電影少女 VIDEO GIRL AI 2018について | 北条明の世界

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電影少女 VIDEO GIRL AI 2018

「電影少女 VIDEO GIRL AI 2018」は、2018年に、テレビ東京で放映された深夜ドラマである。

原作は、1989年~1992年にかけて連載された、桂正和氏による漫画「電影少女」で、本作は、その続編にあたる。

原作については全く知らず、西野七瀬さん主演ということと、「まぼろしのアンドロイド」的な展開を期待して、全話見た。

 

ビデオデッキを再生したことで実体化したビデオガール=アイと、主人公弄内翔との触れ合いを描いている。

ビデオガールは、再生した人がして欲しいと思うことをしてくれる存在であるが、その再生期間は3か月。

アイは、もともと25年前の存在であるため、現代ではギャップが生じている。

翔に尽くそうとするが、翔はクラスメートの奈々美のことが好きである。

そのため、アイに対して性的な欲求を持たないというのは、アイドル主演のドラマとしては、常識的な設定である。

翔は、基本的に不器用だが、いい奴である。

野村周平氏の好演もあって、とても好感が持てたし、自分を投影できるキャラクターであった。

奈々美は、翔の親友で3人で一緒にアニメを作っている智章のことが好きなのだが、アイは翔を応援する。

この辺までは、どこかずれているが、翔のために尽くそうとするアイの姿がよく描かれていた。

 

その後、翔は、中学時代の後輩リカと再会する。

リカは、翔に好意を持っている。

一方で、アニメの音楽を、リカの元彼のカオルに頼むことになるのだが、こいつがとんでもなく嫌な奴である。

さらに、清水というプロデューサーに騙され、完成したアニメを実質奪われてしまい、アイは記憶を失い、清水にアイドルに仕立て上げられる。

それにもかかわらず、智章は清水の下で働き、付き合っていた奈々美や翔と亀裂が生じる。

 

このあたりからの展開はドロドロし過ぎに感じた。

奈々美もなんか嫌な感じになっていく。

そして、翔は、アイがいなくなったという事態にもかかわらず、なかなかアイの正体を、智章たちに伝えない。

それが不自然に思えた。

 

リカは、翔に積極的なのだが、アイへの思いに気づいた翔はつれない。

それにもかかわらず、献身的に尽くそうとするリカが痛い。

リカ役の大友花恋さんがすごくかわいいから、正直、もうビデオガールなんてわけのわかんない存在よりも、自分をこれだけ思ってくれるリカの気持ちに応えろよって思っていた。

だいたいあんなかわいい子が、自分に好意を持ってくれるなんて、現実にはそうそうない。

アイと翔の関係を深くするための存在としてのリカだったのかもしれないが、それが逆効果になっていた感がある。

 

結局、その後、翔がアイを取り戻し、記憶も戻り、2人の心は通い合ったままアイは消滅する。

ただ、25年前のアイは、人間(?)として、翔の叔父と暮らしていた。

どうして人間になれたのか、そしてどうして今回はなれなかったのか、そこが消化不良に感じ、ちゃんと納得のいく理由を明確にして欲しかったと思う。。

そのため、アイの消滅という感動的シーンも受け容れにくかった。

あと、「ビデオガールとは何か」ということは、疑似科学的でも偶然の産物だったという説明でもいいから、過去のことも含めて、劇中で触れて欲しかった。

 

アイは、乃木坂46の西野七瀬さんが演じているが、個人的には、「初森ベマーズ」のななまるの方が好きだし、かわいかったと思う。

 

ビデオガールという設定は、とても面白い発想だし、それが現実の人間とどう関わっていくかというのが、この作品のテーマだと思う。

ただ、それが実際に恋愛を経験する高校生が主人公だと、そういう関係にならないのは不自然だし、そこを避けているために不完全燃焼になってしまったと思う。

もっとも、そこを突き詰めれば、アダルトな作品になってしまうが。

ただ、原作漫画は、そこまで踏み込んでいるという。

踏み込まないのであれば、主人公を中学生にするしかないと思うし、それなら、人間と人間でないものの関係を、別の視点でしっかりと描けると思う。

翔がアイのことを好きになってしまったのはわからなくもないが、現実的に冷静に考えると、仮に3か月で消滅しないとしても、人間でない以上、子どもも産めないし、年も取らない、そんな存在と一生暮らしていけるのかと思う。

一時は本気で好きになったとしても、人の心は変わるものだから、リスクのある恋だと思う。

だからこそ、逆に3か月で消滅するという設定が必要だったとも言える。

この作品は、純粋な高校生の思いを描いているのだから、そういうことを考えるのは野暮なのだが、考えざるを得ないこともあり、後半は翔の思いに共感しきれなかった。

それは、自分が既に純粋に恋愛できる年齢でなくなってしまったからかもしれない。

 

自分が期待し思い描いていた方向性とは違ったけれど、いろいろなことを考えさせられた作品であった。