映画『阿賀に生きる』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

阿賀に生きる

 

 

懐かしい

 

佐藤真といえば、映画美学校の創設者のインテリ監督。丁度『SelfAndOthers』の公開時に今平学校に講師として招いた憶えがある。確か企画書についての講義だったがNHKでやっていた日本の写真家紹介の企画から映画化に至る経緯を説明し、NHK職員の写真史に関する勉強不足を手厳しく指摘していたが、専門的に学んでいた我々にも彼の挙げるジャーナリスト名の半分以上が解らなかった。さすが東大出身、頭の切れ方も半端じゃない。我々の企画会議にも参加してもらったが、その企画に対して最も適切な表現方法を、いとも容易く提示してくれた。

 

以前、広島で報道関係者がゾッキーを煽って警官隊と衝突させスクープ映像をでっち上げるという事件があった。ジャーナリズムが進むべき方向性を問い直す事件だった。その出来事に責任を取る覚悟が監督にあったのだろうか。その暴力沙汰で死者が出れば遺族に償わねばならないし植物人間になった若者がいれば、一生面倒をみなければならない。それだけの覚悟を必然にする物が思想であり作家性だったが、このとき行われたのは只の暴力だった。『新しい神様』や『神様の愛い奴』や多くの学生達のドキュメント作品の新鋭と言われる作品群を原一男は良く思ってはいなかった。ぶつけ合う思想もないのに思想のあった時代の猿真似をするとは滑稽なのだろう。今のジャーナリストは新しい方向性を探る必要があった。その足がかりとなる作品のひとつが、この作品だった。

 

俗な言い方をすれば、ネタは新潟水俣病。今平監督の『赤い橋の下のぬるい水』も、確かこのネタが元だった。本家水俣に比べ被害が小規模であまり騒がれなかったが水銀の毒に犯された人々がいたのは事実。土本監督の『不知火海』もこういった一般的にあまり知られない被害状況を描いていたが、それはもう所詮過去の事。佐藤氏が描いているのは、あくまでも今。老いた農民は過去も今でさえも笑い話にできる強さを持っている。原一男が言うには、その農民の図太さだけでも面白いがキツイ方言に重なる標準語の字幕の持つ独特の雰囲気が特にお気に入りらしい。ネタは製作への方便でしかない。共に生きてみて共に笑ってみてその可笑しさを掴み取る。現場を逆手に取る彼の最近の方法論には共感せずとも、このやり方には原一男も肯定的らしい。私にとってはただ懐かしいの一言。教材とした作品のひとつですから。報道やドキュメント畑は寝る暇もないほど大変だったけど比較的楽なCM畑に移った今でもあの頃見た作品は懐かしい。