
沈黙は金(きん)なり。
という格言があったが、インディアンの現代作家オヒイェサもこう言っている。
沈黙によって、
体と精神と魂と、完全なる均衡が保たれる。
自分の存在を、ひとつの統一として保っていられる人間は、
生活にどんな波風がたとうとも、
いつまでも平静で、動揺しないでいられる。
木の葉が揺れても、湖のきらめく水面に波紋がおころうとも、平静でいられる。
文字を持たなかった私たちの賢者にとっては、
これこそが理想の態度であり、最上のふるまいだったのである。
声のでなくなったオレもこの聖なる掟を守った。
沈黙のまま、ステロイドを打ち、のどあれ口内炎用の「クリーンピットAZ」をスプレーし(福岡のパンクバンド「スターター」ユウスケ推薦)、「パブロントローチAZ」をなめ、小林製薬の「ぬれマスク」をしたまま眠り(パンクボーカル海月光推薦)、早朝5時50分のフェリーに乗り、朝日に祈り、午後1時50分、与論島に着いた。

与論島は鹿児島県である。鹿児島の最南端にあり、沖縄のすぐ手前にある面積20平方キロの島だ。
真っ白い珊瑚の砂浜とマリンブルーの海が広がるビーチが60あまりもある。
スターサンドという砂は星の形をしていて、四葉のクローバーと同じように幸運を呼ぶを言われている。これは太古の有孔虫の化石で、ゆりが浜一帯に多い。
地元では島を「ユンヌ」と呼ぶ。
与論は奄美5島の中でもいちばん小さく東西5キロ、南北4キロくらいだ。一番高いところで97メートルだから、ほとんど平らな土地である。
観光ブームが来る前はほとんど自給自足の貧しい島だったという。
さんご礁の石灰岩が風化してできた土なので農業にはむかない。山と川がないのも致命的である。さらに台風と干ばつに悩まされてきた。
平らな土地なので風とおりがよく、台風のたびに学校や役所がなぎ倒される。
今年も先週の台風でわずかな雨が降ったがサトウキビは倒れたままだ。
「雨たぼり」という雨乞いの歌も旧盆に歌い継がれている。
干ばつが起こると常食であるサトイモがなくなり、「蘇鉄(そてつ)地獄」がはじまる。
蘇鉄の幹を削ってでんぷんをとるのだが、毒性がなくなるまで何度もこさなければならない。体力のない飢餓人は毒にあたって死んだ。
チフス、コレラ、天然痘など、何度も疫病に見舞われた。
数十年前までは「風葬」だった。
死体を土に生め7年ほどたつと、掘り出して「洗骨」する。それを海の見える崖の洞穴につぼに入れて埋葬する。
風葬が禁止され、内地式の埋葬にかわったのは明治35年からで、風葬用の洞窟が打ち壊され、墓地が決められた。
歴史上何度も疫病や飢饉でたくさんの島民が飢え、戦前から九州の三池炭鉱や満州へ移住していった。
1970年代中番から観光ブームが訪れ、90年代中ごろにはあっというまに去ってしまった。
島の収入は、サトウキビ、観光……仕送りである。
なにしろ高校を卒業すると100人に3人くらいしか島に残らない。
ほとんどが沖縄、鹿児島、大阪、東京などにでていってしまう。
しかし最近はUターンブームもおこっている。
やはり島の暮らしがいいと、もどってくる若者も増えてきた。
島が平らなので人の行き来もしやすいし、小さいので悪いことなどできない。そんなところが与論人の素朴で人なつこい性格を生んだのかもしれない。
与論島出身のミチが主催をしてくれた。
ミチも「オラこんな島いやだ」と世界を放浪し、今では結婚して長野で暮らしている。5歳のわかなをつれてもどってきて、旦那タカシの妹ハルナも手伝いにかけつけてくれた。
プリシラリゾートは空港近くのサンセットビーチ(兼母海岸)にある巨大リゾートである。ギリシアをイメージした白い建物にプライベートビーチをかかえている。

