またもやありえない物語なのである。
今回の主催者タクジは3年前はじめて石垣島ライブにきてくれた。

7ヶ月前に奄美大島に移り住み、マグロの養殖場で働きはじめる。
ある日会社の上司から言われる。
「AKIRAってしってる?」
「AKIRAってどのAKIRAですか? 旅してるAKIRA?」
なんと会社の上司は画家香川大介の友達だったのである。
タクジは奄美でライブ会場を探しはじめる。名瀬の名門ライブハウス「あしび」がフルブッキング状態だったため、打田原半島にある「音種畑」へ話をもっていく。
「AKIRAってしってる?」
「AKIRAってどのAKIRAですか? ニューヨークにいたAKIRA?」
さらにさらにありえねーシンクロがおこる。
とっちんは、20年前のニューヨークでジャンキー友達だったのである!
栃木より加計呂麻に移住した真友子とその子供しゅう&かえでと共に車で音種畑へむかう。名瀬からの道中、とうふ屋、石釜パンに寄り道をしているといきなり声をかけられる。
名古屋で共演したジャンベ奏者ジュンじゃん!
友人と4人で旅をしている途中、とうふ屋でおからコロッケをほおばるオレを車中から発見したという。

音種畑へきてびっくらこいた。
とっちんは理想の場所を捜し歩き、奄美にユートピアを見つける。

蒼い海に張り出した岸壁の上に土地を買い、NYで大工だった腕を生かし、自分でこのライブハウスを建てたのだ。

「うおー、20年ぶりじゃーん!」

Barもかっこいいなー。スタッフは島んちゅのナオちゃんやオレと同じ時期にNYにいたアサちゃんが手伝ってくれる。

まわりには集落どころか民家が一軒もない半島の果てに、夜11時を過ぎても客足は途絶えない。奄美大島最南端(音種畑とか正反対の場所)古仁屋に一軒しかないコンビニで偶然フライヤーを発見した人、栃木でAKIRAライブを見た人、人伝いに「AKIRAってミュージシャンがいる」「AKIRAって旅人知ってる?」と噂を聞きつけた人、今回奄美大島を旅している間に出会った人、とっちんを知るミュージシャン仲間、タクジの仕事仲間、ブルーシールアイスクリーム屋の女子、ステージ目の前の芝生には50人以上の人たちが集まった。

オープニングアクトは、「音種バンド」とっちん(ドラム)、ふみたけ(ベース)、もっちゃん(ギター)だ。レゲエのリズムにとっちんがシャウトする。

地元で人気のテルがギター弾き語りする。ゆるい空気を独特なグルーブが会場をなごませながらあげてくれる。

夜9時半、さあ、オレの出番だ。
4日間の休養をとったので声の調子ももどっただろう。波の音のみが聴こえる静寂に「わたしは大地~」が響く。
1、 ウレシパモシリ
2、 ぼくの居場所
3、 ぬちどう宝
4、 米をとぐ
5、 イジメ
6、 だいじょうぶマイフレンド
7、 ばあちゃんの手
8、 背中
9、 家族

……なにかがおかしい。
歌いながらどうしようもないジレンマを抱えていた。
声が思うようにでない。
1曲ごとに枯れていく。
なんとか第一ステージを終えたものの、声が出なくなっていた。
これはいつもとちがう異常事態だ。
あせりを見せないように観客と会話し、夜11時から第二ステージに立った。
1、Traveling man (ジャンベ:とっちん)
2、Shining Soul (ドラム:とっちん。ギター:もっちゃん)
3、奄美ちゅら島(「精霊の島」の奄美バージョン)
4、旅立ちの歌
ヤバイ、まったく高音が出ない。低音も出ない。
これは数年前完全に声を失ったときと同じ状態だ。一度声を失うと2週間はライブができない。
それほど北海道から関西、九州とつづく連続ライブで、のどの状態は限界だったのだ。
後半のステージは10曲用意していたのだが、4曲歌うのが限界だった。
50人も集まってくれた観客にはもうしわけないが、ステージを降りた。
テルのバンドがあとをつないでくれる。ありがたいことだ。

オレはプロポリススプレーにマスクをしてとっちんの部屋で眠らせてもらった。

島んちゅや移住者、ミュージシャンなど、すべての人を波の音がやさしくつつみ、とっちんお手製のカレーを食べ、東の空から朝日がのぼり目の前の海はコバルトブルーへと色をかえていった。
あしたからの与論島ライブをまえに思いっきりのどを休めよう。
オレはマスクにこう書いた。
「Sorry I have no Voice」
