ハロウィン肖像画Ⅳ−40 「至福のコーヒー」ヤマモッティ | New 天の邪鬼日記

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小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。



ハロウィン肖像画Ⅳのフィナーレを飾るのは出張珈琲屋のヤマモッティである。


絵の登場人物全員がコーヒーを飲んでいる不思議な絵画である。
そこでコーヒーの歴史をかんたんに紹介しよう。
コーヒージョークで「どんな偉い歴史学者がBCはビフォアセンチュリー(紀元前)と言おうが、BCはビフォア・コーヒーだ」というのがあるが、まさにコーヒーは文化の賜物だ。

コーヒーの期限は諸説あるが、日本の輸入コーヒー屋「カルディ」のもとになった話を紹介しよう。
エチオピア人のカルディという山羊飼いが、自分の山羊が真っ赤な実を食べると楽しそうに飛んだり跳ねたりしている。
自分も食べてみると、すげー爽快な気分になっちゃう。
カルディは山羊といっしょに毎日この赤い実を食べ、楽しく働いていた。
カルディたちの様子を見てびっくりしたイスラム教の僧侶が、僧院に持ち帰り、仲間の僧侶たちにも食べさせたら、眠い読経も眠くない。
魔法の豆の噂が広がり、庶民にも愛用されるようになった。

初めコーヒーは実をつぶして脂をまぜ、団子にして食用し、つぎに実と葉を一緒に煮て煮汁を飲む。
やがて実の皮と種子を天日で乾かして使うようになり、13世紀頃から種子を煎って粉にして使う。

コーヒーはアラビアを起源にイスラム教全土へと広まる。
1510年頃、カイロに世界初のコーヒー店ができ、1554年には、トルコの首都コンスタンチノープルに「カヴェー・カネス」というコーヒー店が大人気を博す。
当時トルコでは、コーヒー豆を煎り、それを石臼で挽いて煮出して飲む、現在のギリシャやベトナムの方法だ。
1623 年、トルコのイスタンブールにはカフェが600軒もあり、カフェは社交場となっていたが、イスラム原理主義のオスマントルコの皇帝ムラト4世はコーヒーを飲むことを禁止した。
罰則は一杯目でむち打ちを、二杯目は革袋に入れて海に投げ捨てられるという厳しいものだった。 
さらにスウェーデン王国のグスタフ3世は、コーヒーは健康を害すると信じ1746年にコーヒーを禁止し、厳しく取り締まった。
グスタフ3世は双子の死刑囚にコーヒーと紅茶を飲ませ続け、体調の変化を観察していた。
先に医師2人が老衰死。逆にグスタフ3世は46歳の若さで暗殺。
紅茶の死刑囚は83歳で老衰死。コーヒーの死刑囚が一番長生きしたというから笑える。


喫茶店のルーツはイギリス・ロンドンにできた無料試飲の店だ。
1652年にコーヒー店をオープンし、わずか10年で2000軒のコーヒー店をロンドン市中に林立させる。
1763年、フランスで名もないブリキ職人が現代のドリップ式の考案する。
ポットの中にたらした布袋にコーヒーの粉を入れ、熱湯を注いで浸透させる器具の発明によって、煮出すから漉(こ)す現代のコーヒーになる。

日本には足利時代にキリスト教の布教のためにやってきたポルトガル人やスペイン人が伝えたとされる。江戸時代に入ってから長崎出島にオランダの商人が持ち込んだ記録がある。1797年(寛政9年)の「長崎寄合町諸事書上控」の中の、長崎丸山の遊女が貰った物の一つとして「コヲヒ豆一箱。チョクラート」という文章が最初である。
1783年の「紅毛本草」にも、コーヒーが万病に効く薬だと記されている。

明治の中ごろからコーヒーを飲ませる店が少しずつ増え、明治の末には、東京・銀座に「カフェー・プランタン」や「カフェー・ライオン」が開店する。
「カフェ・パウリスタ」という、ブラジルコーヒーの販路拡大とPRのために開かれた喫茶店が大ブレークする。日本からブラジルへの移民がコーヒー農園で働く見返りとして、ブラジル政府から無償のコーヒー豆が提供される。コーヒーを低価格で提供した「パウリスタ」は、最盛期には20数店舗、従業員も1000名を越えるほど繁盛し、庶民にもコーヒーが広まった。


この絵では、全員がコーヒーをの飲んでる。
絵の下に画家ゴッホの言葉が記されている。
「To do a good work,drink one’s coffee in peace.Van Gogh」(いい仕事をするなら、まず心を落ち着け、一杯のコーヒーを飲むことだ)
玩具箱のように散りばめられたシンボルは、ギターのカップル(人生を楽しむ)、カメラマン(客観的観察)、ケツァルコアトル(南米の龍神。水、幸運)、コーヒー袋を担ぐ労働者(勤労感謝)、白猫(直感、魔除け、浄化)。
両親、おばあちゃんのインスタントコーヒー、卓球部、自転車旅行、生徒会長、民宿「魔ある」、ラジオON AIR。キリスト。

