映画『消えた声がその名を呼ぶ』の感想 | アキラの映画感想日記

アキラの映画感想日記

映画を通した社会批判

無視された虐殺

 

 

消えた声が、その名を呼ぶ

 

アルメニア虐殺といえばカナダで活躍するアルメニア系エジプト人のアトムエゴヤンが『アララトの聖母』でその真偽を問いイタリアの巨匠タヴィアーニ兄弟が『ひばり農園』で惨劇の現場を描いてる訳だが虐殺の加害者側であるトルコにルーツを持つアキンが生存者の家族ドラマに焦点を当てたのが本作。娘が生き延び置ていた事実を知り、その足跡を辿り革命前のキューバや米国大陸にまで至る壮大なロードムービー。なかなかにグロい死体描写とかもある訳だが殺害の現場はあまり派手に描いていないのでタヴィアーニ作品と比べるとインパクトは弱い。ただただ双子の娘を探して淡々と旅をするってな内容。家族ドラマとしてもあまりエモーショナルではない。この主人公である父親が娘を探し始める切っ掛けとして見世物小屋で上映されていたチャップリンのキッドに心揺さぶられるってシーンがある訳だが、むしろチャップリン作品の方が今見ても圧倒的にエモい。ただトルコ系として触れておくべき時事であるって意味でそれなりに意義はあります。

 

オスマン帝国の崩壊と第一次大戦のゴタゴタの中でソビエトは民族毎に国を作らせようとした訳だがアングロサクソンの介入によっていくつかが失敗した。ここ最近、日本で奴隷労働させられている難民クルド人もクルディスタンという国を建国した訳だが分裂工作で潰された。オスマン帝国の崩壊は後のユーゴのように民族闘争のスイッチでもあった。ただ西側の人間の多くは独仏戦にばかり注目し戦闘が東欧から中央アジアに至るまで影響を及ぼし起きた虐殺にまでは眼を剥けようとはしない。アングロサクソンから見れば西欧州の白人以外の命は軽いのだ。だから奴隷の語源たるスラヴ系(東欧ロシア等のキリル文字圏)やヘブライ人(欧州人)の大本であるセム系なんて差別迫害対象でしかない。キリスト教の教義を強欲を満たす為の方便として悪用する西側カトリックからすれば旧約聖書を正確に理解するイスラム教徒やユダヤ教徒やロシア正教をはじめとするストイックな東側宗派の存在は邪魔なのだ。だから現在でも鬼畜米どもは暴利を貪る為にスラヴ系やセム系を殺し合わせる。そんな悪裂非道なイスラエルとウクライナに加担した親米ジャップはもはや世界の敵です。どちらにせよアルメニアの血を引くエゴヤンが虐殺の事実を論旨に出しても素通りする欧米人の卑劣さがユーラシア大陸で多くの虐殺を産み続けるのです。