映画『トーキョーエロティカ』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

トーキョー×エロティカ

 

 

自分がいない時間

 

「生まれる前の時間と死んだ後の時間って、どっちが長いと思う?」そんな瀬々敬久らしいテーマ性の問いかけにこのポルノ映画は始まる。インタビュー形式で答える人々は主観で捉えて死んだら無になるから同じだ等と応答しているが、そうではなく自分がいなくても世界は回るという現実を意識すれば違う回答になるだろう。この着想は地下鉄サリン事件にあるようで語り手である主人公が毒ガスで死んだ所から始まり、その関係者の過去から未来に渡る性生活が描写されています。どうやら主人公はバンドマンだったようだが彼のバンドは何事もなく惚けた様子でセックスして楽しく生きている。ヒロインである主人公の元カノはヤリマン女になって昼はOLしながら夜は二千円で売春してる。ただただ主人公は天命を全うできない事で人生の快楽を損しただけ。どうも昔から彼はこの恋人を大切にしていなかったようだが、もし大切に執着していた何かがあるならば、それは何とも残酷な摂理です。

 

いつも通っている組織内に自分がいない状況を想像してみましょう。いなくなった途端に蛆虫やゴキブリのような連中が幅を利かせるべく来なくなった人間を貶めるような吹聴を始めたりする所もあります。だから歴史は生き残った人間に都合の良い形に書き換えられた。だからこそコンシャスネス(高い意識=良心)って言葉には死者の声という意味もあります。まあ特に戦後日本人はリバタリアニズム(主権を持つ為に己に課す義務や責任や戒律)を自由と誤訳し続けてるクソガキが多いから特に墓荒らし的な卑しいマインドが育ち易いのでしょう。