露出不足
敗北宣言
フセイン政権崩壊後のイラクで最初に回されたフィルム。
それは色相がこけ、感度が極端に低い古い生フィルム。
プロパガンダさえも製作されなくなって、10年以上の間
フィルムの輸入が滞っていたので、新しいフィルムは
手に入らず、20年以上前の機材とフィルムを引っ張り出し
破壊されたバグダットの情景を記録として焼き付けている。
事務所の壁にはウォホール。反米感情は描かれていない。
現地の人にとって、今も戦争が続いているのは事実だが
起きてしまった事に対して何が悪いと言っても意味がない。
監督のウダイ氏には師匠がいない。映画伝統が断絶した
彼の国では、造形や演劇や音楽といった他の芸術文化に
学びながら方法論を模索するしかない。そのせいなのか
まるでアモスギタイ作品のような構造的な大胆さがある。
記録に至る監督自身の苦悩を中心に据えて、再現映像に
街の声が挿入される。失意の底で運命の暴虐を嘆く人々。
アルジャジーラのニュース映像で繰り返し流されていた
市街地の映像。廃墟と化した街。ひとりの住民として
これをまのあたりにして、一体何が言えるのだろうか。
彼の言葉は、作家としては敗北宣言なのかもしれない。
しかし、一被害者としては他に言いようがないのだろう。