映画『首』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

戦国BL三昧

 

 

 

これは酷い。ここ最近、秀吉を扱った映画といえば三谷幸喜のコメディ『清須会議』が記憶に新しい所だが、その更なる劣化パロディ版って感じ。ただただ「現実はもっと酷かっただろう」と監督本人が云っていたように北野的なリアリズムが安易過ぎる方向へ迷走してる感じ。とにかく浅ましい裏切り合いとケツの掘り合いと残虐描写を無駄に入れているが肝心の内容の方は出来の悪いコントってゆーかギャグマンガってゆーか空気感や想像力や狡猾さを全く感じられないお粗末さでした。それこそ一応はチャンバラでも同じ時代劇たる『座頭市』はあえてアングラ的表現で新鮮さを狙ってるように見えたが、そもそも北野武には最初から時代劇を撮るだけの文化的素地がないようです。リアリズムで古の価値観を表現していたような山本周五郎や藤沢周平に代表される市井ノベル系には役者としても出演せずに、むしろ新左翼的な大島渚や深作欣二に悪い意味で学び過ぎてる頭の悪さを感じます。この作品は云わば大島の遺作『御法度』を標準的な時代劇の価値観と勘違いしたような恥知らず表現です。

 

かつて北野映画といえば実録ヤクザ系ノワールに新しいリアリズムの暴力を持ち込んだ事で圧倒的な支持を得ました。それは監督自身の暴力への実感であり、この成功で、これが何事にも通用すると勘違いしてしまった節はあります。かつて20世紀末の北野映画が魅力的だったのは「云いたい事を云ってとっとと死んでやろう」という捨て身の反骨精神が時代の焦燥感にピッタリはまったからです。そこで表現される暴力はキレイ事ではない現代人の素顔だった。だが同じような暴力描写を過激化させた所でもはや世相を映せはしない。ただただ三流の安っぽいチャンバラになるだけ。いわゆる信長暗殺の史実に現代人の性根を重ねてるって意味では成功なのかもしれない。ただただエゴイズムだけを暴走させるクズのバカという現代日本人の一般標準で人物像を捏造しています。これは単に現代日本人がクズだから、その実感に史実を寄せてるだけ。その時代にあった暴力の重さは全く表現できてません。そもそもタイトルでもある"首"だが、やたらとグロ造形してるが、それを持った役者の芝居がサッカーボールでも持つようで20kg以上ある人骨の重さを全く表現できていません。むしろ沖縄戦の遺骨収集でも手伝ってみれば表現するに足る人骨の重さが理解できるのではないだろうか。