『8日で死んだ怪獣』の感想from映画生活 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

2021-07-25の投稿

8日で死んだ怪獣の12日の物語

ー劇場版ー

 

 

紙粘土ですね普通に

 

樋口×岩井という異色の顔合わせでオンライン通話スタイルで撮られた作品って事で興味を惹かれた訳だが…とうとうアタオカになってしまったかと正気を疑いたくなるような内容。正確に云えばアタオカになってしまった我々を皮肉っているかのような内容でした。かつて10年前には原発事故を受け『Friends After 9.11』で放射能汚染地帯となった日本から誰も逃げないという現状を指して「どんなSF映画でも想像できなかったシュールな状態」と称した岩井さんが、それ以上にシュールな疫病騒動を受けて再び新しい創作スタイルを模索。一年以上自宅でCG作成の仕事を続けてる身としては樋口監督のニューノーマルへの実感は共感できます。ドローンで撮った外観と少人数で撮った舞踏とオンラインで撮った会話と俳優の自撮りとCG合成だけで映画が作れる時代になってしまった。この企画は特撮マニアである樋口監督がタレントにコロナと闘うカプセル怪獣を育てさせるってなフィクションで、それを岩井さんがシュールなテイストでまとめています。どうしようもない現代人の愚かさにもはや苦笑しか出て来ない。ファクターXでアジア人にはほぼ無害だった段階のコロナへの過剰処置で無駄に経済を潰して多くの若者を死に追いやった臆病な老害の決断。仮にロックダウンをしても効果が証明されていない現実すら見ないふり。ただただステイホーム!とポリコレ棒を振り回した頭の悪いゲロ親父は人殺しに等しい。マスクの使い回しも不衛生過ぎるので疫病の元。皮肉にもワクチンとマスクが並べられる訳だがデータがない日本人にとっては、どちらも効果が疑わしい(変異種に対して皆無の可能性が高い)上に副作用(一般的に治験の失敗率は9割以上です)の危険が高い。Δ株への変異で今後はファクターXが効かなくなり、いよいよ危機が始まりつつある現段階で既に信用価値も資産リソースも底を尽きつつある絶対絶命状態。笑うしかない。なんと云っても感染者や看護者に石を投げる蛮族の国ですから。マトモな人間なら様々な異なる対策でデータを取りながら効果的な方法を模索するが現実を見るのが怖くてデータすら取らないのだから滅びるのは自業自得でしょ。センメルヴェイス反射で現実逃避し既に欧米の学会でも効果のなさが立証されつつあるマスクとワクチンを妄信したまま勝手に滅びなさい。

 

誰か一人でも犠牲者から目を背けている限り感染リスクを払拭できないウィルスの存在は、まるで天罰が下り神に試されているかのような錯覚を覚えるほどに出来過ぎた事案です。ダリット(不可触民)という下層カーストを見ないふりを続けるインドで疫病が蔓延するのは必然。不可触民に支えられた生活で不可触民への感染を無視すれば確実に富裕層にも感染。同様の現象は世代による階級差別社会となった日本でも確実に起きています。つまり自分だけ隔離して助かろうとしても、その生活を支えるエッセンシャルワーカーからの感染を避ける方法はありません。だが日本国民の大多数を占める無意識な差別主義者たる年金受給老害は働かなければ餓死する若者の事情を無視して「自粛せよ」と命令を下す。その想像力の欠如がある限り、どんなに正常化バイアスで認識を捻じ曲げた所で疫病は止まってはくれません。ごく当たり前に考えれば社会を維持したまま感染を食い止めるのは不可能。映画館も公共交通機関も職場も家庭も確実に感染を広げ続けます。そういう自分が安寧と享楽を貪る為に必要な場での感染から目を背けながら一部の業種を叩く事で安心を得ようとするカルト宗教的な未開の土人が鬼畜米の侵略から目を背け続けた卑劣な戦後日本人って奴なのです。それも既得権の強固さ故に必要産業を無人化する構造改革すら出来ず他国搾取で分不相応な利益を得続けようとするインバウンド乞食が政を行う現状では感染防止という方向性は最初から無理ゲー。どう転んでも感染容認し闘病と死を覚悟するという方向でしか正常化は見込めません。その現実と向き合えない臆病者の声が社会を壊し続けているのです。つまり退治すべきは疫病ではなく、たかが個の命に恋々と固執し続ける利己主義という己の中の鬼なのです。「この大切な仲間たちが生きる社会を子々孫々に残す為なら自分一人の命くらい実証例として喜んで差し出そうじゃないか」という当たり前の道徳心を誰もが持っていれば実証的データを集め冷酷に分析し合理的対策をスピーディに確立できたでしょう。そんな人間の知恵を「優しさ」や「思いやり」を装う臆病で怠慢で野蛮な自由主義が妨害し続けているのです。

 

「皆が安全でない限り誰ひとり安全ではない」これはWHOが今でも出し続けている公式メッセージです。この梅雨に私の所にもワクチン職域接種の話は来たが断りました。それなりに同調圧力はあったので強制するなら所属企業を移るつもりでいたが「お先にどうぞ」と態度を曖昧にし続けてるうちに諦めて頂けました。それなりに想像力があれば簡単に分かる話。近所のコンビニも飲食店も働いている顔見知りはフィリピン人やベトナム人。彼女たちにも充分にワクチンが行き渡らないうちは射っても意味がない。それどころか自分だけは重症化しないからとタカを括って加害者になる。そんな薄汚いゲロ親父には反吐が出る。テメーだけが享楽と安寧を貪る為に在日や障害者や女子供という社会的弱者を迫害してる現状にすら想像力が至らないのか。さすが弱者叩きが大好きな蛮族だ。ノーマルに戻れると思うな。これは単なる弱者への惻隠の情だけではない。ペストやコレラの例にしても自分だけが助かろうとした社会ほど多大な犠牲を出した。コミュニティ内にいる誰ひとり見捨てない状態を保った共同体の方が圧倒的に生存確率は高い。ウィルスに勝ち抜けは通用しない。それなりに自分の命も含め犠牲を出しても足並みを揃えて緩やかな弱毒化と共存へ向けて十年以上かけて粘り強く闘病し続けるしかない。そんな状態で映画館やら職場やら公共交通やら家庭やらを継続したいと強弁する外道がいるなら、そいつは怠惰なる人殺しです。この現実から目を背け正常化バイアスでマスクとワクチンさえあれば大丈夫と自己欺瞞に陥る事は大罪。程よく距離を保てる生活を確保し、それでも互いに疫病をうつす事も許容し、リスクを引き受けた上で絆を保つ。そんな方向に生活を改められないならば、より多くの命が犠牲になり、その中にはあなたの大切な人も含まれるかもしれない。どちらにせよワクチン治験の成功率は大体1割程度。10年以上は続くであろう闘いの中で数年程度の治験を待たないでリスクを冒すのは愚策。愚民民主主義の下では大衆という卑しく臆病な暴力装置のパニックで疫病対策すら冷静にできない現状はもはや笑うしかありません。