映画『ボディガード(2016)』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

プロ根性

 

 

ボディガード(2016)

 

イラン映画というと日本では割と文芸系やアート系が中心に公開されてる訳だが、それらは割と亜流であってイラン映画界第一線には娯楽映画も数多くあります。そんな娯楽第一線の中で有名なのがハタミキアであり日本でもビデオスルーという形でいくつかDVDのみ発売されています。そんな彼の作品で最近になって外語大学で上映会が行われた大作を拝見。邦題が同じ作品は米国にもロシアにもドイツにも日本にもあるので紛らわしいが本作はこの手の作品によくあるVIPとのラブロマンス要素はなく極めてストイックに仕事に向き合っています。とある地方視察で大統領を自爆テロから守るシーンで映画は始まる。そこから黒幕捜査に行くと思いきや話は主人公であるベテラン警護官の身の処し方に進む。ある種のPTSDと後悔。本当に自分の行動は正しかったのかと自問自答する日々。彼のストイックさはイーストウッドの『ハドソン川の奇跡』同様にプロフェッショナリズムを感じさせます。そして次の仕事で某天才エンジニアの護衛を買って出る訳だが、そこで警護のあるべき行動をやり直すって感じで割と観念的に職業倫理を問い返すお仕事映画になっています。アクションは派手で見せ方も上手い娯楽作品ではあるが話の肝は極めて真面目な職業倫理です。

 

ここ最近では副大統領が暗殺された事で米国側勢力の関与が疑われるイランだが、そもそもアラブ世界と一線を画したペルシア文化の国だけに反イスラエルの中東戦争に深入りする事はなく暗殺は国内問題である可能性の方が高い。それにムスリム思想は物事の関連性について我々無宗教者のような浅慮は侵さないので基本は対処的に考えます。この主人公も修身として自分の役割は警護対象を守る事だけにあるという本分を忘れそうになるって所に主題がある。プロとして迅速な仕事をする為には確かに危険になり得る状況を想定しておく必要があるが、それが守る事自体に優先されてはいけない。この主人公は犯人を近付けさせない為に射殺した際、警護対象を盾にした。それこそ暗殺未遂に対し警護を押しのけ立ち上がり拳を振り上げる事で人気を不動にしたトランプ氏のように政治家は危険を冒してでもパフォーマンスをしたがる。そんな危険な行動に対し主人公は明らかに反感を覚えていた。それはプロフェッショナリズムに反する。どれだけ不利な条件を突き付けられても身を挺してでも最善を尽くすのがプロって奴です。