はるヲうるひと
"真っ当"は贅沢品
亀井作品や福田作品の顔としてコミカルな芝居で知られるジロちゃんだが自らメガホンを取った作品に関してはシリアス。デビュー作『memo』では強迫性障害という自らのハンディキャップにガッツリ向き合っていた彼が2作目に選んだテーマはタイトルを見ても分かる通り売春。重い話になる事は覚悟して見たはずだったが予想を上回る重さでした。なぜなら物語の舞台が閑散とした地方の小島の限界集落で観光客相手にビジネスしてる設定で主人公であるチンピラは妾の子で、そいつをいじめるジロちゃん演じるヤクザの親分が本家の息子という覆しえない地域のヒエラルキーの中で物語が進むから。よく既得権者が批判者を陥れる定番のデマゴーグとして"プロ市民"なる言葉があるが、それに相当する底辺層は確かに存在します。それこそ三里塚闘争でも農民たちは公団からの立ち退き料を吊り上げる為に座り込んだのだから。ただこれは本物の活動家なんかより生活がかかった切実な行動なのです。
この島の住人も原発誘致を喜びながら反対デモのふりをして国からより多くの利権を引き出そうとします。そこにはイデオロギーなんてない。あるのは島の生活を守ろうとする地域のアイデンティティだけ。この手の連中の切実さに小川伸介のように気付いていれば既得権世代のバカパヨには反吐が出ます。つまりイデオロギーは労働貴族の贅沢品なのです。それこそ労働を罪とする米国耶蘇教も同様で善行を行えるのは上流階級の特権であり底辺に生まれた者は罪を犯さねば生きられない階級社会があるのです。そこから目を背けて正義を語るようなクソパヨクは即死ぬべし。この映画は、その手のクソパヨクが見たくない現実を突き付けてくれます。イデオロギーを語る前に自分の足元を見れば、どれだけ多くの人間を踏み潰しながら絵空事を語っているかが分かるだろう。そいつらに恩を返す事を考えられないならイデオロギーは偽善的で卑劣な暴力でしかない。だからこそマトモな人間はアイデンティティにこそ動機を見出す。ただ今作は人間の本質的な部分を抉りながらも、それを突き破るようなカタルシスがないって意味でダレました。