映画『水の旅人』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

水の旅人 侍KIDS

 

 

水力発電に向いてる国

子供の頃に見たかったのに見逃した大林の子供向けファンタジー2本を今更ながらに拝見。今作は特に一寸法師の現代版を大林宣彦×久石譲×山崎努という組み合わせで映像化した力作。昔ならではの特撮に力を入れてハッチャケまくった内容になっています。この作品で少年が拾った老いた侍の一寸法師は水の精霊という設定で、その行動に少年が諭され人の道を学ぶってな内容です。この時代にはやたらとエコの視点から環境問題を語るスタンスの商業作品が多かった訳だが、もっと広く捉えた印象を受けました。この少年がキャンプに行った先のダムは過疎化した村を沈めて造られた物。古の住人に敬意を払わないクラスメイトの行動を少年は咎める。この行動の意味は決してエコなんかではなく古の知恵を伝承する任侠道です。

 

この侍は平和主義の上辺で詭弁を弄する少年を「斬るのは己の中の弱い心じゃ」と諭す。それは戦後のバン助クソジャップが一般的な教育やメディアに教えられてる浅ましく卑怯な欧米的価値観とは全く違うアジア的な日本人の価値観です。そこに生きて後の世代に道を譲った人々へのリスペクト。そんな当たり価値観は鬼畜米が持ち込んだ自由や民主主義という甘い猛毒に腐らされたので搾取構造維持の為のエコという詭弁が土着的な倫理や任侠道より優先される白痴社会の中に我々は生きています。そもそも日本ほど尾道のように山から海へと続く地形が多く豊富に雨が降る風土は他になかなかない。これは他国にはないアドバンテージです。エネルギー問題は水力発電の為のダムを量産していれば解決するし戦前の日本政府は黒部をはじめとする様々な大規模開発事業を走らせていました。だが戦後「ダムはムダ」なるキャッチーなコピーで大衆を騙し開発を頓挫させ鬼畜米は福島のようなポンコツ原発を押し付けた。いかに不道徳であるか分かっていても鬼畜米の圧倒的暴力に恫喝された日本人は抗えないからこそ自らの価値観を拝金主義に染め上げて思考停止し今だけ金だけ自分だけの親米クソジャップと化したのです。それにしても当時の大林演出はかなりハイテンションで久石音楽も大げさ過ぎる程に壮大で見ていてウキウキさせてくれます。とにかくチープな特撮ではあるが大林的なギャグと詩的メタファーが効いていて何よりも狂ったマスメディアの中にありながら小手先の理屈ではないマトモな価値観が今よりは残っています。