映画『NANA』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

タクミは良い奴

 

 

NANA

 

コミックの方は以前からチェックしていたので連載再開待ちな訳だけど今更ながらに映画版に手を出す。映画版も話の流れはコミックに忠実。映画版は続編も出ているから一作目では、どこまで描くのかなと思って見ていたら、タクミと出会う所までという何とも中途半端な所まで。個人的にこのタクミというキャラは好きです。スピンオフの読み切りでは"いいひと"の稲葉君みたいに女をとっかえひっかえする鬼畜野郎に描かれていたけれど、それが本編では良い大人になったという感じで。物語が主人公ハチの視点で語られるから女性側の葛藤でばかり見られがちだけれど、このタクミって奴はヤスよりも大人で実は優しい奴なんじゃないかと思う。業界内で腹黒く立ち回っているが、それは基本的に仲間を守るため。むしろ他の人物が無軌道に無責任に恋愛するから、その尻拭いに追われている感じ。彼の立場からすればハチが他の男に抱かれるなんて普通なら縁を切って彼のようにモテるなら他の女に走る所だが、それを一回抱いただけで許せてしまうというのは男の常識からすれば懐が深い。心が広い。ハンパない包容力。

 

とマンガの方の話になっちゃったので、話を映画に戻すと、まあ一言で云えばバンドマンのサクセスストーリー。一作目ではサクセスまで話が行かないけど。この一作目ではハチとナナの個人的な恋愛の部分だけに焦点が当てられている。マンガ版と違ってハチがコギャル時代に援交まがいの恋愛までしていたヤリマンという過去は描かれない。どちらにせよ語り口は成功が続く割にナレがおセンチなのはマンガと一緒。いかにも少女漫画ですって感じに思い悩む。主人公ハチは精神薄弱みたいな一種の気付かれ難い精神障害を持っているかのようにも見える。自分の為に考えるという自立した精神が薄弱なのだ。誰かに尽し、報われないと誰かのせいにする。だから忠犬ハチ公とナナに命名される。7の次は8という意味もあって。精神的に自立できないハチと彼女が応援するナナ。ふたり揃って一人前って所だろうか。自己主張が強過ぎたレノンと協調性で丸めたマッカートニーみたいに。

 

大谷健太郎って最近のヒットメイカーの中では割と正統派って感じだけど、この作品ではその作風が仇なしている。ライブハウスの映像がほとんどお遊戯会状態に見えてしまうのだ。適正露出とフィックスショット。クレーンの緩やかな移動。エキサイティングなロックを聴かせる上で、この映像じゃ締まらない。逆光やシルエット、アグレッシヴな手持ちのカメラワークでグイグイ攻める感じがなければ折角曲が良くてもエキサイトできない。中島美嘉の"GLAMOROUS SKY"は良い。ただ本人の芝居には眉をひそめてしまう。やはり芝居畑ではなく音楽畑どっぷりの人のようだ。発声法からして役者陣とは良くも悪くも一線を画す。ボブデュランがペキンパーの『ビリーザキッド』に出た時のように声が明らかに歌手のものって感じではない。逆に声を張らない芝居が不自然過ぎた。それ以外は若手売れ筋が集まって安心できる芝居を展開。あくまでも見せ場はラブストーリーって感じだけど、一応バンドモノなのだから、もっとライブで盛り上げてほしかった。"ENDLESS STORY"にかぶせて回想を見せるシーンはなかなか効いていたけど。正直、このシーンはちょっと泣いた。