映画『ギヴァー』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

世界に色彩を

 

 

ギヴァー 記憶を注ぐ者

 

オーストラリアを代表する社会派ポリサスの名手フィリップノイスの見落としていた作品を3本連続で拝見。本作は生存の為に人間性を排したジョージルーカスの『THX-1138』を思わせるデストピア系SF映画。薬で感情を制御された社会って事で映像はモノクロで始まる。ここだけ見ると出世作『ニュースフロント』を思い出させるが個人的には本作の方がシンプルで気に入りました。この物語の主人公は封印された記憶を伝承するレシーバーの仕事につく訳だが、そこでギバーから与えられる人類の記憶は色鮮やかで高揚感があり彼に感情を取り戻させてゆく。だがこのコミュニティは感情を禁じているので次第に彼は危険視され始める。かなり予定調和感のある話の流れだが語るべき普遍的なヒューマニズムを極めてシンプルに訴える作品ではあります。それこそ『SFボディスナッチャー』と『デモリッションマン』に共通するテーマです。つまりは激しい人間的感情を排した平和と危険だが野蛮な生命力に満ちた世界とのどちらが幸せか?って所です。まあ個人的には当然後者な訳だが、そこに疑問を差し挟む余地が本作には足りていない印象でした。

 

このコミュニティの住人は誰もが文字通り温室育ちであり、この主人公にしてもギバーから人類の負の側面をちょっと見せられただけで凹みまくる豆腐メンタル。それだけに戦争の記憶も見せられたとはいえ充分に負の側面を軸慮した上での反逆であるようには見えない。ただただ知性以前の衝動に突き動かされている。この無責任さはあえて承知の上で私も危険で野蛮な衝動を肯定します。ただただ腐敗した平和の中では美名の下に弱者が圧殺され続けるのだから。ここでの"解放"とは"間引き"であり"姥捨て"であり"粛清"です。つまり殺人が消える事はない。その人生には終わりがある。だからこそ若者から享楽を奪ってはいけない。この世界は残酷な衝動で色鮮やかに輝かねばならない。モノクロからパートカラーを織り交ぜながら次第に世界が色を取り戻してゆく本作の描写はストレート過ぎるが確かに刺さります。この作品は2014年に撮られた訳だが皮肉にも「僕たちは奪われているんだ」という主人公の台詞にコロナ渦で学生時代を過ごした若者たちを連想させられました。TVに毒されたバカに対して「人は死ぬものだ」「若者から青春を奪うな」と何度口にした事か。この世界の美しさは命を捨てるに値するのです。