マジでー! ブログで発表する前どころか、ライブペインティングの配信最中に嫁入りしてしまいました〜。
AKIRA絵画最大のコレクター、宇都宮のれいこ&たかこ母娘です。
この母娘は傑作を秒殺で見抜く審美眼をもっているのよ。
AKIRA絵画の傑作はほとんど所蔵しているので、いつか『キクチコレクション展』で審美眼の講演してもらいたいわ。
この絵のテーマにもどろう。
われわれのふるさと地球は、大気中に大量の酸素を蓄え、さまざまな命が支え合って生きている。
現代科学でもそのような星は地球以外見つかってない。
酸素濃度が低すぎると新陳代謝がおこなえず、高すぎると酸素中毒を起す。
地球は大気中、酸素 21%のバランスを数10億年も維持してきたのだ。
これってありえなくね!?
オレの自伝小説『COTTON 100&』にこんな文章がある。
昔々あるところに、ごくありふれた男がいました。男はそれまで何の不自由なく、ごく幸せな生活を送っていました。
ところがある日たいへんなことに、ふっと気づいてしまったのです。
それは、自分が息を吸っては、吐いているとゆー衝撃の真実でした。
一度吸ったら、また吐いて、吐いたら、も一度吸わなきゃなんない。
一度吐いたら、また吸って、吸ったら、も一度吐かなきゃなんない。
「ホントかよぉー!」
一度吸ったら、また吐いて、吐いたら、も一度吸わなきゃなんない。
一度吐いたら、また吸って、吸ったら、も一度吐かなきゃなんない。
男は一日に5万8千9百回も悩んでいるうち、窒息して死んでしまいました。
海亀は海中で暮らすが、肺呼吸の爬虫類である。
約20分に1度海面に息を吸いにくる。
去年オレがスリランカで泳いでいるとき、海面から突き出した海亀様と目があった。
一生のうち最初で最後の奇跡である。
「ありがたや〜ありがたや〜、海面の海亀様をおがめるとは」
海亀の子も肺呼吸するので、母亀は陸にあがり卵を産む。
アメリカインディアンは、人の人生を「風のきた道」と呼ぶ。
生まれた瞬間、最初の風を吸いこみ、
死ぬ瞬間、最後の風を吐く。
最初の呼吸から最後の吐息までがあなたの人生だ。
「ミタクェオヤシン 」とは、自分とつながるすべての自然に感謝すること。
「風のきた道」に感謝を忘れることは、自分の歩んだ人生を否定することだ。
「命や自然があってあたりまえ」と感謝を忘れていたオレは病気になった。
余命宣告を受けた胃がん手術の翌朝、「はっ、息が吸える!オレは生きてるぞー!」と、生まれたての赤子のように感動した。
命への感謝を思い出すことによって、病気が治り、以前より健康な生活を送れるようになった。
この絵にはもうひとつのメッセージが隠されている。
一目で気づいた人もいるかもしれないが、不思議な違和感をもつはずだ。
「こんな表現見たことない。でも不思議な安らぎを感じる」と。
そう、リアリズム(具象)とアブストラクト(抽象)が溶け合っているのである。
亀は徹底したリアリズムで描かれ、海は光がランダムに反射するアブストラクトで表現されている。
具象と抽象という敵同士が和解し、たがいを支え合っているのだ。
インディアンには、「ピースメーカー」(調停者)という特別な役割をもつ存在があった。
ピースメーカーは敵同士の部族たちの言い分を聞き、たがいの利益(良さ)を引き出し、和解させる。
この絵は、あなたに命への感謝を思い出させ、たがいのちがいを敬い、多様性を受け入れる勇気を与えてくれるだろう。