奥さんのみっちゃん。大阪出身のヤマモッティは移住相談会で高知にいき、みっちゃんと出会い、結婚した。
みっちゃんはすばらしいボーカルで、小学校の時週末学校「ヘンゼの森」で自然のすばらしさを学んだ。

空中でコーヒーを注ぐ大国様(商売繁盛)。双頭のワシ(広い視野)、ミルマスカラス(多様性)、悪魔(悪も経験)、シャイニング・ハート(心に太陽を)、天使(メッセンジャー)、神様(あなたが神)、

ガイコツトンボ(お盆に祖先からのメッセージを届ける。前にしか飛ばない。不退転。水田にいるので金運と食に困らない)
フライング・ハート(自由。発想力)、。

スナフキン(旅人、音楽、)、チキン(臆病でいい)、聖母マリア(慈愛)、魔女(魔法を信じる)、スーパーマン(正義感)、ウルトラマン(変身しよう)、ガンダム(心の操縦)、マックブッダ(ジョークを忘れず)、ピエロ(笑いを忘れず)、耳長うさぎ(自分のことを話すより、人の話を聞く)、
「I love coffee」「No coffee No life 」「Cafe is my home」


では主人公ヤマモッティ・山本崇史(高知県)の書いたライフストーリーをのせよう。
【1972年12月1日誕生】
幼少期はあまり食べなかったらしく、母も心配したこともあったよう。しかし、中学生くらいには人並みに食べられるようになっていたと思う。
また、思っていることをなかなか言わない、言えない性格だった。
子どもの頃の両親のイメージ。父は仕事で午前様の日々。
母は厳しく常に怒っているイメージ。
2人兄弟で弟も時に感情を出すので、長男の僕がいい子でいないと…と、頑張っていた。

【1988年】
大阪の地元公立中学を卒業。部活は卓球に頑張り、生徒会長として学園祭を復活させたりと、文武両道で元気よく過ごした印象。
一方で、卓球部では地区大会表彰されるまで頑張るも、顧問の先生に反目し、三年からバレー部に転部するなどの経験もあった。

【1991年】
大阪の公立高校卒業。周りが受験勉強に一様に頑張る姿をみて、違和感を感じ自分の人生に真剣に悩み始めるも、どうしてよいか分からず、結局、親の勧めもあって大学へ進学する。

【1995年】
地元大阪の大学卒業。大学時代は、あまり友人を作って交流することなく、真面目に〝単位〟をとるべく淡々と通学しつつ、バイトに明け暮れた印象。今でも覚えているのは、普段ほとんど付き合いがないのに、試験前になると「ノートコピー取らせて」と〝たかるように〟やってくる学生たち。だけど嫌われるのが嫌で、悶々としつつもノートを渡す自分。大学内での楽しい記憶はほとんどない印象。だから、余計にバイトに精を出していたところもあるように思う。また、幼少期からずっと祖父母(とくに母方の方が奈良県で近くでよく通っていた)のところへ通っていたが、今思えば、実の親から感じられなかった〝癒し〟を求めていたように思う。

【1996年】
社会人一年生。高校時と同じく、大学卒業時は自分の行先を決められずに自転車旅をするも明確にならず、結局、また親の勧めにより公務員になる。

【2006年】
公務員を退職。この数年前に父が糖尿病を患ったことが一つのきっかけ。当日東京に居て、〝あの〟父が急病との知らせを受け、関西へ転任希望を出す。…と書けばある意味自然なようで、実は、激務の中、地元へ帰りたい気持ちもあった。今2023年、この年になってようやく「仕事とは何か」がようやくわかりつつあるけれども、これまで一貫してこの「仕事とは何か」が何一つわかっていなかったと反省。家族思いも大切である一方で、嫌だからとか、これじゃない、とかで、いかに周りに迷惑をかけてきたか、やらかしてきたか、が今になってわかってきた。しかし、その時々、何事もまじめに仕事はしてきたと思っている。

【2006年】
公務員を辞める前に出会った「コーチング」で起業。コーチングを知ってクライアントを経験した際、今まで蓋をしてきた自分の内をこんなにも安心して出せる場があるんだと、そのあまりもの新鮮さに興奮したことを思い出す。その勢いのままに、コーチングを生業としていこうと、勉強し開業。ただし、これでご飯を食べられるところまでいかず挫折。


