映画『エージェントスミス』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

裏切りは行き当たりばったり

 

 

エージェント・スミス

 

ノイスが最近撮ったノンフィクション系サスペンス。いわゆる司法取引から始まる不倫劇な訳だが関係性の背景に近年の米国の階級社会化が見えて何とも胸糞が悪い。その意味では社会派にカテゴライズできます。ラストベルトと呼ばれる地域もそうだが今世紀に入ってからの米国は産業が細り多くの労働者が職を失いオピオイド等の麻薬に溺れる貧困層が増加しています。この物語の主人公も貧困で犯罪に走った夫にDVを受けている貧困層の若妻。銀行強盗を企む夫の友人を捕える為にやって来たFBI捜査官と司法取引をするが彼に色仕掛けをしたつもりが本気で彼との情欲にハマってしまう。このFBI捜査官は云わば世間知らずな良い所のお坊ちゃんって感じで狡猾なヒロインに一杯食わされるのかと思って見ていた訳だが、このヒロインは計算高いようで実は行き当たりばったり。やはり所詮低所得層は麻薬に溺れて思考放棄に流されてしまうのだろう。このヒロインを利用してFBI捜査官は手柄を上げる訳だが同時に彼女の誘いを断り切れず不倫関係になってしまう。だが彼が妻を捨てる訳もなくヒロインだけが貧乏くじを引く事になります。

 

まあ不倫劇としては完全にヒロインの自業自得で同情の余地がない訳だが、こんな風にFBI捜査官側の一家に比べて浅ましく身勝手な人格になっているのは紛れもなく育ち上がりの差だろう。ヒロインが住む村は誰も気に留めないような田舎の小さな貧乏集落で、いじけたように向上心を持たないタイプの人間たちに囲まれて生きて来た。それに比べて都市部の中流層はそれなりに良い教育を受けて望んだ職業に就き余裕ある振る舞いができる。その人間性の差が会話にも滲み出ています。それだけに絶対的な関係の非対称性を感じるのです。ヒロインは彼を手に入れられないと失望すると、その鬱憤から来る怒りに任せて彼を犯罪組織側に売ってしまう。そして彼に優しくされると犯罪組織をFBIに売ってしまう。こうして両方の恨みを買い集落の中では村八分の四面楚歌。絶望から逃れるように麻薬に溺れる。その姿を見ていると貧困層は最初から負け犬になるべくして生まれて来たかのような感覚に囚われます。それだけ救いがない。このFBI捜査官の妻が食って掛かって来たヒロインに対し放った言葉は完全に正論です。だが、この階級社会となりつつある現代には正しく生きる事すら許されない階層が生まれ確実にその数を増やしています。