映画『旅の途中で死体と出会う』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

赤ずきん、

旅の途中で死体と出会う

 

 

ルッキズム叩き

大筋はシンデレラな訳だが美容師殺人が起きて名探偵ポジションで赤頭巾ちゃんが活躍するってな少しブラックななんちゃってメルヘンワールド。やっぱ新年は福田映画でひと笑いしたいって訳で拝見した訳だが伝説のTV企画"勇者ヨシヒコ"シリーズを思わせるような世界観でした。この福田作品って元々舞台中心にやってた人だけあってワンスチュエーション系の映画が多い訳だが、たまに移動要素が入ると妙にRPGを連想させるようなノリになります。そんな訳でなんちゃって感が強い舞台設定な訳だが、そもそも考えてみればコメディでなくとも最近の日本のメジャー映画はコントのようなナンチャッテ感で誤魔化す脚本がやたらと多い。それは単に予算の都合とかだけではありません。そもそも日本社会自体がヤッテル感やナンチャッテ感でしか動いていないからコメディ感で誤魔化すしかない。お隣韓国のように血を流して自らの力で民主社会を勝ち取った真っ当な国であれば設定に誤魔化しなんて必要ない。ここ日本は明治以降の脱亜入欧という現実無視の理念によって戦後は特に自分が米国の白人であるかのような肌感覚に囚われているから欧米人のように在りたいという趣向と植民地の黄色い猿でしかない現実が乖離し、その誤魔化しとしてナンチャッテ感が必要なのだ。だから何故か西洋の童話を黄色い猿が演じているが「あくまでネタなんで」とエクスキューズを入れられる訳です。その精神構造は我々アジア主義の日本人から見るとかなり薄気味悪い。

 

それはさておいても本作の展開も犯人の動機やトリックに取って付けた感満載で後味も悪い。とにかくシンデレラが浮かばれません。そういえば私が高校の頃、文化祭でシンデレラを「見た目じゃない美しさ」ってテーマで改変して公演した訳だが、この作品でも王国に蔓延するルッキズムに偏った風潮を批判するような流れがあります。ただ前作『新解釈三国志』でもブスなヒロインを見下すようなネタをブッ込んでたし、ガチでルッキズム叩きしたらネタになりません。ルッキズムって奴は悪しきポリコレです。そもそも人格は顔に現れるし生理的に醜いものを美しいと云わせるのは暴力に他なりません。この手のポリコレは従い続ければ妬み嫉みという大衆の劣情で何もかも劣位に統合されます。それは、どんなファシズムよりも最悪のデストピア。とりあえず日本人がクズを止める所から始めなければルッキズムのようなポリコレは悪質な暴力でしかありません。