【2009年】
起業したコーチングを兼業しつつなんとか三年もたせたものの挫折し廃業。じゃあ何をすれば良いのか、悩み悩んで出た答えが「コーヒーを仕事にしたい」なぜか。
一つは、公務員時代に癒しをいただいた理想とする珈琲屋との出会いがあったこと。当時から、〝いつかマスターの立場で自分が人を癒したい〝と思っていた。もう一つは、〝おばあちゃんのコーヒー〟。今思えば、行くたびに〝たかし、コーヒー入ったよ〟と出してくれる全部入りのインスタントコーヒーを飲みたかったがために足繁く田舎に通ったと思う。本当に美味しく〝ホッとする〟コーヒーだった。おばあちゃんの思いやり。こうして決めると素晴らしい珈琲屋で修行する機会に恵まれる。

【2012年】
三年大阪で珈琲の修行をし、独立しようとするもなかなか自信がない上に目標も明確でなく、流れるように高知へIターン。移住促進の担当者がとても熱心だった。これまで殆ど他人の思いに寄りかかってた感。
そんな中、ある職場とご縁あり、慣れない仕事しかも管理職として大変な時期を過ごす。今までの〝ツケ〟が回ってきたように。でもまだ、本当の意味で仕事や自分と向き合えなかった。
この辛い時期を経て、ようやく決断し、「出張珈琲屋」として起業する。まだ暇な時、今の妻と再会し、彼女のゲストハウスを手作いそれがきっかけとなり、古い民宿を受け継いで経営するという経験もした。

【2022年】
コロナ禍になって、民宿は手放し、縁あって妻が以前住み込みしていた温泉宿で働くことになる。
民宿での経験を活かしがんばれつつも、これまでの課題が一気に吹き出してくる。
「仕事とは何か」「自分はどうありたいのか」「人間関係とは」この一年半の間、やっと向き合うことができたように思う。
今、この温泉宿を卒業し、コツコツ続けてきたコーヒー業を今度こそ本格的に進めていく時期。お陰様で素晴らしい商品も生まれ、自信もついてきた。また、露店での営業スタイルも新鮮で、お客様始め様々な方々と交わる機会に恵まれる。

【2023年】
夫婦でのコーヒー業とゲストハウスの仕事を続けていくうち、ひょんなご縁から、今般地元幡多郡エリアでこの秋開局予定のコミュニティFM*「FMはたらんど」のパーソナリティ試験に合格、パーソナリティとして新たなスタートを切ることとなる。
また今年は念願のAKIRAライブを主催することもできた。

【有難いこと】
僕には自慢できることがある。
なんと言っても、素晴らしい方々との出会いに恵まれていること。
特に高知へ移住してからの出会いは凄すぎる。
ヒマラヤ大聖者相川圭子さん、AKIRAさん、古市佳央さん、杉浦貴之さん、バリのアニキ丸尾孝俊さん、コーヒー焙煎のまるたつのお師匠、まだまだいる。
この方々のお陰様で、人と繋がる喜びを体験し、自分と向き合い続けることができる。
徳島のさおりちゃんからAKIRAさんに、そこから古市さん、貴さん、まるたつのお師匠と出会えた。
ヨグマタ相川圭子さん、バリのアニキには妻の倫からのご縁で出会うことができた。
そして、当の本人は、両親やご先祖さまのお陰様で生かされたくさんの経験をすることができている。
生きる喜び。全てがかけがえのないご縁で経験。元々ある自分の持ち味を目一杯活かして、この喜び、感謝を分かち合っていけますように。(以上ヤマモッティ筆)


ハロウィンメイクもコーヒーで統一する。
ひたいの第三の目にはコーヒー豆の三位一体で、苦味+酸味=幸福。
ほほはカフェラテアートのハートが咲く花。
あごはカップと温泉マークのような湯気である。
ヤマモッティの人生が迷いの連続だが、迷ったからこそ豊かな出会いに恵まれた。
向かない仕事をやったからこそ、好きなものがわかった。
こんなふうにどの人の人生も完璧にできているのである。
あなたの人生にコーヒーで乾杯!


ハロウィン肖像画Ⅳ−39 「to the happiness 」ゆうこりんF15号。652×530mm


1月30日ヤマモッティのライブペインティング動画

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1123263128676932&id=100000789583722


2月1日ヤマモッティのハロウィンメイク動画

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=346214798248447&id=100000789583722


★ハロウイン絵画Ⅴ 1名募集!

2024年7、8月タイで描いてくるハロウィン肖像画限定5名に、

甲斐美香(神奈川県)、宇野紀和子(岐阜県)、むつみ(オランダ)、えみ(北海道)が決定しました!

4名が決まったので、空席はあと1名です。

くわしくはこちらのブログを参照してください。



★15th ネアリカフェスのメモリアル動画(1時間)が完成しました。

さとうみつろうさんとの対談とコラボ演奏、ネアリカ制作、受賞作品発表など盛りだくさんです。



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