器がありました。
おさない頃から、不眠が酷くて、17歳ぐらいから、夜、父の焼酎をジュースできる割って、鼻を摘んで飲んでみました。
すると、不思議と眠れました。
次の日も飲んでみました。
すると、また眠れたのです。
そんなことが、毎日で続いて行きました。

高校を卒業して、家を出て、進学の為、札幌に出てきました。
いつも、淋しかった。
誰にも、分からない、誰にも、あかせない闇が、私の中に、常にあって、成長と共に、どんどんと膨らんでいったようでした。
いつも、自殺することを考えていました。
そんな事も、誰にも言えませんでしたが。
そんな中、憧れていた、モデルをやっていた明美先輩がマンションから飛び降り自殺をしました。
本当に、ショックでした!
札幌の、美容室で働きながら、職場でおもしろくないことがあると、家に帰ってきては、お酒を飲んで怒りを抑えていました。
そのうち、淋しくなり、夜の街に踊りに行きました。
でも、お酒で自分の意識を消したかった。
いや、自分の存在を消し去りたかったのだと思います。
まだ、二十歳そこそこで膵炎になったり、自分で自分の感情を持て余していました。
相変わらず、眠れませんでした。
美容室のお客さんの紹介で思い切って精神科の受診をしました。
その掲示板に「断酒会」と書いてありました。
自分では、アル中だと思っていました。
だって、17才の夜から、毎晩欠かさずお酒を飲んでいましたから。
でも、恥ずかしくて、先生にも言えませんでした。
私の生い立ち等、話したら「それだけのことがあったら、そのような状態になるのも無理はないですよ!」と言われて、なにかホッとしました。
ところが、病院から出された、薬を飲んだからといっても、何も改善はしませんでした。


それで、今度は、また、美容室の、お客さんでNZに住んでいる人から、「環境を変えてみたらどうか」と提案されNZに行くことにしました。
その頃、私には恋人がいました。
気は小さかったけど、とっても、優しいよい人でした。
自分の淋しさ、心のポッカリ空いた闇をその人に埋めさせようとしました。
最期には、振られてしまいました。
そんな予定では有りませんでしたか、逃げるようにして、NZに行きました。
初めは、NZの太陽や自然に癒されたのか?お酒が止まっていました。
そのうちまた、少しづつ飲むようになりました。
ルームシャア先の人が寝静まった後に、こっそりと冷蔵庫からワインを、かすめて飲むようになりました。
そのうち、昼間もビールで、パーティも、ぶち壊してしまうようになりました。
振られた彼氏からも「アルコールが原因だ」と言われました。
日本に帰って来て、NZの美容室に就職を決めてきたものの、酒を辞めることができませんでした。
怖くて、酒を切ることができないのです!
飲まずに、どうやって、現実を生きていけばよいのか?
全く、分かりませんでした。
それでも、酒を切らなければNZに行っても、周りに迷惑をかけるだけだとわかっていました。
飲めば飲むほど、人から相手にされなくなった。
それが、原因で怖くて飲めなくなりました。
それが、正直な話です。
お酒を辞めても、今度は、酷いうつ病に成りました。
それも、良くなり、バリバリ働いていたときもありました。
でも、また体調を壊し、病気になり手術をしました。
「いろいろとやってみたけど、やっぱりだめだった」
子供の頃のトラウマに悩まされていました。

そんな時に、AKIRAさんのライブを知りました。
どハマリしました!
名曲「愛することを止めないで」のおかげで、ずっと引きずっていた彼への気持ちの整理がつきました。
そんな矢先に、父が亡くなりました。
そして、妹のようにかわいがっていた友人が自殺しました。
まさか!また、あんなイヤな思いをするとは思いも寄りませんでした。
このときは、AKIRAさんの「ありがとう」を死ぬほど聞いていました。
聞かないと生きて居られなかったのです。
随分と長くなってしまいごめんなさい。


今、私は、また、大病をしています。
今日は、AKIRAさんから、ご紹介頂きました赤ひげ堂さんに行ってきました。
たまたま、AAのカンファレンスがあって、参加しています。
24歳でお酒辞めたと思います。
あれから、32年経って、呑まなくなってから、なんだかつまらない人生になったようにも思うことがありました。
でも、そうでしょうか?
今、私は、拙いながら自分で音楽を表現させて頂く立場にいます。
まだ、軌道には、乗っていませんが、自分たちで訪問美容の会社を立ち上げました。
志を同じくする仲間と、就労支援の仕事もさせて頂いています。
利用者さんも可愛いです。
決して健康では、ないし、今でも春先や、5月はしんどいし、気分のムラもあります。
それでも、AKIRAさんが教えてくださった通り、今日、今、私は生かされていて、
その事に、感謝しています。
そして、幸せを感じることもできます。

フェイスペインティングはマオリ族の神聖なタトゥーだ。
ひたいに太陽;生命力の源、命への感謝。
ほほにドラゴン。水、火、生命エネルギー。
あごに海亀;自由、癒し、愛。

ハロウィン肖像画42 大場惠美子 油絵F 15号。(652×530mm 


えみのライブペインティング動画

えみのフェイスペインティング動画








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