島いちばんのライブハウス「かりゆし」の支店が今日の会場である。
与論ではライブにお金を出していくという習慣が定着していない。喜納昌吉さんがきたときでさえ、お客さんは15人ほどだったという。
しかしミチや千葉の労音でイベント企画をしていた弟イサオや友人たちががんばってくれ、40人を越える人々が集まってくれた。

与論島を代表する島唄バンド「かりゆし」のリーダー・テツさんとミヤコさんも聴きにきてくれたのがうれしい。

PAは店長のダイスケが非常に歌いやすい環境をつくってくれた。
オープニングアクトは地元の人気バンド「キャッチ&リリース」である。
昨日できたという「愛は泣き叫ぶ」をはじめ、印象に残る歌詞とメロディアスな曲作りがすばらしい。こいつらは与論のビギンになるやもしれぬ。

オレは昨日から秘密特訓をしていた。
ギターのコードを2不レットずつ下げたコードを練習していたのである。リハーサルで恐る恐る声を出してみると、高音はかすれるもののなんとか歌えそうだ。
いつもの「絶唱型」から「ウイスパー型」(ささやき)に歌唱法を変えた。

1、 ウレシパモシリ
2、 ぬちどぅ宝
3、 だいじょうぶマイフレンド
4、 この海のむこう(「青空のむこう」の海バージョン)
5、 米をとぐ
6、 PUZZLE
7、 ソウルメイト
8、 おさない瞳
9、 背中
10、 家族
11、 和解の歌
12、 なんくるないさ(アンコール。キャッチ&リリース)

「えっ何が起こったの?!」
自分がいちばんびっくりした。はじめはウイスパーでささやいていた声がどんどん伸びる。かすれがかさぶたをはがすように剥がれ落ちていき、艶さえかかってくる。
「いける!」そう確信した。
一音下げたキーで弾いていたギターをオリジナルキーにもどす。
「うおおおおおー! たったひとつのパズルが欠けても~」
でるじゃん、でるじゃん、いつもよりいい声がでるじゃん。
声のボリュームがあがると、観客もあがる。

なんだかもうマリオネット状態である。
昨日のブログを見て全国から心配メール(ありがとう)がとどいたが、死者や祖先をはじめ未来の観客から見えない大軍団が集結し、オレの体を操っている感覚だった。
声をなくした急患鳥から不死鳥の復活劇である。
主催のミチもライブの大成功に大喜びだ。

今回の試練から新しい歌唱法を学んだ。
力任せの120%でごり押しせず、波のように寄せては返し、繊細なニュアンスを表現する。
いわば「抑揚の美学」とでも言おうか、
なんか合気道の達人のようになってきたぞ。
島の南になるヨロンゴルフクラブの「松井館」に泊めてもらっているのだが、オーナーの松井さんもいい感じで酔っ払い踊りまくってくれた。
打ち上げを終え、松井館へ帰る。
ミチが習っていた指圧の師匠・青山先生が施術してくれた。
経絡にそって施術する「操体法」、筋肉反射や間接整体ををとりいれ、高度で繊細な技を極めた達人である。
まるで楽器を演奏するように両手で体の両側から同時に指圧していく。一押しごとにスキャナーで体の詳細な情報が読み取られていく感じがした。
「今まで25年間たくさんの人を施術してきましたが、こんな体ははじめてですよ。丈夫でしなやかで無駄がなく、驚くべき瞬発力と持久力をもっています。押した瞬間に筋肉がおもしろいように即反応して、自ら快癒していくんです。体自身の持っている精神レベルが非常に高いんですね」
「えっ、体にも精神があるんですか?」オレが聞く。
「もちろんですよ。体は意識以上にすべてを記憶しているし、その人の無意識もコントロールしているんです」
オレはいつも体が伝えてくれる知恵に自分をゆだねている。限界も可能性もすべて体が教えてくれるのだ。
「あなたは知的労働者なのに、体と精神にずれがない」
先生は大きな目を細めて笑った。
「ちゃんと骨と筋肉で生きている人だ」

※ 与論グルメ情報
「ふらいぱん」(茶花エリア。与論郵便局近く。電話97-4539)の巨大エビフライとハンバーグに腰を抜かす。
